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【長良川河口堰の例】
平成7年、長良川河口の可動堰が運用を開始した。これは、かねてからの問題であった長良川河口地域の治水、利水を目的としたものである。
建設省河川局水資源開発公団の発表によるとこの河口堰は、長良川の河口を掘り下げ、洪水時の水の流れをスムーズにすると同時に、可動堰の開閉によって塩水のさかのぼりを防止するものである。これによって水害の防止、及び塩害の防止を行う。さらにこの河口堰は大きな取水源の少ない濃尾平野において、都市用水・農業用水双方への利用も考慮されており、利水の面でも大きな効果をもたらすものである。
しかし、この河口堰は水の流れを分断するものである。河底を浚せつし、水量調節のために堰を上げ下げすることによって、周辺の生態系を大きく変化させるものである。市民団体、マスコミ等のこういった声に対して、平成5年9月の建設省河川局水資源開発公団の報告「長良川河口堰について」では、周辺の生態系への影響は皆無ではないにせよ、微細なものであると述べている。しかし、市民団体の調査と建設省のそれとではデータに食い違いも多く見られる(「長良川河口堰運用に伴うモニタリング及び環境などへの影響についての“新しい対話”第5回議事録」平成8年10月。より)。ヘドロが堆積し、シジミは堰の上流では絶滅しかけ、人工干潟にわずかに残るのみであり、葦原も漸次その姿を消しているという。天然の鮎、サツキマス等の魚に関しても、例年に比べて質量ともに悪化しているという。
建設省では魚の遡上、効果を堰が妨げることがないように魚道を設置し、ここを回遊魚、またはカニ等が行き来できるよう対策を施している。しかしこの実績のほどは定かではない。
長良川河口堰は濃尾平野の大規模な治水・利水を目的として計画されたものであるが、その環境に与える影響は小さくはない。確かにこの河口堰が我々人間の生活にもたらすメリットは大きなものであるようだ。しかしそれと同時に、生態系への影響も計り知れない。それは動植物への影響にとどまらず、その狩猟を生業とする住民の生活に大きな影響を及ぼしてしまうものである。
【十勝川水系、音更川霞堤改修工事の例】
平成11年、十勝川の支流である音更川の中流域の堤を回収する工事が行われた。北海道開発局から工事を受注した建設業者は「住民参加型の河川工事」を掲げ、住民の理解を得られるよう、種々の工夫を凝らしている。はじめに、住民からは以下の要望があがっていた。
・現場の監視 ・工事に伴う生物の保護・河畔林の保護 ・現在よりも生物の豊かな環境にすることは可能か?
これに対し、業者は以下の方策を実施している。
・施工内容の説明会・・・ 発注者である北海道開発局とユーザーである住民の対話の場を設け、業者は双方の意見を聞いた上で工事を行う
・現場監視小屋の設置
・住民の協力を得た生物移動作戦
・伐採河畔林のリサイクル
・現場見学会
これは主に建設側と住民との軋轢を避ける目的で行われた試みである。環境云々という議論の前に、住民の反対運動に対する危惧が先立つのはやはり仕方ないことである。しかし、この試みは施工側の一方的な価値判断によって引き起こされる問題の解決に非常に役立つものではあるだろう。ここで行われた手法は、意外な視点からの指摘を十分に吸収することが可能であり、画一的でない、新しい土木計画のビジョンが生まれる可能性は十分にあるといえる。
【まとめ】
人間は常に川と向かい合って生活してきた。はじめは、いかに自分たちの生活を自らの手で守るかという視点であった。そして次第にその視点は広がってゆく。たとえば、環境への配慮は単なる動植物の保護にとどまらず、今後ますます豊かになってゆくであろう人間の文化的な生活の基盤でもある。われわれはいかに水を制するかにのみ腐心するところから離れて、より広い視点から水との共存を考えようとし始めているし、そうあることが我々のすべきことである。長良川河口堰をめぐる議論はその典型であり、利水・治水にとどまらない、人と水との関わりかたを模索する途中経過である。また、音更川霞堤改修工事の例はその問題提起へのひとつの対応の提示である。しかしながら、われわれのしている環境への配慮は生活の基盤であるための配慮であるのならば、単に我々「人類のための環境」への配慮であって、「保護される環境主体の環境」への配慮ではないとも言える。
海、川、水は人類にとってはかけがえのないものであり、蛇口をひねればでてくるこの時代では軽視されがちだが、全ては水から来ていると言っても過言ではないであろう。新しい水との関わりかたを、我々がいかに築き上げるか。またそれがどちらの環境に対する配慮なのであるか。そして何よりも水というものの位置付けがどういうものなのであるか。この例はそのような問題に対して答えを模索する手段の、ひとつのモデルケースであるだろう。そしてそれを模索、思考する上でわれわれが水について新たな発見、理解を見出していくことが私たちの、今この場でできる簡単であり、最もすべきことであるのではないであろうか。
参考資料