水の大切さ再認識と淡水資源枯渇問題

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 2002年、年明けてまもなく、阪神大震災から七年の歳月が流れた、というニュースがテレビから流れてきた。食料や衣服など様々なものが不足し、救援物資が求められるなか、ライフラインとなる、水・電気の供給停止は人々を不安と絶望のさなかに追いやった。ことに水は、飲料、調理、排泄、お風呂など生活のどの場面でも必要となり、いかに大切であるかを、直接の被災者でない、関東に住むわたしたちにまで実感させた。事実、近くのスーパー、デパートなどどこに行っても、ボトルウォーターが店頭にたくさん並び、飛ぶように売れていたことを思い出す。誰もが水の大切さを実感した時期であった。あれから七年。時間とともに、わたしたちの意識は、どのくらい変化してしまったであろうか。

 昨年11月に、東京、大阪で約三千人を対象にして行われた災害意識調査によると、最も危険な災害を、地震と考えている人は、全体の約9割であったという。しかし、近い将来に地震の不安を抱えている、という人は4割にとどまり、ほとんどの人は、現実的に不安を感じているわけではないようだ。実際に地震に備えて対策をとっている人は3割弱で、そのうち、水の備蓄をしている人は50.6%であったという。備えをしていない人と理由は「いざというときにはなんとかなる」「大地震がおきても自分や家族は大丈夫だ」「当面、起こるとは思っていない」などであった。(朝日新聞2002年1月10日)

 どこからそんな自信はやってくるのか、と聞きたくなるような調査結果である。時間経過とともに、忘却して、ここまで意識が風化してしまったかた思うと恐ろしい。災害から身を守ろう、という自分自身の危機感さえもここまで薄弱な私たちが、地球全体の、人類全体の危機への実感がいかにないか、は容易に想像がつく。「水が足りない」「かけがえのない資源としての水」。知っていてもなかなか行動に移すことがないまま、なんとなく水との関係を続けているのが、水の豊かな国、日本の現状である。しかし、世界では今、確実に一歩ずつ、淡水資源不足が深刻化していっている。

 1992年の地球サミットから10年の今年、南アフリカ共和国で開催予定の、国連の「持続可能な開発に関する世界の首脳会議(ヨハネスブルク・サミット)」でも、淡水資源問題が話し合われる。この会議では、前回の地球サミットの中心議題であった、温暖化問題、貧困問題に加えて、この十年間に新たに浮上した課題として、淡水資源問題が注目を集めている。「国連の予測では世界の水使用量は2025年には利用可能な水量の約9割に達し、各地で水不足に陥る可能性がある。」(朝日新聞2002年1月14日)

 では具体的に淡水資源枯渇問題とはどんな問題なのだろうか。淡水というのは、地球に存在する水のうち、人間が利用できる水のことで、全体の0.08%にすぎない。地球上の97%は海水で、残りの99%は氷山や氷河として凍っているか、地下にうもれているために使えないので、私たちは残された河川水、湖水、汲み上げ可能な地下水のみを使うことができる。(「Taking Action Chapter11『淡水資源の問題』」より)しかし今、この貴重な淡水が量と質の両面において危険にさらされている。農業排水が川や湖に化学物質、汚水、富栄養化物をもたらし、上水源を汚染し、産業排水は硫黄酸化物や窒素酸化物などを排出し、酸性雨として地上に降り注ぎ、水を通じて動植物の体内に入り込んでいる。このようにして、世界のほとんどの地域が、深刻な水の欠乏と汚染に苦しんでいる。ホームページ『Key Facts on Water Issues』によると、「世界人口の約7割以上の人が、清浄な水を得られず、毎日約25,000人が、不十分な水質源管理のために死亡している」という。

 また、水不足問題は枯渇のみにとどまらず、たくさんの紛争を引き起こす原因ともなってきた。世界人口の約4割が、水を隣国に依存しているからだ。複数国に共有されている河川では今までにたくさんの国際紛争の末、現在では2000以上にのぼる、利水権に関する協定が結ばれてきたという。さらに、企業による水利権の独占も懸念されている。(朝日新聞2002年1月14日)

 では、この淡水枯渇問題を解決するためには、どのような解決策が考えられるだろうか。まず、ふたつの成功例をもとにして考えてみると、霧による淡水の収集、海水による淡水のまかない、などが考えられる。チリの北部、Chungungoという町で初めて成功し、今ではいくつかの地域で取り入れられるようになったのが、霧回収である。メッシュの回収機を使いコストのかからない、完全受動型の水の代替供給方法だ。また、海から簡単な装置を使って得る、海水からの淡水も利用価値がありそうだ。

 しかし、どのような代替供給が可能になろうとも、それを使うひとりひとりの理解、協力が得られなければ、この問題の解決への道はなかなか開かれないだろう。今、淡水枯渇問題は、日本に住む私たちにとっても、決して他人事では済まされないところにまできている。いかにこの深刻な現状を真摯に受け止めることが出来るかが、今私たちに問われている。もし、私たちがこの現実を受け入れることができれば、きっと行動も伴ってくるに違いない。

 それでは、どうしたら「日本は水が豊富である」と過信している私たちが、この問題の深刻さを理解することができるだろうか。私たちの過信の理由のひとつには、情報不足が挙げられる。この情報不足の解決には、マスメディアによる情報提供や、教育を通しての問題提起が考えられる。実際、そのような報道や教育が、なされてないわけではない。日本社会に欠けているのは、持続的な情報供給である。阪神大震災に関する報道は、情報の一時性を物語っていた。情報の持続性こそが、私たちの問題意識を高めることに貢献する。次に、具体的な行動としてわたしたちができることとは何であろうか。節水はもちろんのこと、他にも洗剤やシャンプー、リンスの使用を抑えることで、富栄養化物の流出を減少させたり、省エネにより、発電所から排出される硫黄酸化物、窒素酸化物を抑えたりすることができる。いずれも、日常のほんのちょっとした心がけで実行可能なことばかりである。しかし同時に、スイッチひとつで何でもできてしまう環境のなかで、その便利さに屈することなく持続的に実行するには、非常に難しいことでもある。

 以上のような個人個人の努力こそが、社会全体の水資源枯渇のための対策を成功させる鍵となる。しかし、汚染源発見や、持続可能な下水処理などは、個人ではできないので、コミュニティ単位での対策が必要となってくる。前述したように、しばしば、限りある水資源は、コミュニティ間、国家間の争いの原因となってきたようであるが、既に深刻化してしまったこの段階において、大切となってくるのは、自分だけ、自分の属する社会母体のためだけの水資源確保でなく、地球全体の水資源をいかに効率よく使用していくかが大事であろう。個人、コミュニティ、社会、国家、地球とそれぞれの社会単位でのつながりを大切に、取り組むべきである。ひとりひとりの努力がまとまってひとつになったとき。そのとき解決への糸口も見えてくるかもしれない。

 

<<参考資料>>

1. ホームページ「Taking Action Chapter 11 『淡水資源問題』」
            http://www.erc.pref.fukui.jp/unep/action/11.html
2. ホームページ「Key Facts on Water Issue」
http://www.erc.pref.fukui.jp/unep/action/11.html
3. 朝日新聞「安全判断 過信の傾向」1月10日
 
4. 朝日新聞「淡水資源不足 新たな議題」1月14日

 

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