資料1:2003年1月27日(火)読売新聞 朝刊
水問題の国際会議「第三回世界水フォーラム」の事務局長、尾田栄章さんについて紹介している記事である。この記事の中では、水は21世紀最大の国際問題になるので、会議の参加者が自主的に作る会議が必要ということで、尾田さんが取り組んでいるインターネット上に作られた「仮想会議」の取り組みや途上国の厳しい水事情を報告する「水の声」制度を紹介している。
資料2: 第二回世界水フォーラムの報告のHP
http://www.idi.or.jp/vision/wwf2.htm
オランダ・ハーグにて開催された第二回世界水フォーラムについての報告がなされている。世界の水問題と日本との関係にも触れられており、世界の人口の5分の1の12億人の人々が安全な飲料水を得られず、30億人近くの人が十分な衛生設備を利用できず、都市化に伴う土地利用の変化や森林伐採による洪水の被害が増大する中、こうした水問題は日本においても無関係ではないことが述べられている。なぜならば、世界の国々から多くものを輸入しており、それらは多量の水を使って作られる農作物、工業製品だからである。
資料3:第三回水フォーラムのHP 「水フォーラムの背景」
http://www.worldwaterforum.org/jpn/wwf02.html
水問題に関する世界の動きとして、1977年の国連水会議、1992年の水と環境に関する国際会議、1992年の地球サミット(環境と開発に関する国連会議)を経て、1996年に世界の水問題の専門家、学会、国際機関が中心となって設立された世界水会議(WWC)について記されている。その後、1997年に第一回目の世界水フォーラムがモロッコにて開催され、「21世紀における世界の水と生命と環境に関するビジョン」の策定が提唱され、2000年の第二回世界水フォーラム(オランダ)で、世界水ビジョンが発表された。世界の主要な水問題として @水不足 Aアクセスが困難な状況 B水質汚濁 C細分化された水管理体制 D資金源の減少 E政策決定における認識不足 F世界の平和と安全保障の危機 とを挙げている。また、日本で開催される第三回世界水フォーラムに向けて、議論から行動へ移すために、対話の促進や、解決策の明確化、水問題が自分の問題だという認識を高めることなどを目標として掲げている。
資料4:世界水フォーラムのHP 「水の声」
http://www.worldwaterforum.org/voice/jp/
世界各国の水問題に対する意見を公開している。例えば、ザンビアの農業を営む女性の声では、降雨量が少なく、水不足に困っている上に足が不自由なので5キロ離れた近くの川にも行けず困っているという水を切実に必要としている様子が伝わってくる。
資料5:京都府の世界水フォーラムのHP 「世界の水問題」
http://www.pref.kyoto.jp/wwf3-kyoto/main.html
世界の水問題として、水危機を招く人口増加、水不足、水質汚濁、地下水問題、洪水被害、都市化と水問題、水と温暖化を挙げている。
資料6:こども国連環境会議(JUNEC) 「水と生きる」
http://www.junec.gr.jp/report/
水と生きていくための方法について述べられている。世界中で使える水の量1.3兆トンを人口50〜60億人で割った場合、一人当たり250トン(ドラム缶で1000本)しかない。限られた水を有効的に使用するためには水を循環させることの大切さを主張している。あるがままの水を使うということを尊重していかないと、水が足りなくなってしまい、水の権利をめぐって争いが生ずるようになってしまう。すでに、もともと水の少ない中東では、シリアとイスラエルの間で水をめぐっての争いが、アメリカとメキシコでは渇水のあった1995年にメキシコからの水の援助をアメリカが断るといった事態が生じている。
私たち日本人は、水道をひねれば簡単に水が手に入るし、その水も無限にあるかのように錯覚している。そのため、地球上で生じている世界の水問題はまったく自分達とは関係のないことだと思っている傾向がある。しかしながら、以上のような資料を元にしながら、今、地球上に起こっていることを考えると、地球上には水を巡るさまざまな問題が生じており、そうした問題は非常に深刻で、私たち日本人が無関係ではいられない状況であることを痛切に感じた。
世界の水問題には、まず人口増加に伴う水不足がある。現在60億人を突破した人口が、2025年には80億にも達するとの予測がなされている。ただでさえ、水不足が深刻な現状において、状況がますます深刻になることが懸念されている。水不足の現状としては、アジア、アフリカなど31カ国において、水が絶対的に不足している。水不足が原因で年間500~1000万人の人々が亡くなり、12億の人々が安全な飲料を確保できずにいる。水不足は食料不足にもつながり、8億人の人々は一日2000カロリー未満の栄養しか摂取できていない。また、急激な人口増加や工業の発展に伴い、下水道等の設備が追いつかない途上国では、深刻な水質汚濁に直面している。途上国の80%の病気は汚水が原因とされ、子どもに至っては、汚水が原因の病気で8秒に一人が死亡している。世界の人口の50%は下水道設備が不十分なままである。また、こうした水質汚濁によって、魚は絶滅の危機に瀕している。水の需要が増えることによる過剰な地下水のくみ上げは、地下水位を低下させ、地盤沈下を引き起こしている。地下水の影響は地下水の水質の悪化や河川流量の減少など水循環全体に影響を及ぼしている。また、都市化が進行することによって、森林の伐採などが行われ、その結果洪水が頻繁に起こるようになっている。しかしながら、人口の増大によって洪水の恐れのある危険な区域にまで人が居住するようになっており、ますます被害が大きくなっている。さらに、地球温暖化は気候を変化させ、そうした気候の変化が更なる洪水の被害や渇水を引き起こしている。
