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a. 集めた資料
『知ってるつもり?!』 アフガニスタンを救おう!!国際協力に命をかけた男、中田正一
- 日本テレビ 1/20(日)21:00〜21:59放映
- 「NGOの父」と謳われた中田正一の生涯を綴る。
- 彼は、「風の学校」とよばれる海外協力のための学び舎を設立し、
- 水がないために飢餓を起こしていたアフガニスタンで、
- 生徒達とともに井戸を掘りつづけた。
『日本の自然環境』
- NHK 1/29(火)02:30〜03:15放映
- 東京湾に生息する様々な魚種を、新しい視線で見ていく。
- 時は流れ、ヘドロやゴミが流れ着いた海で、魚達はどのように変化してきたか。
- ゴミと共に生きるもの、それを浄化するもの、新たに生まれてくるもの。
- 環境が変われば、その中で生きるものたちも変化していく。
The 3rd World Water Forum
- http://www.worldwaterforum.org/
- 世界水フォーラムは、世界の水問題解決の議論を
- 水の専門家、政策決定者、NGOといった多彩な分野、地域の方々で行い、
- 新たな解決策を見出していこうという目的で開催されているものです。
- 21世紀が紛争のない平和な社会であり、世界の人々が、
- 水や食料の不足、水質汚濁による不衛生な生活条件、洪水の危険等に
- おびやかされることなく、豊かな自然環境を享受できるよう、
- その出発点を形づくるフォーラムになることを目指しています。
水の惑星、瑞穂の国
- http://www.fujitani-sangyo.co.jp/topics/69/
- 地球は、表面に液体の形の水が確認されている唯一の惑星である。
- 大気中にあるほとんどの物体にも水は含まれていて、
- 乾ききった様に見える砂漠の砂の中にさえ、一割を越える水分が含まれているという。
- 日本には、美しく称する言葉として、「瑞穂の国」というのがある。
- みずみずしい稲の穂が実る国という意味である。
- 水の惑星の「水」と、みずみずしさの「瑞」とは別の物であるが、
- どちらも新鮮で美しく、清々しいイメージを持ちうる言葉である。
b. 今、地球上に何が起こっているか/情報が伝えている事は?
水道の蛇口をひねれば飲み水が出る。このことが、どれほど貴重なことか私たちには考える必要があるのではないだろうか。
今、地球上で蛇口の水が飲める国はそうあるわけではない。恐らく1/3程度なものであろう。私たち日本人は、ほぼ水に不自由な生活をしたことがない。朝起きて顔を洗い、歯を磨き、朝ご飯を作り、食器を洗い、トイレに行き、手を洗い、花に水をやり、ペットに水をやり、喉が渇けば水を飲み、掃除して、昼ご飯を作り、食器を洗い、水を飲み、洗濯して、洗車して、トイレに行き、手を洗い、夕飯を作り、食器を洗い、お風呂に入り、顔を洗い、歯を磨く。これら一連の動作が、ほぼ一日1億人が行っているのである。たまに水不足が警告され、脱水宣言をされることはあるが、それでも、日本は水に豊かな国である。
中田正一は、日本がバブル景気真っ只中の頃、アフガニスタンへ赴いた。そこで彼は、自然と共に生活を営んでいる彼らに大変感銘を受け、農業の全てを教えた。その後、日本に戻った彼は、「風の学校」を設立し、国際協力を担う若者を育て始めたのである。彼が日本に戻って数年後、アフガニスタンで内紛が起こり、中田正一は動揺した。緑豊かな国は灰色の土地となり、飢餓に苦しむ人が出てきていた。日本がアフガニスタンに対して行っている援助も燦々たるものだった。高価な耕運機をプレゼントしても、壊れた時修理をする技術も、機器もないアフガニスタンでは、日本から送られてきた物資の全てが、ゴミの山となって放置されていたのである。中田正一はアフガニスタンを救う為には「水」が必要であると考えた。どうやって水を作り出すことができるのか。彼は、物資不足でも造ることが出来る井戸掘りを考案した。そして、「風の学校」の生徒と共に、灰色の土地となったアフガニスタンに井戸を造り続け、再び緑多き国に再興していったのである。
初めて中田正一の井戸がアフガニスタンに創られた時、まだ泥が多く混じっていたその井戸の水を、子供たちは大喜びで水を被り、水を含み、顔を洗った。水がある、という喜びを、日本にいるどの人間よりもアフガニスタンにいる子供たちは知っている。
豊かではあるがしかし、日本でも水問題は深刻である。これは日本だけの話ではないが、生活廃水や、ゴミなどによる水の汚染が深刻なのだ。水俣病などで数十年前から明らかになったその実態は、人々の手でなんとか元の美しい海に、川に、という運動がなされている。その水の中で住まう魚達に変化が見られる。
東京湾を覗くと、ヘドロやゴミでいっぱいになった緑泥色の海が見える。さぞ、そこで生活していた魚達は減少の傾向にあるだろうと思っていた。だが、彼らの世界では減少ではなく、転換の時代に突入していたのだ。
チチブという魚がいる。岩穴に生息する魚で、そこにメスを誘い、卵を産み付ける。しかし、東京湾がヘドロとゴミにまみれてしまい、自分たちのマンションとして適した岩穴が埋まってしまったのである。その後、驚いたことに彼らは海に落ちてきた空き缶の中に住み始めたのだ。新しい環境への適応である。彼らは岩穴同様に、空き缶に住まい、メスを誘い、その中に卵を産み付ける。
東京湾の底を覗いてみると、思っていたより澄んでいることに驚く。ムラサキイガイのお陰だ。ムラサキイガイは東京湾に浮遊するプランクトンを大量に食べる為、浄化作用を持っているのだ。もともと日本の種ではないムラサキイガイは、外国船にくっついて繁殖した。今、東京湾では、このムラサキイガイを中心とした生態系が育まれつつある。イガイを好物とするカニ。それを食べるタコ。イガイについた虫を好物とするウミタナゴ。
たとえ海が汚れても、そこが彼らの住まいであるが故に、適応していく。浄化活動を行う。新たな生態系を育む。ただ汚染に負けるわけではなく、新しく生きる方法を見出していく。この魚達から私たち人類は学び取ることがあるのではないだろうか。
太陽系で、表面に液体の形の水が確認されている唯一の惑星、地球。その美しい星に生きる私達は、世界中にはびこる水問題に対し無策であってはならず、同様に、私達の文明や生態系もそのものの滅亡をも招くことがあってはいけないと思われる。また、その中でも私たち日本人には、水と戦いながらも、山紫水明といわれる美しい風土、瑞穂の国という水文化をはぐくんできた先人の偉業があり、水問題に対して発揮できる知見・英知が十分に存在するはずだろう。
c. 人間は/人類は何をすべきか?
