京都と水・人・暮らし

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 私達◇ 情報ソース◇

・ NHKスペシャル アジア古都物語第6弾 「京都〜千年の水脈たたえる都〜」

   平成14年12月31日NHKアンコール放送

:水の都京都が千年間繁栄した背景には豊かな水の支えと恵みがあったとして、水源の謎と人々と水の長きに渡る関係を追ったドキュメンタリー

・ 「京と水」 世界水フォーラム推進京都実行委員会

 http:www.wwf3kyo.com/Kyoto/index.html 2003/01/25

:歴史編と産業・文化編の二方向から京都の水をカラー写真とともに解説した世界水フォーラムのホームページ中の一コンテンツ

・ 「現代用語の基礎知識 2002年版」 自由国民社

:水問題、淡水輸送バッグ、及び水質改善植物の項参照

・ おとなの学校 「豆腐を変えた京都の水」

  日本経済新聞 平成15年1月11日朝刊11面

 

 

◇ 情報の伝える京都と水・人・暮らし◇

古都京都といえば、水の都である。

794年に平安京が開かれて以来、山々に周辺を囲まれたこの緑あふれる盆地は、地下に流れる豊かな水の恵みとともにある。水なくして京文化なしと言われるように、京の文化はその水によって生まれ育まれてきた、と言っても過言ではなかろう。山から染み出した水は、世界的に見ても非常に高レベルな用水路によって町へと運ばれ、やがて人々の生活に届く。その過程で、例えば堀川の友禅染が現れ、産業の発展によって水路が築かれ、水を季節の移り変わりとともに愛で、恵みに感謝する精神が培われてきた。また、都の水の聖地、地下水の源として知られる鴨川神社の葵祭りや御蔭祭など、天皇が日ごろの感謝の意を込め水の神を祭る伝統的な祭祀から民間の諸行事に至るまで、京都と水と人々の結びつきの深さを示す事象の数々は枚挙に暇がない。

 しかし私たちに最も身近なものとして挙げられるのは、何と言っても京の食文化と水の関わりであろう。京菓子、豆腐、湯葉、酒、川魚、これらは皆京ならではの味を持つ水が決め手の食材である。そこに京独自の美的感覚もあいまって、日本を代表するような精神的美しさに彩られた文化を形成するに至った。中でも、京の豆腐は京都の水の質を示すバロメーターとして有名である。豆腐は7割が水でできている。そのために、使われた水の味がそのまま豆腐に反映される。京都の豆腐屋さんには、自分の家の井戸から自慢の地下水をひいて使っている人も多い。“きれいでしかも味のある”隠れた名水が市内のあちこちに点在しているのだ。また、おいしい水は人を集める。いつものように近所の人が豆腐と一緒に水をもらいに来る。水を汲んでもらう間に世間話をしたり相談事をしたり。そこには、水を仲立ちとして結ばれた純然たる人々のコミュニケーションの場があるように思う。

 京都市は、4年前から地下の調査を始めた。人工的に地震を起こし、地下構造を調べ、地下水の仕組みを調査しようというもの。その結果、最大で700メートルを越す岩盤の存在が明らかになった。京都は太古湖底であり、山々から運ばれる土砂が堆積して盆地を形成しているが、実際のところは東西12キロ、南北33キロにも及ぶ巨大な水瓶である。そこには琵琶湖と同程度の水量があり、京の都が千年の長きに渡って続いてきたのもこの水瓶あってこそと言われる。しかし、この豊かな地下水も、京都の町が都市化するに従って深刻なダメージを受けるようになった。昭和30年代には町の中心部の井戸が次々と枯れ、多くの豆腐屋が廃業や水道水使用への乗り換えを強いられた。この背景には地下鉄開発による地下水脈のせき止めがあった。また、古くから都の水を守る役職の鴨氏の庭池の水位(都全体の水量の指針計として用いられてきた)は、鴨川護岸工事とともに激減した。海なき水上の都もまた、昔とは形相を異にしてしまったというのが現状である。水とともに歩んできた文明でさえ、その侵食を食い止めることはできなかったか。これは、人間が自然からの教授により得て培ってきたものも、また人間の手によって容易く滅びゆくものとなることを物語っている。

 ひいて、これは世界中で今現在起こっている現象でもある。淡水源の枯渇は深刻で、時にそれは水紛争と呼ばれる水を求めての国家間同士の争いにまで発展する。今回集めた数点の資料は、そんな最中において、今一度、自分と自分の文化と水との関わり合いについて見つめ直し、その関わり合いのよい部分を未来に受け継いでいけるように、これからの関わり合いを吟味する必要性と、それに当たっては日本における京との水と人との先年に渡る深い関係が何らかの指針を与えてくれるのではないかという可能性を感じさせてくれた。

 

◇ 人間のすべきこと◇

 

現在でも約4億5000万人が水不足に陥っていると言われるが、目下深刻なのは、主に中東における水問題である。ほとんどが乾燥地帯か半乾燥地帯ということあって、先に述べたような水紛争に発展してしまうケースがままある。中東和平交渉でもヨルダン川系水域の水利権問題は重要な交渉課題であり、ナイル川流域のエジプトとスーダン、及びその上流にあるアフリカ諸国との関係、またチグリス・ユーフラテス川水系にあるトルコ、シリア、イラクの3国関係も水問題をめぐり緊張しているという。ペルシャ沿岸産油国は海水の淡水化を行っているが、高コストのため豊かな国でしか利用できない。人口の増加、生活様式の変化で水需要は増大しているが、地下水の塩分上昇など、水質悪化の問題も抱えている。

