水と共存するために

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 環境問題が叫ばれて久しいが,実際のところ今地球上ではどんなことが起こっているのだろうか.また果たして今どれだけの人間が環境問題に関心を持っていて,どれだけの人間がそれに携わっているのだろう.そして,自然環境を守らなくてはいけないと叫んでいる人は,実際にはどういう行動をとっているのだろうか.

環境問題の中でも特に生物と密接に関係しているのが水の問題である.水がなければほとんどすべての生物が生きてはいけないからである.このレポートで私は最近の新聞記事をもとに,東京の水に焦点を当てつつ,今地球上で起こっていること,グローバルな視点から人類が今すべきこと,さらにローカルな視点から私たちができることについて述べていきたいと思う.

 

地球上で起こっていること

 まず,集めた資料で目を引く問題としてあげられていたのは水の汚染である.川でも,海でも,池でも水が汚染されている.主な原因は工場廃水や生活廃水である.海では埋め立て面積の増加に伴う汚染もある.その結果,漁獲量が減少したり,悪臭など別の公害を引き起こしたりしている.実際,関東農政局の「海面漁業生産統計調査」によると,都内在住の漁師による漁獲量は1961年の8万6千トンをピークにどんどん減りつづけていて,2000年の漁獲量は639トンにまで落ち込んでいる.

 水の変質の影響を受けているのは漁業だけではない.東京都三鷹市では,180年続いたワサビ農家が危機に瀕している.ワサビは水温10度前後のきれいな水が,年間を通して一定量流れつづけているところでしか育たない.三鷹の地は,この条件を満たしていた.だが,市街地化が進んだことで下水道施設が整備され,雨水が土にしみこまなくなった.三鷹のワサビ農家を支えていたわき水が顕著に減ったのである.夏の猛暑や冬の降水不足などの異常気象がそれに追い討ちをかけ,ワサビはほぼ全滅だったという.

 井の頭公園にある井の頭池では,誰かが持ち込んだブルーギルやブラックバスなどの外来種が猛威をふるい,生態系を一変させてしまった.都内産の種は井の頭自然文化園の水生物館で飼育されているが,これは自然の形ではない.自然に近い環境としてビオトープの中でのシマドジョウやヌカエビの生育も始まったが,人工の環境であったため,生態系のバランスがとれていなかった.

 このように,東京という地球のほんの小さな一部分をとっても水問題というだけでさまざまなものがあるわけだが,では人間はそれらに対してただ手をこまねいて見ているだけかといえば,もちろんそんなことはなく,さまざまな努力がなされている.工場廃水や生活廃水が規制されるようになリ,海の水は少しずつ透明さを取り戻している.専門家によれば,漁場の改善は技術的には可能だという.海水の汚れを減らすためには東京湾に流れ込む河川自体の水質浄化が必要である.現在は「沈殿」「バクテリア分解」の二段階下水処理が行われているが,これに三次処理を施せば海水が富栄養化されるのが防げる.また,大雨が降ると雨水が下水道の汚れを洗い流しながら海に流れ込んでしまうため,雨水と下水が海に注ぐ道を区別することが必要だと専門家は言っている.

 上野の不忍池では1960年ごろから周辺の都市化が進み,遊水池の役割を果たしていた土地に,下水が流れ込むようになってきた.このままでは池をだめにしてしまうと感じた「しのばず自然観察会」は水質検査に加え,行政へ働きかけることもした.公園を管理する都も動き出した.1960年に池の水が干上がったのを期に,70年代に周辺で井戸を掘削した.地下水をくみ上げて池に流すためである.それ以来3つの池にはそれぞれ一日あたり150-200トンの地下水が供給されている.池の総量約9万トンに比べればわずかな量ではあるが,少しずつ水の交換が行われている.90年代初めからは,池の底から細かい酸素の気泡を送り出し,水中の微生物に汚染物質を分解させる働きを活性化させる装置も導入した.廃水が流れ込まないように下水道も整備された.

