今地球上に何が起こっているか
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b.今地球上に何が起こっているか/情報が伝えていることは何か?

・水問題=環境問題、地域紛争、人口問題、貧困問題、・・・

 水問題・水危機という言葉を新聞などで目にするようになってきた。では、水問題・水危機という言葉から連想される問題とは何か?一般的に水環境の汚染や、設備の整わないために安全な飲料水の確保が難しいことなどが連想されるのではないだろうか。しかし、今日の水が関わる問題は、それらに限ったことではない。いまや水は、上記したとおり、地域紛争、人口問題、貧困問題などのグローバルな問題に関して非常に重要な位置を占めており、さまざまな問題がリンクするその中心には水があるといっても過言ではないだろう。

 

@ 途上国における人口増加

なぜこうも声高に水問題が叫ばれるようになってきたのであろうか?この背景のひとつには途上国における人口増加が挙げられる。人口の増加がなぜ水問題に直結するのか?

 まず、人口が増加すれば、それだけ水の需要も増加する。第一に安全な飲み水の確保。飲料水の需要も必然的に増加する。しかし、資料にも書かれているとおり、現在においても安全な水を確保できない人々は約12億人。途上国における病気の80%は水質汚染が原因となっており、8秒に一人のペースで子どもが水に関する病気で亡くなっているといわれているのが現状だ。

第二に、生活していくための、洗濯や入浴に使われる「生活用水」の需要も同時に増加すると考えられる。もちろん、飲料水の確保が十分でないのだから、生活用水が十分にあるとはいえない。人間が生きるために必要最低限の給水量は一日当たり20P。しかし国連によると、それに満たない国が33カ国。風呂・洗濯ができる「まともな」生活には50P必要とされるが、それ以下の国は計62カ国に上るという。

 もうひとつ、人口の増加に伴って大幅に需要が上がると考えられているものがある。それは「食料」。人口増加に伴い食糧難の時代が来る、というのか俗に言われる食糧問題だが、ここでも鍵を握るのは水の存在である。なぜかというと食料需要が高まるに従い、実はそれらの食料を育てるために農業用水の需要が大きくなるからだ。沖助教授のインタビューにもあるとおり、光合成率の高いトウモロコシでも、人間が食べる粒の部分だけを考えると、重量あたり2000倍の水が必要とされる。高くなる作付面積に対して、必要とされる食料に対して、農業用水を確保できるか?灌漑施設を作れるか?それがだめなら必要なだけ水を国際マーケットから買うことができるのか?食料を買うことができるのか?こうして、実は食糧問題や貧困問題は、水問題に直結しているのである。

 『まかなえる水の量と、人口増加に伴い必要とされる水の量とのバランスが取れない。』安全な飲料水の確保ができないこと、水不足によって食糧難や飢餓が引き起こされること、というのがこれからのしかかってくる水問題なのである。

 

A急激な水消費量の増加が自然界に与える影響

 以上のように水需要が高まっていることが分かったが、急激な水の需要によってすでに自然界にも変化が起こっている。毎日新聞に掲載されている富士山湧水の減少も、死海付近で出現するようになったシンクホールもその例である。

水の循環は時間を必要とし、ゆっくりとしたペースで行われる。上記したこれら水に関する現象は、地球全体を巻き込んだ水循環のサイクルを人間の都合によって崩すと、ひずみが生じるという警告ではないだろうか?

 

B 地域紛争

 このような全体的な水需要の高まりを反映し、今後一層の混乱を迎えるのではないかと懸念される別の問題がある。それが水を巡る地域紛争だ。毎日新聞の資料によると、現在国境を越えて流れる国際河川は261河川、世界中で紛争になっている水資源は31箇所に上り、今も国同士が争いを続けている。水は国民の生命線である。したがって関係が悪化すると真っ先に水関係施設やダムが攻撃の対象になる。村上雅博・高知工科大学教授の言葉が重い。

「水は国家の歴史、文化、国民の命が絡む生命線といえる。領土よりも安全保障よりも合意形成が難しい」水が人類にとって非常に貴重な資源であり、また循環して移動する水特有の性質が、合意形成をいっそう難しいものにするのだろうと思われる。

 

 

 

 

                     食料需要の高まり

水需要の高まり                     (人口問題)

・飲み水の確保 (環境問題)       農業用水の需要

・生活用水の需要                水を確保できるのか?

                        灌漑施設を作れるのか?

                        国際マーケットから水を買えるのか?

                        国際マーケットから食料を買えるのか?

                                    (貧困問題)

 

 

 

A水の消費の急激な増加

 自然界への影響 

(例)富士山湧水の減少

   死海のシンクホール

 

B 水を巡る地域紛争

 

 

c.人間は/人類は何をするべきか

『共有する』

__水に関する知識や考え方を世界で共有すること

まず、水問題を考える上で大事なことは、世界中の人々が本当に純粋な意味でのグローバルな意識を持つこと。水は地球という惑星の限られた大切な資源だから、考える時は「地球人」という視点を持つことが大切ではないかと思う。ローカルな意味での水問題を考えていただけでは、根本的な解決にはたどり着けないだろう。

では、具体的に何をするべきか?

