世界の水問題

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 現在、世界の人口は60億人を突破し、2025年には人口が80億人に達すると考えられている。現在の人口、およそ60億人のうち、水が原因で年間500万から100万人の人が死亡し、そして12億人が安全な飲料水を確保できない状況である。この状況に加え、世界は急激な人口増加、都市開発、産業発展などにより、特に発展途上国を中心に水不足、水質汚濁、洪水被害の増大などの問題が発生している。人口増加が著しいのは特にアフリカ、アジアであり、事態は深刻である。世界各国で、水資源の量は変わらないのに人口がぐんぐん増加していき、そして一人当たりの水量が減り、そして食糧難にもつながっているのである。現在絶対的な水不足に悩んでいるのはアジア、アフリカの31カ国で、2025年にはさらに増え48カ国で水が不足すると見込まれている。日経サイエンス、2001年5月号の記事「2025年時点で予想される世界の利用可能水量」によると、一人当たり490立方メートルの水量しかなく深刻な水不足になるであろう国々は、アフリカではアルジェリア、チュニジア、リビアで、アジアではヨルダン、サウジアラビア、イエメン、オマーン、そしてアラブ首長国連邦である。これらの国々は人口増加率も著しい。また、これらの急激な人口増加や工業の発展に伴って、下水道工事の追いつかない途上国を中心に水質汚濁が問題となっている。

 1998年の国連報告によると、水に関わる病気で子供たちが8秒に1人ずつ死亡しており、途上国における病気の80パーセントが汚水によるものである。そして、世界人口の半分には下水施設が未整備で、淡水魚のうち20パーセントの種が水質汚濁により絶滅の危機に瀕しているという。増大する水需要への対応として過剰に地下水のくみ上げが行われ、この結果、世界各国で地下水位の低下や地盤沈下、砒素汚染が進んでいるというのが現状である。途上国では特に、水資源が不足していると言う問題だけではなく、ある水が汚染されていて手に入ってもそれで病気に感染し死に至ってしまう場合があるというのは、悲惨な状態である。もう一つ、世界中で起こっている問題に洪水被害の増大がある。都市化により埋め立てて土地を利用したり、森林を伐採して山を削ったりといったことが洪水時の流出量を増大させているのである。また、急激な人口増加に伴いすむ場所が少なくなり、氾濫の起こりやすい地域に多くの人々が居住するようになったことも大きな原因の一つである。新しい被害では、2001年のモザンビークの洪水が挙げられる。これから進むであろう問題は、地球温暖化によって、地球上の雨の降り方に変化が現れ、地域的な分布が変わったり、降水量や降雨の強さに影響があったりするといわれている。それにより、今よりさらに洪水や枯渇による被害が大きく、かつ頻繁になる可能性があるのである。

 ここで、人間は何をすべきか考えてみる。今まで述べてきた現在の地球の状況を見てみると、地球に未来があるのかどうかさえ疑わしい。遠く昔から存在している地球の未来を左右するのは、間違いなく現在生きている私たち人間である。水は、私たち人間が生きる上で欠かすことができない。農作物を作る場合、木材を育てる場合、工業を行う場合、そして、何より人が「生きる」場合。全てにおいて水は私たちと深く関わっている。しかし、こうしていろんな場合を列挙してみて気づいたのだが、これらは全て、人間の生活を中心にして考えたものである。地球というのは人間だけが住む場所ではないということをしっかりと頭の中に置いておかなくてはならない。人間のことだけを考えれば、どんどん工業化を進め、地球環境が悪化してもそこでまた新しい技術を発明、発展させれば、などという安易な考えが生まれないとは言い切れない。しかし、地球はそんなに単純なものではなく、また私たち人類は他の動植物の存在なしでは、生きていけないのである。現に、人間中心に考えてきた結果が世界中に顕著に表れている。工業化による水質汚染も、地下水の過剰くみ上げによる地盤沈下も、増大する洪水被害も、人間が人間のために行ってきたことである。それらによって、現在、動植物はもちろん、人類までもが大きな被害を受け、深刻な問題を抱えているのである。人類にとってみれば自業自得のことではあるが、このままではいけない。私たちはこれらの問題に正面から向かい、考えねばならないのである。しかし、人類全体の問題とはいえ、まず基本は個人個人が気をつけ、なにかできることから始める事が一番重要ではないか。

 特に私たち日本人は世界でも稀な水資源が豊富な国である。このような裕福な国の中だけで育っていると、現在地球上で起こっている深刻な問題に直面する機会は少ない。このような、低い意識では、過ちをいつまでも繰り返してしまうだけである。まず、身近なところから考えてみることが大切である。生活していく中で毎日、使うものが水である。何処にいっても普通に蛇口をひねれば透明な水がとめどなく出てくる。その水は飲んでも平気である。塩素のにおいはする事はあるが、飲む事ができる。病気になることはかなり稀である。ジュースやお茶を溢してしまえば「もったいない」という意識が働くが、水の場合はなんとも思わない。気になるとすれば水道代のことくらいで、「水」自体のことを真剣に考える機会は無いに等しい。この意識の低さが、世界の水不足を引き起こしているといっても過言ではないと思われる。私たち日本人にとっては、水は日常当たり前のものであるが、アフリカや他のアジアの国々にとってはそうではないのだ。今現在も、毎日の報道で分かるように、アフガニスタンでは深刻な水不足で農作物の収穫量はかなり少なく、飲み水の確保も厳しい状況である。そのことと自分を比べた時、風呂の水を溢れさせ、水を出しっぱなしにして歯を磨く自分を恥ずかしく思い、悔いた。「この水で一体何人の命が救われるのだろう」と真剣に考えた。直接彼らを手助けすることは出来ないが、今現在自分が置かれている裕福で満たされている状況を、少なくとも意識し、毎日食べているもの、使っているものを生産するのに大量の水が用いられていることを考えることは無駄ではない。日本は農産物も工業製品も木材もほとんどを輸入に頼っている。それらの製品は大量の水を使って作られているのである。

 私たちのように、たまたま裕福で資源のある国に生まれてきた人間は他の国々に対して、大きな責任を持っているように思われる。他国のことを考えず生きていくことはいくらでもできるが、そのような姿勢では地球は長く続かないのである。自分の身にも必ずいつか降りかかってくる危険性があるのだ。水に不自由していない今だからこそ、日常生活から水の節約を心がけ、日本のほかの地域の事、世界のこと、地球の事を考えていくことが大切なのだと思われる。

 

参考資料:小林映章「水の話」3章 水資源 
     水フォーラム「世界の水問題」世界の水を使う日本
     国連資料
     世界保健機関資料
     「アフガン いのちの基金」ペシャワール会 
     Stockholm Environmental Institute, Comprehensive Assessment of the Fresh-water Resources of the World, 1997

 

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