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年末から21世紀も始まって早二年目に突入した今年にかけて、大変な変化がNASAから発表された。南極の氷床の溶解が史上最も速く起こり、真っ白な雪と氷河で有名なキリマンジャロの雪がどんどんなくなり、山頂部に地面が露出しているという。
一体なにがこんな事態を引き起こしたのだろうか。
答えはよく考えなくてもすぐに分かる。地球温暖化の影響がついに解けることのなかった氷にまで及んでいるという事である。
水の与える影響について考えるとき、私たちは大抵水質汚染や自然災害を思い浮かべるが、最も人間に影響を与え、最も人間が生きていく上で関わってくる水問題といえば地球温暖化との関係は切っても切れないのではないだろうか。
1996年に発足した世界水会議(WWC)は2000年、「水ビジョン」を21世紀の水不足への警告として文書にて発表した。これによると地球には14億立方キロメートルの水が存在するが、その97%は利用に適さない海水であり、残る3%のうちの7割は氷河や地下水で、人間の飲料用や農業用に利用可能な淡水はわずか0・3%しかない。これだけ少ない水の中で、現状における水問題としては中国、インド、中央アジア、中東などおよそ30カ国以上が水不足に悩んでいるが、今後、水不足はさらに進み、2025年には48カ国に増えるとWWCは予測している。
また、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は2次報告書で、温暖化により、雨の多い地域にはさらに雨が降るようになり、乾燥地はさらに降らなくなるというレポートをしている。 実際中国の黄河下流では水の流れがなくなる現象が起きているが、これは温暖化により降水量が減ったことと関連していると言われているようである。
地球温暖化は雨の降り方にも影響を与えている。今後地域的な分布が変化したり降雨量や降雨の強さにも影響を与えたりするといわれており、洪水や渇水による被害を拡大させ、また頻繁化させる高い可能性を持っている。
さて、ここで今、人間は何をすべきなのだろうか。
大量消費時代の付けが回ってきている今、地球温暖化の問題それ自体はとてもポピュラーなものになっていると言えるだろう。北欧を始めとして環境先進国と言われる欧州連合諸国を中心に環境問題、地球温暖化について具体的に今のうちから行動をしようという動きが近年よく見られるようになった。
地球温暖化は波こそあれ、極端に一日二日で変化が起きるというものではない。10年、20年、そして50年、1世紀という長いスパンで考え、行動していかなくてはならない。また、特定の国の中で特定のエリアでだけ対策を立てれば済むという類のものでもない。よって、水を守ろうと思ったらまず地球温暖化について、世界各国が地球上の貴重な資源を『地球公共財(グローバル・パブリック・グッズ)』であると捉え、その『地球公共財』の保護のために国家を超えた地球規模での協力をすることが必要なのではないだろうか。
しかし地球規模の国際協力にはいつも「何が地球にとっての、解決すべき問題点なのか」という問題点がついて回っているような気がする。環境問題に関しては特にそのような特徴が見られると思う。 例えば、NASAが『キリマンジャロの雪がどんどんなくなり、山頂部に地面が露出している』という報告を世界に発信したとき、先進国の大抵の人々の感情は、それがひいては地球全体の脅威になると知っていても「直ちに国際協力をしなければいけない」という危機感にはなかなか迫られない。それは大抵の人達がその山を実際自分の目で見たことがなく、距離的にも精神的にも普段の生活から遠くかけ離れたところに存在してしまうからであり、また、先進国が途上国と途上国の人々の生活を多少なりとも差別化しているからであると言える。国際社会といわれる現代社会においても、この問題が解決しているとは決して言えないと思う。
もちろん先進国と途上国の間には大変な経済格差があり、その格差が一向に埋まらないから先進国が途上国を理解できない、という点は理由の一つに数える事ができる。しかしながら、それ以前に先進国の考える「解決すべき問題点」のプライオリティと実際の行動と、途上国の考えるそれらとがなかなか一致を見ない事も、大きな理由の一つではないだろうか。途上国には経済的な問題以外にも、干ばつ等自然災害による深刻な環境被害、またそれに伴った食糧難といった短期的に生命の維持に直結する問題が相変わらず多い。一方先進国の問題点と指摘する事柄は、そのように短期的に生命の維持に直結する問題は、地域によっては多少あるが少ない。その点で、先進国には長期的な生命の維持に結びつく問題を考える余裕があると言える。水の問題はこの2つにまたがって深く関わっている問題であると言えよう。