 このように,人間もかつての美しい水を取り戻そうと努力はしている.だが,今まで汚しつづけてきた海や池や川が,そう簡単にもとに戻ることはない.これからも,たゆまぬ努力が必要になる.

 

人間がすべきこと

 それでは,グローバルな視点から見たとき,私たち人間がしなくてはいけないことというのはどういったことであろうか.上で述べたようなことを実行するのももちろん大切なことだが,その前に人間自身の水に対する認識を変えなくてはいけないのではないだろうか.人間は,朝起きて顔を洗い,食事の準備をし,お風呂に入りと一日に何度も水に触れて暮らしている.そして,その中の大多数はそれを当然のこととして認識している.だが,よく考えてみてほしい,川の水がそのまま飲めるようになって水道の蛇口から出てくるまで,一体どれほどの手間をかけているのかということを.そして,美しい水というのは有限であることを.美しい自然を壊してまで工業化に力を入れた結果がこのありさまである.水を汚したのは人間自身なのだ.まずはそのことをしっかり認識する必要がある.そして,それに対して責任をとるのも私たち人間のしなくてはいけないことだ.

 もちろん,今まで汚してきた水をきれいにするのも私たちの使命だが,これ以上汚さないように努力することも必要である.美しい水を守るためには人間自身が気をつけなくてはならない.自然の自浄能力ではもはやきれいにすることができなくなった以上,人間が下水処理や生態系の維持,水の交換などの責務を担っていくべきなのだ.

 それと同時に忘れてはならないのが,次の世代にそれらの責任を引き継ぐことである.水の美しさ,その大切さ,無限ではないこと,それらをすべて伝え,次世代にも水を美しくする,あるいは美しさを維持していくための努力を怠らないようにさせるのも現代の人間たちの責任であると思う.例えば,くだんのワサビ農家は毎年夏に「ほたる鑑賞の夕べ」を開き,わき水がなくなったらほたるもいなくなってしまうと子供たちに語りかけ,水を大切にしようとみんなが思えば,昔の風景は必ず戻ってくると伝えている.水を守っていくことの大切さを実体験を持って学ばせているのである.このような小さな活動から水に対する認識が変わっていくのだと思う.

 

今いるところでできること

 では,ローカルな視点から見た場合に私たちができることとは何であろうか.水の汚染ということについて私たちが一番深くかかわっているのは,やはり生活廃水であると思われる.だが生活廃水を出さないようにするのは無理なので,できるだけそれを減らす努力をすることが必要である.例えば,食器などを洗う際に洗剤をあまり使わなくてもすむよう,ひどい油汚れは紙でふき取ってから洗う,油を直接排水溝に流さないなど,これらのことは今はもはや常識となりつつあるが,面倒くさくて実行していない人も大勢いると思う.

 また,節水も私たちにできることの一つとして数えられる.よく実行例としてあげられるのが水を繰り返して使うというものである.例えば,お風呂の残り湯を車の洗浄に使ったり,洋服の洗濯に使ったりするものである.水を繰り返して使うということは,それだけ下水に流れる水の量が減るわけで,有効であると考えられる.

 水辺の生態系を守っていくのは当然のことである.もともとそこに住んでいなかった外来種を水辺に持ち込むことによって,その種がそこに住んでいた生物を食べ尽くしたり,その生物がえさとしていたものを外来種が食べてしまうことにより結果的にもとの生物がそこで生活し続けていくのを不可能にしたりと,生態系に悪影響を及ぼしている.このような行動は断固として慎むべきである.

 そして,私たち一人一人が努力すればそれだけで水の汚染が改善されるという認識を持つことが大事である.もちろん,これだけでは今の汚染を解消することにはならない.だが,改善することならできる.実際,ほんの半世紀前ほど前まで,人間は美しい水と共生できていた.美しい水を取り戻そうと努力すれば,川や海もそれに応えてくれると考えている.

 

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