ひとつは、意識の共有を働きかけること。現在、水問題の現状を受けて、さまざまな国際機関が調査に乗り出し、国際的なキャンペーンを行っている。また、新たな機関の設立もされている。このような機関の働きで大切なことのひとつは、水に関する知識や意識、考え方を世界で共有すること。そのためには国境や利害には直接的に関係のない団体が主体となり、共有資源である水に関する意識を世界全体レベルで高めることが重要、かつ有効であろう。世界をつなぐインターネットでの情報発信、各国政府を通したキャンペーン活動、など、ありとあらゆる人が水に関心を持つことから全ては始まると思われる。また、特に、水を多用する先進国において、水の貴重さ、有限さを認識させること、節水を呼びかけることは、地道な作業ではあるが、水使用量のスケールの大きさから言っても、大きな影響力を持つと思われる。

__国境に関係なく、世界の共有財産として水を扱う。 水専門の国際機関の設立

  言うまでもなく、水は「誰かのもの」ではない。石油のように限られた国の領土から採取される資源でもない。

では水専門の国際機関を設立してはどうだろうか?現在国際的水問題に関する活動や調査は、国連やWWF等がそれぞれの中に機関を作って活動している。これらも有効な部門だと思うが、逆に国連などとは異なり、水から全ての問題に取り組む機関があってもいいような気がする。と考えたが、現在いくつかのそのような組織がなされている。1996年に国際機関・学会等が中心になって設立した世界水会議(WWC)などがそれだ。

国連は97年に公平な水配分を目指す条約を採択したが、当事者は言うことを聞かない。それでは意味がない。ではどんな働きが必要なのか。水に関して本当に公平な判断ができるような、国際的な専門機関に、裁判所のような機関があったらどうだろう?と考えた。共通理解を生み出し、現在様々な機関に点在する水に関する部署は世界水会議などで意思統一などが図られる。それと同時にその配下にあるというよりはより独立した形で水に関する地域的な争いを解消するための裁判所のようなものが必要なのではないだろうか?

そこだけが独立したのでは権力がないかもしれないが、国連や世界銀行等と連動することができるような仕組みになっていたら、その取り決めが守られない場合は他の形で制裁がとられる。また、国連などの機関が、彼ら(裁判官にあたる人々)の人権を保護する。彼らは、国際的に公平な水の分配人として、水問題について調査し、問題解決を図る。

 若干夢のような話だが、本当に水問題が深刻化したときには、このような機関が必要とされるのではないかと思った。

 

d.私たちは、今いるところで何ができるか?

 『“知ること”から全ては始まる。』

__日本の現状を知ろう、そして日本から日本なりの発信を。

やはり、現状を知るところから全ては始まると思う。日本を振り返ってみよう。日本は水の豊富な国?果たして本当にそうだろうか?もちろん答えはNOである。資料にもあるように、仮想水の概念を持ってすると、食物の輸入大国である日本は、年間1000億トンもの水を他国に頼っている「水の輸入大国」に他ならない。世界の水問題は、対岸の火事ではないのである。

日本は四方を海に囲まれた島国であるから、水をめぐって他国と衝突することもなかった。それは本当に恵まれたことだと思う。だが、ここで考えなくてはいけないことは、このように多くの水を他国に依存している日本が、その代わりにできることはなんだろうか?ということだと思う。これから自給率を高めることも大切だと思うが、水に関する知識や技術を世界に提供することも大事なのではないだろうか。水浄化に関するシステムや井戸の作り方、超音波などを使った水資源に関する調査などなど、逆に日本だから他国に提供できることをしていかなくてはいけないと思う。

__日々の生活で気を配ろう

色々な現状を知れば、実際的な行動が伴うのは楽になる。地味なことも、みんながやらないからいいや、では何も始まらないし、何も変わらない。

そういった水に関する意識について、これからは小さいころから育てていくのがもっとも建設的だと思われる。小学校の理科の授業や、社会科・世界史等の授業でも折に触れてそういう話がされたらいいと思う。

もっとも地味で、でももっとも大切な発想は、節水だと思う。これは誰にでも分かるし、実践しやすいだろう。いくら蛇口をひねれば水が出てくるといっても、何度も言うように水は貴重な資源には変わりないのだから。

加えて私が提案したいのは、洗剤に気を配ること。使う量とか、洗剤の種類とか。私は合成洗剤が嫌い。なぜなら自然界ではなかなか分解されないから。水をたくさん使わないことも大切だけど、その使われた水がどこに流れるのか、考えて欲しい。水は決して人間だけのものではない。地球上では少数派であろう人間という生物が限られた淡水という資源を必要とするなら、同じようにその水を必要とし、生きている生物たちは尊重されなければならない。今は色々な家電が出ているし、さまざまなアイデアがある。簡単に汚れが落ちるからといって、安易に合成洗剤に頼らないで欲しい。その先に生きる生物がいるのだから。

 

参考資料

_毎日新聞 2003年1月1日朝刊 33から37面(第二朝刊)

_環境goo(http://eco.goo.ne.jp/index.html)→ WAVE この人に会いたい 第16回 沖 大幹さん

 http://eco.goo.ne.jp/wave/files/wave16.html

_政府広報オンライン>Web版広報通信2003年2月号>話題/Topics

http://www.gov-online.go.jp/publicity/tsushin/200302/topics_e.html

 

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