「中東で次の戦争は水をめぐる争いだろう。」私にとって、この予言は何度聞いても衝撃である。この言葉は2002年12月23日付読売新聞朝刊の大阪版に掲載されている、ガリ前国連事務総長の1995年時の予言である。水が原因で紛争が起こるなどということは、水を当たり前のように利用できる日本に生活する私にとっては想像を絶する事実である。しかし、現実問題として起こっている。記事は、水をめぐっての国際的トラブルが90年代になって百件前後起こったというデータを示している。水問題が「国際的」にトラブルを起こすまでの状況にある今日。日本に生活するからといって、水をめぐって世界で何が起こっているのか、を知らずにいるわけにはいかない。問題解決に向けて自らの足元から「行動するための知識」を求めて、以下で4つの新聞記事の内容をまとめながら、「問題解決のための行動」の方法を考察していきたい。
冒頭で紹介した記事には、紛争の他にも世界の水問題の諸相を表す現実が書かれていた。水不足、その解決策としての注目が高い海水の「淡水化」の研究、洪水についてである。水問題といった時にそれは必ずしも「不足」だけを指しているのではないという事実を示してくれた。特に「洪水」については、原因として、森林伐採や人口増加で川や海に近い低地に住まざるを得ない貧困層の人々の現状が浮き彫りにされている。洪水はまた、そうした貧困層を家屋の倒壊によって、さらなる貧困へと追い込むとも指摘している。海水の「淡水化」の研究では日本企業の技術が注目されているということからは、水問題の解決に企業の専門技術が貢献できるという可能性が見出せる。今後日本の企業は水問題に限らず、それぞれの専門知識を活かして広く環境問題に貢献する技術を発展させることがいか重要であるかを示唆しているように思えてならない。記事の最後で、南アフリカの女性公務員が「水の確保は、弱い立場の女性や子供にとって死活的問題」と言っている。南アフリカの女性や子どもに限らず、水が“生命を維持する上で必要不可欠な資源”であることを、私たちは地球規模で共通に認識しなくてはいけない。
私は水資源に恵まれた日本に生活していて、正直言うと上に挙げたような水に関する問題や、まして水が生命の源であるという事実についての認識は日頃とても乏しかった。水問題の解決のために行動するためには、問題が起こっていることを認識することが欠かせない。そこで、私と同じように日本に生活する人々の水問題への意識はどのようなものであるか、を次の記事の中で探っていきたい。記事は2002年7月に読売新聞社が全国規模で3000人に対して行った世論調査に基づくものである。調査結果内容やその分析内容を見ていくと、確実に水問題に関して、日本の人々の意識が高まっていることが読み取れる。「まずい水道水」といった生活の身近な所に水問題が忍び寄ってきていることだけでなく、世界各地に水問題に関しても「地下水」のといった所までの認識も前回の調査から2割前後高くなっていることから、水問題を自分自身に迫り来る危機として意識する人が増えてきていることがはっきりと示されている。身近な生活場面から、地球規模まで私たちに水問題についての問題意識が芽生え始めている。そこで、一体私たちは一体何ができるのであろうか。解決のための行動方法を次に挙げる記事と今までに挙げてきた記事とをまとめながら考えていきたい。
最後に考える材料として、挙げる記事は「市民がつくる環境基本計画」という見出しで東京都府中市の市民活動を紹介したものである。自治体が公募した58人の市民が構成する環境基本計画検討委員会が、日常生活で環境について感じた具体的な問題点と解決方法を議論して、「水と緑のまちづくり」などを中心目標に、その下に計520の個別の目標と対策を立てたという内容である。さきの世論調査でも多くの人に意識されているような、日常生活にその端緒を見せる水問題をまずは解決していくことが必要だと思われる。記事の中にもあるような川のごみ拾いなどは解決のための行動の一例といえる。しかしここでは、こうした地域団体による活動以外について、私たち一人一人ができることについて考えていきたい。
この記事の左横の記事が、私にその方法を考える機会を与えてくれた。それは、環境ホルモン物質を含む界面活性剤の河川への影響について日本界面活性剤工業会が調査を行っていることを紹介した記事である。この記事を読んで、私たち個人が企業団体に影響を行使することによって、環境を変えていくことができるのではないかということを考えた。前に挙げた記事にも、ふれられていたように、日本の企業の技術には世界規模での水問題解決において期待できるという。そこでこの調査結果を踏まえて、界面活性剤工業界やそれに関連する企業団体が河川に悪影響の出ない洗剤を作ることができたとしたら、私たち一人一人は河川に優しい洗剤を「選択」して購入することによって、その洗剤に市場競争力を持たせることで、水問題(ここでは汚染問題)を解決するのにふさわしい商品の流通する市場をつくることができる。また、そのことで企業の水問題解決のための研究を促進することもできる。ひいては、日本企業の技術が世界に貢献することで世界規模の問題解決につながっていくのではないだろうか。
さきに述べたのは市場経済の観点から見た可能性であったが、日常生活の中での私たち一人一人が行う行動の「選択」が地球規模での水問題の解決につなっがていくという原理は常に意識していなくてはならない事実であるように思う。「地球規模」といった時、私たち一人一人が直接に水問題を解決することはできないが、まずは自分自身の周りから問題を解決するための行動を起こすために地球規模で今何が起こっているかを知り問題意識を持つだけで、日々の生活の仕方に変化をもたらすことができる。現に私もこの授業を履修したことを機会に、今まで以上に「生命に必要不可欠な資源」としての水と水問題について強く意識したことで、日常生活の中にも、洗顔の際に蛇口の水を止めるなどの小さな変化が起こっている。まず地球規模での水環境の現状を知ることは、同じ水の恩恵に与る人類として最低限の使命であるということを強く実感している。地球の誕生や人類の進化を見てみても、その一時一時の変化はとても小さいものである、しかし、それらの小さな変化が地球全体に大きな変化をもたらしてきた。水問題についても同じことがいえるのではないだろうか。わたしたち一人一人問題意識が行動の変化を起こし、その行動の変化が環境の変化を生む。まずは「意識の変化」を起こすものとして、今年日本で行われる世界水フォーラムが大きなきっかけとなればと思う。私自身も、生命維持資源としての水についての問題意識を自分の周りに広げてみることから水問題解決のための行動を始めていこうと思う。