V3M3
●情報が伝えていること
私は、今年の朝日新聞から、「水」に関する三つの記事を見つけた。面白いことに三つとも、教育と水との関わりについての記事であった。
ひとつめは、1月19日:朝日新聞「声」欄に掲載されていた、川崎市の小学生の「二ケ領用水を守りたいです」という記事である。投稿者である加藤愛理さんの学校では、総合学習の一環で、ニケ領用水について勉強しているという。しかし、小泉次太夫が苦労して作った用水は、汚れきっていた。夏休みの家族との「たんけん」や、クラスでのゴミ拾いで彼女が目にしたものには、捨てられた自転車やバッテリー、包丁、毛布にフライパンまであったという。どうしたら水が綺麗になるかの案を、クラスで考えているという。
二つ目の記事は、1月21日:「まなびの場∞無限大」欄の、授業拝見というコラムである。北九州市の祝町小学校では、総合学習の時間に、大蔵川の環境を調べている。そこで子供たちは、絶滅に瀕している淡水魚の「オヤニラミ」が大蔵川に生息していること、そしてその生息場所で、河川改修工事が予定されていることを知る。子供たちは、「工事が始まっても生き物は大丈夫なのか?」という疑問を専門家と共に調べ、市の改修計画に、魚が住みやすい「よどみ」を作るなどの、生き物に対する配慮を要請、市はそれを盛り込んだ。
そして最後が、1月26日:多摩版の「水辺の学習法 事例を一冊の本に」という題の記事である。東村山市のNPO法人「空堀川に清流を取り戻す会」が、四月から本格的に小中学校に導入される総合学習に活用してもらおうと、河川をテーマに、事例などを紹介したパンフレットを配布した。これは、水辺学習に取り組もうとするものの、「やり方がわからない」という質問が多く、水辺環境への関心を高めてほしいという会の狙いと一致した形といえるだろう。当日の配布場所では、パネルディスカッションや実験も行われる予定で、総合学習が有意義なものになるよう工夫されている。
●人間はなにをすべきか
水辺環境問題は、まず、その地に住む人々、生物に直接的な影響を与える。しかし、それは結果的には地球規模の問題となる。その理由としては、第一に水が循環するという特性を持っているためだが、一番問題なのは、記事からもわかるように、似たような水の汚染事例が、全国各地に起こっているということだ。
水が汚染されているのは、都市化のためだということは、昔からいわれている。昔から、都市は水の近くにできていった。日本はもちろん、世界中にその傾向は見られる。隅田川、ハドソン川、セーヌ川、ドナウ川にテムズ川…。大都市を思う時には、だいたいその都市を流れる川が思いおこされる。昔から都市は川と共にあった。しかし、近年の急速的な開発によって、川は市民の誇りや、憩いの場ではなくなり、省みられない、澱みのかたまりと化していた。それは、程度の差こそあれ、どこの国でも同じなのではないだろうか。川は、一人一人のかかわりと共に、政府などの力を、今こそ必要としている。私はまず、世界の目が、水環境に開かれていく必要性を感じる。そのためには、上記の学校による総合学習の活用や、市民のボランティア・グループなどによる、自発的な活躍が不可欠だ。また、先に開発が進み、自然が崩されることを体験した国の責務として、これから開発を急ぐ国に、二度と同じ過ちが起こされないように、情報を提供し、援助する必要もあると思う。
水問題は、世界の問題である。取り返しのつかなくなる前に、広く問題が広まり、世界が問題意識を持つように、そしてそれが小さいところからでも行動に移れば、まず第一歩を踏み出したといえるのではないだろうか。
●私たちにできること
たまたま三つの記事共に、身近な川にたいする子供、そして市民の活動についてであったが、上記に述べたように、このような地道な活動が、これからの水辺環境問題においては大きいのではないかと思う。調べてみたら、三つ目の記事の、「空堀川の清流を取り戻す会」の主催者である小林寛治氏はホームページも開いており、空堀川だけでなく、水辺環境について定期的に通信も発行していた。この三つの記事を読んで、私は自分の小学生時代を思い出した。私の時代には、まだ総合学習というカリキュラムはなかったが、4年生の社会科の時間に、横浜市の吉田新田、そして、その用水について勉強した。細かいことはもう忘れてしまったが、吉田兄弟が、何度も挫折しながらも新田のために用水路を作り、それが今でも横浜を流れているのだということに驚いたことなどを思い出す。はじめの記事の加藤愛理ちゃんも、「ニケ領用水の水は、昔の人が苦労をして作った水です。よごさないようにしてください。ゴミをすてたりしないで下さい。」と書いていたが、吉田川の水も、緑色に濁って、潮の匂いとともに、腐敗集を漂わせていたように思う。
私たち一人一人が、例えば水をムダ使いしない、ゴミを捨てないと気を付けることによって、どれだけ変わるかはわからない。しかし、やらないよりはいいだろうし、こんなに単純なことだ。水に対する意識というのを私は、小学校の時の、その授業で得た。これからの時代を生きていく子供たちが、総合学習という良い機会を得て、水に対して、今まで以上に主体的になっていきそうで、頼もしい。私も、できる所から、気をつけていきたいと思う。