その中で、飲料水の大量海外輸送は水不足に悩む国々にとっては朗報であろう。淡水化プラントによる増水を補完することによって環境への不可を軽減することもできる。水の余った国・地域から水の不足している国・地域へ輸送するにはタンカーの利用が考えられるが、輸送コストに負担がかかる。そこで輸送コストを軽減できる方法として考えられたのが、大容量バッグに水を詰めてタッグボートで曳航する方法である。1万〜2万トンの淡水を積んで水輸送がなされる時代の到来も近いかもしれない。

この大輸送作戦に見られるように、世界の水水準を均一化、とまではいかなくとも、どうにかして供給し合えるシステムを構築する必要があろう。水が出ないところには何をどうしたって出ないのだから、その面を比較的水に恵まれた国々―――例えば日本のように―――が協力してサポートしていけるような体制がどうしても必要である。水質浄化槽のクオリティーを上げることや、問題含みの海水淡水化装置の更なる技術開発ももちろん有益だろう。水の浄化や輸送にかかる費用をより軽くするための技術革新も、水質源そのものの保護に関わる技術革新と同じくらい重要な問題であると思われる。

しかし最終的には、当たり前のことになってしまうが、やはり基本に立ち戻って、地球規模で水資源の大切さについて考える機会を増やし、実際の行動に移していくことが、これからはより一層重要視されるようになってくるだろう。目先の開発だけにとらわれず、どこかでセーブをきかせる賢明さがなければ、いつまでたってもこのような環境と人間に関わる問題は解決しない。今年京都市で開かれる「世界水フォーラム」では、現在世界の抱える水の諸問題とその解決法について議論がなされるそうだが、今回水の都京都で会議が開かれることの意義は大きいと考える。日本にとっては京の町と人と水の共存のあり方を再度紹介し自らも再認識するチャンスとなるし、世界中の代表者にとってはその共存の姿―――それがたとえ昔そのままの姿ではないにしろ―――に直に触れ、昔と今の日本では水についてどのような認識がなされ、それがどう人の生活に溶け込んでいるのかを知るいい機会となろう。

ただ、日本の水に対する認識はどうも十分でない感がある。水フォーラムにしても、その存在はあまりに知られていない。もう少し水フォーラムに対する関心を喚起するような報道があっていいし、またそれを需要する側としても、今一度認識新たに水を考えていく態度が必要なのではないだろうか。

 

◇ 私たちに今いるところでできること◇

 

京都の茶の湯本家本元、裏千家の現ご当主は次のように語っている。

「水というのは使わないと枯死してしまうんです。だから継ぎ足し継ぎ足し、大事に水を受け継いでいく。『流水間断無し』、捨てるのではなく、繋いでいく精神が大切だと思っています。」

また、京の水を守ってきた鴨氏の子孫、鴨脚(いちょう)慶三さんはこう述べている。

「自然に従えとよく言います。しかしこれ(京都の水量が減少していること)は自然のすることじゃない、明らかに人間のやったことなんだから。(都の水量計として機能してきた)庭の池を埋めて土地にしてしまえという話もありましたが、今まで受け継がれてきた京の水を最後まで見守っていきたい。そしてこう思っているのは私だけではないはずです。」

 まずもって私たちにできることというのは、このような人々の思いや深刻な現状が今現在あることを知ることである。そうして初めて実際の行動を考えることができるからだ。今まで関心のなかった水に関する情報に新たな興味が湧くかもしれないし、月並みな「節水を心がけよう」ということだって、ただ「もったいないから」だけでなく、例えば輸送作戦のあることを知って「水の不足している国に少しでも多く送れるように」と思えば、何か違ってはこないだろうか。このような草の根規模の小さな心がけが、結果として世界規模の大きな効果を生むというのは、全く大げさな話ではない。

 最近は、行政面にも様々な試行が見られる。例えば、神奈川県では1997年から“水源税”と称して兼営水道料金のパーセントを森林の水源涵養機能回復に充当する、水源の森林作り事業を開始した。水の恩恵を受ける下流の都市住民が上流の水源の森林保全費用の一部を負担する、都道府県レベル初の試みである。また、環境省の外郭団体である環境事業団(東京)の助成を受けたリサイクル技術開発会社は水質浄化植物の研究を進めており、2001年の6月から、千葉県の八鶴湖などです既に試験的な実施が始まっている。これは環境に負担をかけずに水質を浄化できるシステムとして期待されているとのこと。行政が水問題に本格的に取り組むようになれば、それは当然私たち一般市民の間でも本格的に水問題に取り組んでいくことが期待されるわけで、そのような状況にあっては、的確に状況を把握し、地域なり自治体なりの方向に理解と協力を示す社会参加の力量のほどが、これから私たちにも試されるようになると言っていいだろう。

 その他に個人レベルでできることと言えば、直接水に触れる機会を大切にすることである。ICUは幸いにも野川公園が近いしその気になればいつでも散策できる。わざわざどこかへ出向かないまでも、街中や郊外で目にする川や池にちょっと目をとめてみるだけでもいい。あるいは、家に茶道をたしなむ人がいれば、たまには簡単な作法を教わってお茶をたててもらうのも、また水と日本人の共存の一端を体験したことになる。ICU祭では、茶道部が立派ではあるが気取らず親しみやすいお茶会を泰山荘で開いているから、足を運んでみるのもいいだろう。身近に転がっているきっかけをつかむか否か、何をどう感じ、考え、行動していくかで、私たちと水との関わり方も多様に変わりうるはずである。

 

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