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1.今地球に何が起こっているか
3月22日は国連によって指定された国連水の日(World Day for Water)である。この日の設定は「近年の人口増加や経済活動の増加などにより、多くの国々において深刻な水不足や水質汚濁の問題が発生しており、淡水資源の安定供給の確保が大きな課題となっていること」を背景として1992年の第47回国連総会本会議において決議された。つまり、これは国連がこのような水問題を我々人類にとっての大きな脅威のひとつとみなしていることを意味する。実際、国連居住人間会議の環境計画では、「21世紀初頭には、発展途上国の都市を中心に、深刻な水不足が発生し、石油紛争より水資源での紛争が世界的に発生すると警告している。」
世界水紛争MAP(村上雅博氏資料より作成)http://www.idi.or.jp/vision/wwv-02.htm
- 現在水問題で紛争中の地域
- 流域の一部の国同士では協定は結ばれているが全体としては解決していない地域
- かつて紛争があったが、協定が結ばれ、解決に成功した地域
- 水質や生態系など、環境問題で紛争となっている地域
- 国境線など、政治的な問題で紛争がある地域
- 表立った紛争はないが、紛争のポテンシャルがあり、問題解決の必要な地域
上に示す表を見てもわかるように、水をめぐる紛争、また緊張関係は世界のいたるところに存在しているが、ここではその実態を見るため、メコン川を巡る水紛争を一例としてあげてみる。メコン川はタイ、ラオス、ベトナム、カンボジアの下流4カ国と、上流の中国、ミャンマーを流れる国際河川である。ここでは近年、中国のダム計画に「持続可能な開発」を合言葉にあげる下流の4カ国からなるメコン川委員会が反対し、緊張関係が高まっている。中国のような上流にある国が、乾季に水を貯めてしまうと、下流の国は水不足に苦しむことになるからだ。ここで示すように確かに水資源は今世紀の紛争の大きな要因となりえる可能性を持っている。また、このような問題は決して日本に住む我々に無関係であるとはいえない。1983年に国産のペットボトルで初めて売り出されたミネラルウォーターは1997年には国産・輸入を合わせて794,000klも消費され十年間で約10倍になるという伸びを見せている。これは今、世界でも年間8兆円を上るというボトルウォータービジネスの市場に日本が巻き込まれていくことを示す。日本にとって水資源は重要なビジネスチャンスであるとともに、死活問題にもなりえるものである。
2.人間は/人類は何をすべきか?
ではこのような水資源をめぐる紛争に対して我々人間はどのように対処していくべきだろうか。この項ではそれらの解決策をグローバルな視点から提示してみようと思う。ここで必要となってくるのはやはり水をめぐる国際的な取り決めの強化である。先のメコン川の例からもわかるように、水資源をめぐる問題は一国の手におえるものではなく、その川の沿岸にあるすべての国の協力を要するものである。ここでの国益のみを追求する一国主義的な態度は他国との不和を招き、紛争の火種を作り上げてしまう。つまり、そのようなまさに「我田引水」的な行動の規制を行う強制力のある国際的な取り決めを作り上げ、強化することこそ国際機関が果たすべき役割である。ただ、ここでの取り決めは政治的影響をできるだけ排した形で行われなければならない。なぜなら、大国の意思を大きく受けた取り決めは大国による発展途上国の水資源の搾取をただ、法的に肯定化するものとなりうる可能性があり、それは石油の問題でもいわれているような先進国による発展途上国資源の支配を水資源においても行うことにつながるからである。事実、スイスの多国籍企業であるネスレは世界の水源を押さえにかかっているという。このようなことを考え合わせると、このように国益を超越した「宇宙船地球号」的取り決めにはNGOなど、ある特定団体の利益から独立した機関の存在が不可欠であり、それら機関の働きが大きく期待される分野でもある。
3.我々は何をすべきか?
ここでは、もっと個人的なレベルでこのような水をめぐる問題に対して我々が何をできるかに目を向けてみようと思う。ここでは紛争ということにとらわれず、水資源に対して我々が何をできるかということを考察してみたい。個人が他国で起きている紛争について何をするかよりも、自分の身近なところにある水問題に取り組んでいくことの方が現実的であり、それが結局は世界の水問題の解決にも大きく貢献することができると思うからだ。個人的なレベルでの解決策を模索するにあたってまず問題となってくるのは、我々自身の水に対する関心の薄さではないだろうか。初めに上げた3月11日という日が何の日だかわかる人がどれだけいるだろう。私自身もこのクラスをとって、こうやってじっくりと水資源というものについて考える機会を与えられていなかったら、水が実感をもって不足しているということを自分で感じることがない限り、この日について知ることはなかっただろう。こうした我々自身の無知と国連機関などが認識している世界の現状の差、このギャップを埋めていくことがまず必要なことだと思う。特に、日本のように水はタダであたりまえというような考え方が社会に浸透している国にあって、このような現状を一人一人が認識していくということはなかなか大変なことである。NGOなどの機関を通して、人々に世界の水の現状を訴えていくことやそれぞれの個人的な関係において友人などと話し合っていくことは極めて小さなことではあるが非常に有効なことであると思う。しかし、ここでの解決策においてやはり一番重要なことは個人個人が水を大事に使用していくことに尽きるのではないか。このような個人の行動によってある種のメッセージを示すことは日本のように個人個人の関係が極めて密な社会においては、そのメッセージを伝えるのに非常に効果的な方法である。さらに我々自身が水資源を大事にするということは将来水資源が実際に日本にとっても貴重なものとなってきた時、日本国内での水の自給率の維持という点において非常に重要なことでもある。今、日本社会はウォータービジネスをビジネスチャンスとして使えるのか、それとも輸入にたよることになってしまうのかを決定する非常に大きな分岐点に存在するといっていいだろう。つまり、水質保護は世界的な自然保護という点とならんで、戦略的な国内政策的の面においても、必要なものである。家庭的なレベルであれ、NGOなどの活動であれ、日本国内の水汚染に立ち向かうことこれが我々のできる一番身近で効果的な対策であると思う。
参考文献