このような水をめぐる問題によって、時には国や地域が争うこともある。1967年のシリアとイスラエルの六日戦争は水も原因の一つであった。シリアが上流で水を取ってしまうと、下流のイスラエルには水が来なくなってしまうという水の取り合いから生じたものである。現在でも、水をめぐる紛争は多発している。こうした水を巡る紛争解決も含めて、世界の水問題について世界的に話し合い、そして、今後の水利用の展望などを明確化するための会議が1997年から開始された世界水会議による、世界水フォーラムである。水を巡る世界的な問題がこれだけ増えていることを受けて、世界が一丸となって、協力し、持続可能な水利用について模索していこうという動きにつながっているのである。
人類は何をすべきか
以上のような地球上で起こっているさまざまな水問題を受けて、まず、人類がすべき事は、知識を身につけることだと思う。世界的な水の循環はどのようになされているのかということ、つまり、雨として地上に降り注いだ水は、土に染み込み、それが森林によって貯えられ、時間を経てろ過されてから、地下水へと流れ出し、やがてそれが川へ水を供給し、川の水は海へ運ばれ、海から水が蒸発して再び、雨が降るということを正確な知識として学ぶことが、まず人類のすべきことだと思う。このように、水が循環しているものだという認識をもって、初めて、その循環の途中で問題が起これば、水を利用できなくなるということがわかると思う。逆に、そうした認識がないままに、いくら水を大切にしようといっても、うわべだけで終わってしまうだろう。こうした水の循環についての知識があって、世界の水問題も理解できるようになる。現在問題となっている水問題は、水の循環のどこに問題があるのか、その問題を改善するためには人間はどうすればよいのか、そうしたことを世界中の人みんなが共通の認識として持つためには、やはり、水の循環の仕組み、そして、世界で起こっているさまざまな水問題についての知識をもつことは、水問題に取り組む上での前提条件となってくるだろう。しかしながら、貧困に苦しみ、生存のためにはなんとしても水を獲得したい人々に対して、水に関する知識を得ようと呼びかけてもあまり効果がないだろう。彼らにとっては、そんな知識よりも生存を左右する水の獲得が先決で、そのためならば、水の循環にとって悪影響を与えることでもせざるを得ない現状がある。水についての知識などと悠長なことを言っていられるのは、水の獲得に苦労していない一部の人間だけなのかもしれない。
しかしながら、そのように嘆くだけで何も行動しないのでは、世界の水問題について悪化するのをただ傍観するだけである。確かに、生存を左右するくらい水の獲得に困っている人々にとっては世界で起こっている水問題についての知識は二の次かもしれないが、やはり、水についての教育をする必要があると思う。なぜならば、水問題は一部の人々だけでなんとかできることではないからである。そして、水についての教育という面においては、国際的な機関が援助していく必要があるだろう。このように、水についての教育を世界的に行っていくことがまず第一に必要だと考える。
このようにして、水問題についての知識を得たならば、世界中の人々の水に対する意識に変化が生ずるはずである。今まで、無知ゆえに、途上国で工業用水を川に垂れ流して、水の汚染を引き起こしていた人々や水は水道をひねれば永遠に出てくるものだと思って、水を必要以上に使いすぎていた人々は、これではいけないという意識が生じるはずである。そうした意識を持った上で、行われるべきなのが、世界水フォーラムのような国際的な話し合いである。世界の水問題を改善していくために、今後どのような方針を持って行動していけばいいのかという事は、世界の共通認識とならなければひとつにつながっている水問題の解決には何ら意味がなくなってしまう。そこで、国際的な取り決めの場が必要となるだろう。そういった意味で、世界水フォーラムは非常に画期的な会議ではあると思う。しかし、参加している人が一部の人に限られているという問題点がある。こうした会議に出席できるのは、情報を一番得やすいということもあって、水に関する専門家や学者がほとんどである。さらに、わざわざ遠い外国の地まで赴くとあれば、それなりの資金が必要となる。その結果、本来、もっとも水不足が深刻で、水不足が国民の生死を左右するような途上国からの参加者というのは、先進国に比べて少なくなることが予想される。しかし、世界の水問題は、地球人みんなの協力無くしては解決の糸口はない。それゆえ、こうした会議の場をより多くの人々に知れ渡るようにすると共に、各国の参加者に偏りがでないように、世界水会議の側から招待する形をとってはどうだろうか。そのための資金は先進国側が多く負担するという形で、地域に偏りをなくし、ある国や地域にだけ有利にならないような話し合いや取り決めが必要である。
