「水の世紀」にむかって―様々なアクターの必要性

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 「21世紀は水の世紀である」とよく言われる。水の取り合いなどの水に関する問題が石油に代わる国際的な紛争に発展する事が予想されているからだ。実際、アジアやアフリカを中心に、水による紛争は現在数多く起こっている(国連広報センター)。水は無尽蔵にあり、いつでもきれいな水を、永遠に手に入れることが出来るという世界は存在しないのである。先進国、特に都心などでは水道水は殺菌・洗浄のための塩素の大量投与で飲めたものではなく、水は「買うもの」となりつつある。つまりお金を出さなければきれいでおいしい水(ミネラルウォーターなど)を得られなくなっているのである。

 一方途上国に目を向けてみると、生きるための水すら得られない人々、かろうじて得ることができたとしても衛生上良くない水しか得られない人が世界に10億人存在している。子供は学校にも行けずに、毎日重い水がめを背負って長い距離を、水を求めて歩く。生きるために森林伐採など環境を破壊し、それが洪水につながり、命を落とす人が数多く存在する。住環境の悪さから水も汚く、それによって子供は8秒に1人の割合で死ぬといわれているし、世界全体では毎年300万人以上が死亡している。それらは主に貧困層の人々に見られる現象であり、「水と貧困の2つの問題を切り離して考える事はできない」のであり、悪循環を繰り返している(「水と災害の国際情報」)。

 水と人を取り巻く状況はよいとは言いがたい。そんな中で、水をあらゆる角度から捉えて考えるため、第3回世界水フォーラムが今年日本で開催されることとなった。再来月の開催に向けて、現在準備が行われている。それと同時に、フォーラムへの関心を高めるための公報活動や前夜祭の企画も進んでいる。前夜祭では、NGOによる水問題の深刻さを語るリレートークや水と芸術のコラボレーションなどを市民が体感できるようになっている(毎日新聞)。

 また、最近の水に対する姿勢の変化とともに、NGOや地方自治体の動きも活発化している。日本環境保護国際交流会というNGOが最近、人々の意識喚起のために環境俳句カレンダーを作成した。その中には水に関する俳句も多く、水のある自然の美しさやその保全を訴えている(朝日新聞、1月5日)。一方、秋田県では来月「ふるさと秋田の水と緑の条例(仮)」を議会に提案することになっている。この条例提案は、地方自治体が主体的に環境に取り組むと同時に、市民の意識向上と水・環境の保全を呼びかけた点で大変有意義である。具体的には森林整備・人と動物と自然の共生のための環境整備などが考えられている(朝日新聞1月15日)。

 

水問題は、もはや世界共通の懸念事項でありグローバルな視点で考えねばならないのであるが、それでは人間は水のために何をすべきであろうか

 これまで、日本など先進国はODAなどを通じて数々の水に関するプロジェクトを途上国で行ってきた。しかしながら、そのプロジェクトは貧困層の人々には何の恩恵も与えず、逆にダム建設などは人々のすむ場所を追いやっているなど、問題はまだ多くある。つまり、従来型の支援では不充分なのである。そこで、これからは、大型施設を建てて終わり、ではなくその施設を貧困層まで利用できる・恩恵を受けられる対応も求められる。それは教育・法制度・技術・施設の整備などなど多面的なものとなる。今まではお金で支援してきたが、これからはお金だけでは達成できない支援が必要なのである。そのためには先進国側での意識向上と知識の習得がさらに必要である。

 また、もっと根本的な問題解決が不可欠である。たとえ上下水道が完備されたとしても、貧困層はお金がなく水道サービスを受けることが出来ない。ゆえに、彼らにも安全な水を供給するためには、貧困問題への対応もまた同様に必要である。また、援助を行う時に、計画段階から現地の人を参加させる等、community-based actionが必要となろう。何が本当に必要で何が出来るかを一番知っているのは、当然の事ながら現地の者だからである。その際には現地の高官だけではなく住民も参加できる環境が望ましい。

 さらに、グローバルな水問題を語る時に無視できないのが様々なアクターの存在である。NGOは政府に負けない、あるいはそれ以上の情報とネットワークを持つ。また、身軽さから彼らは現地にすぐに足を運んで援助を行うことが出来る。彼らは上述したように市民の意識向上にも努めている。また、NGOだけでなく、これからは地方自治体の動きからも目が離せない。地域独自の政策を打ち出して水保全に努めたり、地方自治体が独自に外交をし、他国の自治体と協力したり協力をすることも近年盛んになっている。企業も環境のためには主要なアクターである。1999年にできたGlobal Compactでは、国連と企業のパートナーシップが制度として確立され、参加企業には環境保全が期待されている。

 以上のように、水という問題を語る時には多面的なアプローチ・ハードとソフトの両方の整備・水だけでなくその回りの問題の解決・様々なアクターの取り組みと連携、などなどやるべきことは数多いのである。

 

 最後に、今、わたしたちがここで何をすべきかについて考えてみたい。最初に述べたとおり、水道の水はとても塩素臭い。都心の水道水をコップに注ぐと白くにごっているし、飲めないどころかご飯を炊いてもおいしくない。これは取水先の水がどんどん汚くなっているからに他ならない。自分たちのためには、まず水を汚さない努力が必要だろう。それとともに、水は無限であるという考えを捨て、水は限りある財産であると認識することも必要だ。その意識をつねに頭の片隅に持っていれば水の出しっぱなしなどの「ムダ使い」を減らすことも出来、水を守ることが出来るであろう。

 海外の深刻な水問題に対しては、私たちがここで何も出来ないかもしれない。しかし、まずは世界の状況を知ることは大事である。私たちが水に関する知識を得て、海外の状況を知れば、「途上国の水問題を改善すべきだ」と言うことが出来る。その声をもとに市民団体を結成したり、政府に途上国への援助政策の変更を訴えたりすることは日本にいても可能である。間接的ではあるが、「ここで」なにか水のためにするとすればそれは充分意味のあることではないだろうか。

 全てはまず知ること、そしてそれをつねに頭の片隅に置いて、自分の考えを発信することからである。

 

参考資料

「環境問題,俳句で知って」 朝日新聞,2003年1月5日

「水と緑の条例提案」 朝日新聞、2003年1月15日

「[世界水フォーラム]市民前夜祭の企画概要発表 リレートークや狂言も」 毎日新聞、2003年1月14日

The Global Compact Gateway Page 国連広報センター 2003年1月24日閲覧

    http://www.unic.or.jp/johannes/

「水と災害の国際情報」 2003年1月24日閲覧

    http://mishiwa.hp.infoseek.co.jp/

 

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