長期的な生命の維持に結びつく問題を考える余裕があると言える、その先進各国はそれでは実際どのような行動をしているのだろうか。超国家的な機関である国連やその他の国際機関ではなくあくまで世界各国のことを考えて調べてみたとき、先進国で実際長期的な生命の維持に結びつく問題を考え、さらにそれを実行に移している国は本当に少ない事が分かった。これが事実なのである。途上国の方が長期的な生命の維持に対して危機感を感じ、地域レベルから取り組もうとしている、という報告もある。
この状態は改善されないのだろうか。リオサミットあたりから多少流れは変わってきたと思うのだが、まだまだ先進国の危機感が足りない。少しずつではあるが「地球全体の問題点」に世界の関心が向いて、先進国も具体的な策を講じ始めたところでヨハネスブルクサミットが開催された。ヨハネスブルクサミットでは具体的に焦点が5つに絞られ、この中にたが、今後具体的なアクションについてきちんと考え現実的な策を実行に移していくことができれば、世界全体としての地球公共財の保全に関して世界各国が前進していく大きなきっかけとなるのではないかと思う。その為には具体的なアクションとして何が必要なのかを考える必要がある。
「地球社会」、「市民社会」というローカルレベルでの活動と主権国家による「国際社会」というグローバルなレベルでの活動という両方を効果的に使い分けていくことは地球温暖化の問題解決に関しては重要性が特に高い。その為にはINGO、NGOやその他の非政府組織をもう少し機能的に強化することが必要なのではないか。国にもよるが、まだまだ非政府組織が発言権を持たない国も多い。もう少し彼らが進出できるようにするのは決して悪い事ではないと考える。
また、環境問題に関しては環境先進国と言われている国々が先駆的な行動をし、成果を残しているのだから、「環境先進国のやり方」をもっと浸透させていく事が大切なのではないかと思う。
“Think globally, act locally.”とは聞き慣れたフレーズであるが、私たちが今いるところでできること―“act locally”とは何なのだろうか。
今、環境先進国と呼ばれる国々では市民社会を中心とした活動が政府の活動と共に盛んになっている。彼らのやり方は「市民社会」と「国際社会」それぞれのレベルで自発性を持った、環境問題の改善に関してとても理想的なものであると考えられている。
例えば、デンマークやオランダでは遠浅の海で風力発電を盛んに行い、風車で作った電気で海水を酸素と水素に電気分解してできた水素を輸送機関に応用、水素で走る電車や車の開発が着々と進められている。限られた水を効果的に使う事で排気などに含まれてきた二酸化炭素の発生率を抑える…これが地域社会、市民社会レベルで行われれば確かに地球温暖化は少しずつではあるが抑えていく事ができる。
言ってみれば、このような取り組みは病気の進行を薬で止めるようなものである。効果的に、いいタイミングで早いうちから投与すれば病気は直す事ができる。しかし、直す努力を何一つしなければどんどん進行し、死につながってしまう。また、いい薬があることが分かると大抵その薬は世界に普及して、そのうちにその病気は世界から根絶されるものである。
私は環境先進国でのローカルな活動は環境問題に対しての姿勢としてよい手本になり、徐々に世界各国に拡大するのではないかと期待している。別に水素カーを買う事が水の保護についてローカルレベルでできることだと言うつもりはない。しかし、車のような先進国の人間になじみの深いものをきっかけに日本でも他の先進諸国でももっと温暖化に目を向け、自分達の問題であると認識できるようになれば、絶対に1世紀後の世界の水は今のレベルを1世紀後まで保った場合よりよい状態になると思う。そしてまた、これらの事を踏まえて今後について考える際、一つ一つの行動と今まで決めてきた事が意味を成すのかどうかを判断する事を忘れなければ、危機に瀕している水の惑星・地球を我々の力で救う事ができると私は信じている。