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朝日新聞(2001年12月27日、朝刊)によれば、中国内陸部で深刻な干ばつが起きているという。
主な原因は伐採による森林の減少だ。特に黄土地帯は元々土がやせており、しかも時折降る集中的な豪雨のために比較的肥沃な表土もすぐに流出してしまう。また、最近の人口増加と拡張政策のもとで、住民は次々と林を切り開き農地にしてきた。農地にしても何年も持たないのでさらに林を切り開く。このことが砂漠化に拍車をかけ、そのために干ばつが起きるという図式である。一部の地域では飲み水の確保もままならない。
これに対して中国政府は「南水北調」という大運河計画を立ち上げた。長江の水を運河で河北へ流すというものだ。まさに中国的な大土木工事と言える。また。「退耕還林」という政策も実施している。その名の通り、干ばつ地帯の住民に農地を手放させてその一帯を森林として再生させるというものだ。これらの計画が成功すれば、ある程度の成果は現れるものと思われる。
しかし干ばつは中国ばかりの問題ではない。隣のモンゴルでの干ばつも記憶に新しいし、アフガニスタンでのそれもしきりに報道されている。アフリカでは毎年どこかの国で干ばつが起きている。それらが起こるのは、無計画な開発によるところが大きい。開発といっても、その地の住民が畑をつくったりするレベルのもので、彼らはその日生きるのも精一杯なのだから当然 計画性などなくなる。
これに対して、世界は少なくとも2つのことができる。まず一つ目。即効性のしかしその場限りの対応として干ばつの発生した地域に早急に援助物資を送る。それも、干ばつが発生してから動いていたのでは遅い。どこかで起こることは自明の理なのであるから、あらかじめ大量の物資を備蓄しておくべきだ。余裕のある各国が平時から充分な物資を供出しておき、いざという時にはそこから惜しみなく送る。あらかじめ供出しておけば、いざ送る段階で各国間の駆け引きが生じて遅れたりはしない。いささか理想論的であろうか。二つ目は、より長い視野で行う。現地の人々を教育し、技術を与え、必要なら資金も出し、際限なく林を切り開くような農法をしなくても良くなるようにするのだ。これならば将来への展望も見えてくる。我々は、余裕のある国の国民として、こうした場合の援助を惜しむべきではない。
一番簡単に我々が参加できるのは募金である。また、思い切ってNGOなどに参加することも出来る。例えばこのアドレス(http://member.nifty.ne.jp/gentree/sanka.html)の団体では、リーフレット置ける場所をさがしている。それを紹介するだけでも、第一歩だ。
朝日新聞(2001年12月28日、朝刊)によれば、沖縄の米軍基地移転問題で移転先は本島東海岸のリーフ上に決まったという。
リーフは珊瑚礁の浅瀬で、問題の海域はジュゴンの生息地の中央にあたる。つまりジュゴンは生息地を分断される形になるわけで、隅の方を削られる場合よりも深刻である。この海域での絶滅の危険性もあるという。
むろんその他の側面も持つが、この事件は軍事上のニーズが生態系を守ろうという動きに対して未だに優位に立っていることの象徴でもある。「海の生き物より輸送機」である。これは世界的に起こっていることであり、大は珊瑚礁での核実験から小はジャングルでの戦闘まで様々だ。本当ならそんなことは有り得ない。(米軍がどうのこうのというのはひとまず置いておいて)軍事力のバランスが崩れれば平和が乱れる可能性があるかも知れないが、生態系のバランスが崩れれば人間の生存すら難しくなる可能性があるからだ。
特に、珊瑚礁の生物は炭坑のカナリアに例えられることがある。とても敏感に異変を察知して死んでしまうからだ。そのカナリアを籠(珊瑚礁)ごと葬り去っては話しにならないではないか。この場合、新基地をフローティング式にすればよいというものでもない。どのみち光が届かなくなれば珊瑚は死んでしまう。
一番わかりやすい解決方は戦争と軍隊をなくすことだが、これは非現実的である。ただ、軍隊を持っているのは国であり、国を構成しているのは我々だ。とすれば、我々の言葉が大きければ大きいほど、また、政府内部に潜り込めば潜り込むほど影響力は増し、事態の改善に役立つのではないか。声を発するにはどうすればいいか? 水族館へ行く。図鑑を読む。NHKの自然番組を観る。とりあえずはこれで充分だ。これだけでも認識は大きく変る。くだらないと思う向きもあるかも知れない。だが、例えば私はよく水族館へ行くが、しょっちゅうトビハゼの水槽の前で「○○ちゃん、ムツゴロウやねぇ」と言う親を見る。泥の上を動く魚はみんなムツゴロウと呼ぶものだと思っている。目の前に説明書があるのに。この程度の認識では何も変らないわけである。ジュゴンとアシカの区別がつかなければ、本気かつ効果的に発言することなど出来ようはずもない。
これも朝日新聞(2001年12月22日、夕刊)から。失業率が高く、ナイル川のダム湖で釣をしてしのいでいるというリポートである。2点、思う所あった。 http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20020111/mng_____thatu___001.shtml
一つ目は釣り人の心意気。「よどんだ流れとくすんだ色、漂う悪臭……」と尻込みする筆者に対して、「火を通せば大丈夫」「うまい」と自信を持って魚をすすめる。思えば、東京湾岸の魚も似たようなものだ。無論、毒性がありそうな水域のものは食べてはいけないが、それ以外なら日本人も尻込みせずに食べてしかるべきだろう。そうすればホームレスの方も少々ましな生活が出来そうではないか。
二つ目。写真に何気なく写っているダムの堰の巨大さがわかるだろうか? そして周囲はコンクリートで固められている。これが、さきほども触れた水の汚れの一因である。岸を固めてしまったために川の自浄作用が死んでしまう。日本と同じ情況だ。これが、世界中の河川で治水の一環としてよかれと思って行われている。だが、不自然なやり方である。どのように不自然かは、未来の海岸を想像していただきたい。南北両極の氷が溶けて海水面が上昇した場合、海岸の都市を守るために海岸線を堤防で囲むだろう。砂浜はなくなり、堤防の直線で海と隔てられる陸。不自然だ。この「海」を「川」に置き換えたのが現状である。
川の自浄作用をある程度呼び戻すためには自然の岸に戻す必要がある。そのためには、上流に植林するなどの治水法と、万が一のために河原を広く取り土手を高くすることの二つを組み合わせるのが定番だ。前者は大河の場合他の国にまたがる場合があるし、後者は付近に既に住んでいる人々を移動させたうえ、大規模な土木工事をやり直さねばならず、一国には負担が大きかろう。どちらも国際的な協力が必要である。水を守るための資金・技術の援助が望まれる。
ところで、一つ手っ取り早い方法がある。コンクリート護岸部分に「ビオフィルム」というものを貼る方法だ。これは溶岩などの多孔質の岩で出来たパネルで、これを護岸部分に貼ることでその孔を足がかりに生態系が育つ。「渋谷川ルネッサンス」という団体が渋谷川にこの「ビオフィルム」を貼るために資金を集めている。この団体の場合、お金を寄付する必要はない。資金提供すると、同額に相当する彼らの地域通貨「r」と交換される。この「r」は協賛している渋谷川付近の喫茶店などで使用可能だ。ここに資金提供することで、渋谷川を実験台にして「ビオフィルム」の効果を示す活動に我々も参加することができるわけだ。それは、いずれ世界への一歩となるだろう。問題は、「ビオフィルム」を貼り付ける許可が都からおりる気配がないことだが。