自分たち自身が持つ、自分たちの歴史が持つ、様々な環境における適応能力を思い出し、実行するべきである。
中田さんはアフガニスタンの人々で出来る最大限のものを、彼の能力を最大限に使って考案した。「井戸を掘り、水を生み、緑を創る」。灰色の土地となり、経済力もなく、物資もない環境で、希望をなくしていたアフガニスタンの人々に訪れた適応方法。自分たちの力で出来ることなのだ。日本政府が行っていた、高性能物資のプレゼントよりもはるかに安価で、はるかに機能性を持つ。日本政府は、アフガニスタンの環境が見えてなかったのだ。中田さんには見えていたのだ。同じように、自分たちの環境を、現状を、私たちも見るべきなのだ。
東京湾に住まう魚達は、古い歴史に適合性を見出さず、新たな適合性を取り入れた。岩穴に住まなくてはいけないわけじゃない。岩穴が消えたのなら、岩穴に変わるものを住まいにすればいい。新たな生態が誕生し、そこに適応した生態系が育まれていく。人はもともと定住民族ではなく、様々に変化する環境をすばやく察知し、次へ、また次へと自分たちも変化していった生き物であった。不足から目をそむけず、汚染から目をそむけず、その環境に適応していく。ゴミをゴミとして扱わず、共に生きていくこともあるだろう。ゴミを欲していくこともあるだろう。新世代の誕生を喜び、新しい生き方を見出していく。
また、私たちには22世紀以上にわたって、水と共に生きてきた歴史がある。過去の偉人たちが培ってきた水との関係性、融合性をもう一度考え直すことで、その中から水問題に対し何らかの解決口を見出せるだろう。
水は資源でもあるが、自然である。汚れても、それは自然のもので、土や風と同じように、私たちと永遠に、共に過ごしていくものなのである。それを知った上で、どのようにして水と共に生きるか。変化していく水に対して、自分たちもどのように変化していくのか。私たちには出来るはずなのだ。人間も、水と同じ自然なのだから。
d. 私たちは、今いるところで何ができるか?
自分がいる場所の水環境を認識し、そこに見合った水との生き方を実行することができる。
私たちが、出来ないことをしようとしても無理だし、無駄である。たとえば、日本で、家族と何不自由ない暮らしをしている女子大生に、アフガニスタンのスラムに行って水不足を経験し、水のありがたみを知ってきなさい、と言ってもなかなか経験できる話ではない。あるいは、自分の家が土砂に埋もれた場合どうするのか実験して、魚の気持ちを知ってみましょう、というのもやはり無理な話なのである。また、それらを実行したとしても、何か出来るわけではないだろう。うろたえるだけである。
ならば、私たちはどこにいても「水」というものに出会うことは出来る。トイレや手洗い、食事や掃除、朝露に雨、海に川。「水」に出会ったときに、その「水」がどういう水であるのか、どこから来て、どこへ帰っていくのか、どういう出会いをし、どういう使い方をしているのか、少し考えてみることは出来る。例えば油をシンクに流したらどうなるのか。その油はどこを通り、どこに行き着くのか。分解はされていくのか。その油が海に流れ着いた時、どのような結果をもたらすのか。一人一人が「水」を知れば、環境がどういう状態であるのかを知れば、少しずつかもしれないが何かが変わるかもしれない。
よく、海に遊びに行った若者が海岸を汚す、と言われることがある。しかし実際は、サーフィンやダイビングをしている若者たちの方が海岸清掃に力を注いでいることが多い。サーフィンやダイビングをしていれば、海の現実に目を向けることが出来る。彼らは知ったのだ。海がゴミで汚れていることを。自分たちがゴミを拾うことで何かが変わるかもしれないということを。海を欲するものが、海を浄化していく。水を欲するものは、水を浄化していくかもしれない。
水を知り、水との生き方を考える。それが、私たち一人一人が、今この場で出来る最良のことではないだろうか。