そして、こうした取り決めが決まったら、それに基づいて、世界中の人々が一致団結して水問題に取り組んでいくことが必要である。そして、自分の利益だけを優先させることのないように、他者の視点に立って物事を考えられるようにすることが大切である。そのための有効な手段として、現在、世界水フォーラムで行われている、世界各地からの水に関する意見や訴えをインターネット上で発言したり、閲覧できたりする「水の声」は今後も活躍していくだろう。私自身、この「水の声」による、世界各地の人々の生の声は非常に説得力があり、考えさせられた。特に、水不足を訴えるアフリカの人々の声は、水問題の深刻さを実感させられた。
以上のように、世界の水問題に対して、私たち人間がすべき事は、水問題に対しての知識を得て、それぞれの問題の深刻さを認識し、世界のみんなで今後の水利用のあり方について真剣に考え、そして、行動していくことである。
私たちは今、何ができるか
私たちが、今いる場所でできることを考えるにあたって、この場合は、日本において日本人ができることとして考えてみたいと思う。まず、私たち日本人ができることとしては、先にも述べたような水問題についての知識を得る事はもちろんだが、たいていの場合、こうした問題についての知識は、学校教育の中で環境問題の一環として扱われている場合が多い。よって、知識については、大方の人が獲得しているだろう。しかしながら、知識として得てはいても、いまだ他人事といった感が強い。水不足が問題になっているとはいっても、降水量の少ない年の夏に、時々節水の呼びかけがあるくらいで、まさか人間の生命に関わるほど深刻な水不足は日本人には無縁だという意識が根強い気がする。日本は、降水量にも恵まれているし、上下水道もほぼ完備されており、水道をひねれば簡単に水が得られるため、世界の水問題ということを頭では理解してはいても、それが本当に深刻な問題だということを実感として感じてはいない。
日本人がまず、できる事は、世界の水問題が自分と多くかかわっているのだということを学ぶことだろう。水は循環している、それゆえ、世界で生じている水不足は日本にももちろん影響を与えるし、そして、途上国で引き起こされている水不足には日本も大きくかかわっているのだという意識を持つことが必要である。集めた資料の中にもあったように、水は、農作物や工業製品を作る際に必要である。途上国は外貨を稼ぐために、国民の飲料のための水や国民が食する農作物のための水を犠牲にしてでも、輸出用の農作物や工業製品のために水を利用する。そして、日本人はそのような犠牲の上にできあがった農作物や工業製品を利用しているのである。特に、農作物は輸入品に大きく依存している日本では、そういった仮想水利用では、世界の多くの水を利用していることになる。また、途上国の水不足だけでなく、途上国で近年頻発している洪水問題も、日本と無関係ではない。輸出用木材のために森林を大量に伐採したり、輸出農作物を増やすために、農地拡大のために、森林を破壊したりした結果、水の貯水機能である森林が減少することで、大量の雨がそのまま地上に溢れて洪水を引き起こしてしまうのである。
以上のように、日本人は世界の水問題に深く関わっているし、さらに、日本国内の水質汚濁や地下水問題、都市化による水問題など、水問題は私達の身近な問題だという認識を持つことが私たちにできる第一歩である。そして、こうした意識をもって、次にすべき事は、水問題を解決するための行動である。しかしながら、頭で理解していても、なかなか行動には結びつきにくい。そこで、必要となってくるのが、体験である。実際の体験に基づいた記憶や意識は、その後の行動にも大きく影響するものである。それゆえ、私たちは、世界や国内の水問題がどれほど深刻なのかを身をもって経験することが必要である。それは、例えば、身近な川の清掃のボランティアをしながら、寡占の水質汚濁を体験したり、水不足に悩む途上国の実態についてのビデオを見るなど、できるところから始めればよい。
そして、そのような体験によって強烈に印象付けられた水問題への意識は、日常生活の中での水に対する姿勢に変化をもたらすだろう。例えば、ほんの些細なことだが、歯を磨く間、水を出しっぱなしにしないだとか、風呂で体を洗う間、シャワーを出しっぱなしにしない、風呂で入浴剤は使わない、油をそのまま下水に捨てない、紙を無駄に使用しないといったことである。こうした些細な日常生活の変化が積み重なることによって、水問題に対して、大きな影響を与えることができるようになるのである。つまり、私たちにできる事は、まず、世界の水問題が自分達とは無関係ではないということをしっかりと自覚した上で、水問題をじかに体験し、その体験から得た意識を日常生活に結びつけ、水問題に配慮しながら、水を大切に利用していくということである。
参考資料
読売新聞 2003年1月7日 朝刊 「顔」 水問題の国際会議の事務局長 尾田栄章さん国際建設技術協会のページ 「第二回世界水フォーラム」http://www.idi.or.jp/vision/wwf2.htm
世界水フォーラム 「フォーラムの背景」http://www.worldwaterforum.org/jpn/wwf02.html
世界水フォーラム 「水の声」 http://www.worldwaterforum.org/voice/jp/
京都府のページ http://www.pref.kyoto.jp/wwf3-kyoto/main.html
こども国連環境会議のページ http://www.junec.gr.jp/report/