水資源の危機

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 人間の生活は水の存在を前提としている。生命の維持のみならず生物の誕生も水があってはじめて可能になったものである。辞書にも、私たちの生活になくてはならないものと書いてある。長い梅雨や度重なる台風の猛威に加え水害まで発生すると,われわれ日本人は水の重要性を忘れて水はもう沢山だと不平を言う。考えてみれば,水に事欠かない日本人は幸せな民族である。かんばつが続き,大地は乾燥し,農作物が育たず大量の飢餓死を出しているアフリカの実状をみれば,水なくして生命現象はあ

り得ないことは容易に理解できる。

 

 水の惑星といわれる地球。しかし、最近では水不足が強く叫ばれるようになった。それはなぜだろうか。確かに地球の大部分は水だ。でもその多くは海水で、人間がそのまま使うことはできない。真水というのは約2.5%しかない。しかもそれらは北極と南極で氷の姿として存在しているので、これもまた人間は使えない。人間の使用できる地下水などの水はわずか0.8%にすぎないのである。蛇口をひねれば永遠に流れ出してきそうな水だが、実はほんの少ししかない貴重な自然の恵みなのだ。

 

 「20世紀は領土紛争の時代だったが、21世紀は水紛争の時代になる」といわれている。 発展途上国の人口増加と生活の向上は、水の需要を爆発的に増大させると予想されている。飲み水だけでなく、食糧を作るのにも水が必要となってくる。特に、アジア、中部ユーラシア、中近東、アフリカなどには慢性的な水不足に悩む国々が数多くあり、人口増加に伴って急激な水質の悪化も見られる。

 

 先進国においても、国際河川をはじめとして上下流で水をめぐる問題が起きており、水量や水質に関して、国際的な取り組みが始まっている。また、洪水はアジアモンスーン地域をはじめとする世界の多くの地域で、尊い人命を奪い、経済活動に大きな打撃を与えている。日本でも2000年9月の東海豪雨による洪水で名古屋が水没したのは記憶に新しい。

 

 今でも世界の三分の一が、水不足に悩んでいる。温暖化は乾燥地の水不足を悪化させ、水不足に直面する人口は三十年で倍増するだろう、と言われている。生物の多様性が保たれた環境は、見て美しいだけでなく環境浄化もしてくれる。だが、世界の生物種のうち15%が絶滅の危機にある。特に熱帯雨林、高山、極地は厳しい状態だ。

 

 水は、有る所と無い所の差が激しい資源である。ということは、人口が増加すると、ひとり当たりの供給量が減少することになる。実際に、1970年以来、世界人口が約18億人増加したため、世界のひとり当たりの水供給量が3割以上減少している。現在、26カ国(合計人口2億3200万人)が極端な水不足に悩んでおり、水逼迫国と呼ばれている。また80カ国で水の供給が不十分で、世界の人口の約40%が日々の水の確保に苦しんでいるという。

 

 多くの水逼迫国があるアフリカでは、深刻な水不足に見舞われる人口が2010年までに4億人に達すると予想されている。これは予想されているアフリカ大陸の総人口の37パーセントにも相当することになる。また、アフリカ諸国をはじめ、中近東や中国、中央アジアなどでは、むこう25年間で人口が倍増するため、水の供給が困難になるのは避けられないとみられている。

水不足が深刻な問題になってきている中で、その少ない水を汚染するということは我々人類の生命を脅かすより大きな問題だ。

 

 生きとし生けるものにとって欠かせない水。この水が人間の科学文明によって自然の自浄作用が効かないほどに汚染されてしまった。都市開発のために森林は切り倒され、雨は地に染み込み、地下水になることなく川に流れ洪水の原因にもなる。森林伐採はCO2を増加させ地球温暖化を促す。温暖化は水を蒸発させて、より水不足を深刻にしている。5人に1人はきれいな水を得ることができずにいるといわれている。毎日水汲みのため、学校に通えない子供たちもいる。日本でも取水制限が行われるなど深刻な問題だ。もはや自然保護は地球のため、人類のためだけではなく、自分のためにしなければならないのだ。

 

 しかし、私たちは欠かせないはずの水を汚染し続け、同時に無駄遣いもしている。それは、私たちが生きるために便利を求め続けているからだ。洗濯や皿洗いなどに使われる洗剤。工場などから出る汚染物質。よどんだ色の生活排水が家々から川へと流れ出し、悪臭をまき散らし、川の生物を殺している。かつては生活の中心だった川も、今では便利な暮らしを求める人間の生活廃棄物をつめ込んで海に運ぶパイプと化している。このような川の汚染は全国で進行し,しかも最近の水質汚染は工業廃水よりも生活廃水による所が大きいという。もちろん、私たちはそれを好き好んで行っているわけではないのだが、生きていくためにしょうがないことなのだと自分に言い聞かせて、現実から遠いところで受けとめている。私だって同じように水を無駄に使ってきた。水は再生可能な資源の一つである。再生可能であるという水の特性が,われわれに「水は汚しても,もう一度きれいにすることができる」という安易な考え方をもたらしたのかもしれない。水は再生可能な資源といえども,再生には限界があることが分かる。しかも汚染の種類によっては,循環の途中で人類に強烈なしっぺ返しがくることが,水俣病やイタイイタイ病などから見られる。

 

 インドのカルカッタ周辺の農村地帯では、地下水がヒ素で汚染されているという。井戸水を飲んでいる17万人もの住民が中毒症状に苦しみ、死亡する患者も続出している。この地域では、約20年前から潅漑用水を大量にくみ上げるようになったため、地下水位が下がり、黄鉄鉱や硫ヒ鉄鉱の地層と空気中の酸素が反応し、ヒ素が発生したものと考えられています。また40年以上も前に始まったロシアの南ウラル地方の放射能汚染が今も進行している。放射能の総量はチェルノブイリの22倍もある。このように、世界全体の地下水が汚染されている。UNEP(国連環境計画)が公表した「地球環境白書」によると、現在世界人口の3分の1に当たる17億人が 危険な水を飲んでおり、このために毎日約2万5000人が死亡しているということだ。 この地球には、人間だけじゃなくたくさんの命あるものが生活しているのに、人間だけが生きるためにこのまま水を汚し続けていけば、近い将来に水の生命が絶たれてしまう可能性だってあるのだ。そうなることを防ぐためには、私たちが水と共に生きてゆくことしか方法はないのである。年々、汚れてきている水。植物が育たないと酸素ができない。酸素ができなければ動物も生きることができない。地球上のものの全てが必ずどこかで水と関係がある以上、このまま水の汚れが進めば、全てが滅んでしまう。

 

 もし、私達が勉強してきたことを活かして、水不足や水質汚染に苦しむ地域をなくすことができれば、こんなに嬉しいことはない。

 

 これからは、使う水の量も洗剤の量も、食べ残しも、飲み残しもすべて地球上の水に影響するのだという意識を持って生活したい。水を汚すのも人間だが、きれいにしようと努力できるのも、研究できるのも人間でしかないのだから。

 

 この地球が誕生した時から、たくさんのものに命を与え、地球を青く澄んだ星にしてくれた水。共に生きてゆくためには、私たち一人一人が常に自覚し、意識して生活してゆくことが必要なのだと思う。例えば、皿洗いに使う洗剤。毛糸で作られたアクリルのたわしを使えば、ほとんど洗剤を使わなくても洗うことができる。それに、風呂の残り湯。これは、ホースやポンプで洗濯機につなげば、水の再利用に結びつくのである。このように、私たちが水のためにできることは、毎日の生活にあふれている。だから、水に対してこんな風に接していけば、いつか水は本来の美しさを取り戻すことができるだろう。水が美しくなるということは、ゴミのポイ捨てなども減るだろうし、汚染物質の流出も防ぐことができると思う。つまり、環境問題を解決することにつながるのだ。もちろん、簡単に口で言って解決されるわけではないが、私たちが力を合わせて水のためにできることを考えて、実行に移してゆくことができれば、私たちは水と共に暮らしてゆくことができるのではないだろうか?このことを現実にするためにはおそらくこの先何年もかかるだろう。しかしながら、決して不可能なことではないはずだ。私も、水のためにどうしたらよいのか真剣に考えて、これから生活していこうと思う。

 

 最後に、私たちが、この先の未来を水と共に生きるために、世界中の人々がこの問題について一丸になって取りくむようになるには、今からでも決しておそすぎるわけじゃないから、一緒に水について考えてほしいと思う。

 

<情報源>

「世界水ビジョン」:http://www.idi.or.jp/visiion/wwv-01.htm

「地球は今」:http://www.ecology.or.jp/earthnow/9809.html

「01国際シンポジウム地球はいま」:http://www.tokyo-np.co.jp/forum/chikyu/kichou.html

 

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