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水は地球上に住む生物にとって生きていく上で必要不可欠な資源の一つである。しかし、今日の地球上では人口増大による水不足、砂漠化、環境汚染など、様々な理由によりその大切な資源が減少し、毎日の飲料用水さえ充分に確保できずに命を落としている人々が世界中には数多く存在する。その一方で、日本は水が豊富な国といわれ、殆どの人が水に不自由することなく生活をしている。この矛盾が日本ではどのように捉えられているかを最近の新聞記事を通して考察する。
1) 今、何が起こっているのか
日本でも環境問題が大きな注目を浴び、京都議定書を始め、世界に於いても積極的に環境問題に取り組み始めている。そして、それは国レベルに限らず、国民の間でも意識が高まり様々な取り組みが行われている。その一つとして、大阪の「淀川水系流域委員会」というものがある。専門家に加えて自然保護活動に取り組む住民グループの代表者から成り立っているこの委員会は、ダムの新設を認めないということを決定した。それは生活や経済の向上よりも「地域社会の崩壊を招き、河川の生態系と生物多様性に重大な悪影響を及ぼしている」という事実の方を重要視した結果である。
また、埼玉県に新しく人工の川(排水路)が造成されることになったが、これは従来の人工の川とは少し異なる。コンクリートで固めるのではなく、針金で編んだかごを川底に積み重ね、割栗石と呼ばれる丸みを持った石を詰め込んで作られる。時が経つにつれて土が石の間に入り草が生え、もとの川から樹木も移植され、自然の川のようになるという環境のことを考慮に入れた新しいタイプの人工の川となる。そして、このタイプの人工河川が段々増えつつあるという。
このように環境に配慮し水を綺麗に保つ努力を住民、地域レベルでしている一方で、日本では水は生活必要水だけでなく様々な用途に使われている。例えば、東京都はヒートアイランド現象を少しでも抑えようと、道路に保水性の舗装を施し、下水の再生水をまくという実験を始めている。ヒートアイランド現象とはビルの排気熱、アスファルト、温室効果などが原因で都市中心部の気温が周辺に比べて高くなるという現象のことである。保水効果のおかげで、雨が降ると道路の表面温度が約10度程低くなるという。しかし、雨が3日ほど降らなくなると効果が薄くなってしまうために、下水の再生水をまくことで、効果があがるかどうかを実験的に見ている。
このように生活必要水以外にも水を使う余裕のある日本は水が豊富だと思われがちであるが、実は多くの水を海外から輸入しているということがわかった。しかし、実際に水そのものを輸入しているのではなく、仮想水と呼ばれる食糧生産に必要な水を大量に輸入しているのである。穀物は1キロあたり平均すると、約3425リットル、肉類は1キロあたり約38633リットルもの水が使われているということがわかった。日本は年間約1035億トン、国内で使われる農業用水の約二倍の量の仮想水を輸入していることになる。水がなくて毎日多くの人がなくなっている国々がある一方で、日本ではその大切な資源を海外から多く輸入して自国の国民を養っているのである。
2) 人間は何をすべきなのか
様々な問題を抱える水問題だが、私達人間は一体何をするべきなのだろうか。解決により近づく為の方法の一つとして、発展途上国の代表者を国際会議に出席させること、そして、国の代表者も政府関係者だけではなく、民間の団体も含めることが考えられる。
世界中の場所で環境会議が4年に一度行われ、水の問題だけを扱う水会議も開催されている。そして、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた地球サミットでは「淡水資源の質および供給の保護」の必要性が明言された。そして昨年行われたヨハネスブルグでの環境会議でも水問題が取り上げられた。しかし、これらの多くの会議にも関わらず水問題がなかなか解決しないのはなぜだろう。
いくつか理由が考えられるだろうが、最も大きなものとして、会議の参加国、そして国の代表に問題があるように思う。実際に水が不足し困難な生活を送っているのは発展途上国の人々である。それにも関わらず、会議の参加国は先進国ばかりである。代表者たちはこの分野の専門家であるかもしれないが、彼らは実際には現地の状況を見ているわけではないし、自国の生活が不自由ないものであるために、例え情報があったとしてもそれがどれほど深刻な問題かということを身にしみて実感することは少ない。また、環境汚染などで、水資源が減ってきてしまっているのも大部分は先進国の開発・発展によるものである。昨年のヨハネスブルグでの会議においても、誰の為の何の為の会議か分からない、と開催地で大規模なデモが起こった。 また、先進国でも環境問題は大きく取り上げられているが、実際に世界の状況を自分達の目で確かめ、対策を行っているのは政府ではなく、民間の団体やNGOである。従って、多くの会議が開催されているにも関わらず、実際に水、環境問題に関わっている人々の意見はあまり良くは反映されていないのだ。
それに加えて、世界の多くの場所で深刻な問題となりつつある砂漠化の原因も先進国にないとは言い切れない。1)で紹介したような「仮想水」と似たような形で先進国が他国の水を大量輸入しているのではないだろうか。食料に限らず、材木の輸入は土地の保水性を低下させると同時に、砂漠化の進行を速め、ますます水不足が深刻な問題となる。
これらの事実を踏まえて、先進国と発展途上国、政府と民間団体がそれぞれコミュニケーションを取り、意味のある会議を行い、水という資源は国力に関係なく全ての人間に等しく与えられるべき資源だということをそれぞれが認識する必要がある。
3)私たちは、今いるところで何が出来るのか
では私達は具体的にどのようなことができるのだろうか。経済的にも豊かな国に生まれ、蛇口をひねれば水もお湯も出てくるような国に住んでいる私達にとって、水のありがたさを理解するのはなかなか難しい。そんな私達にとって一番大切なことはまず、世界の状況を知ることである。そのためにはメディアがもっと積極的に継続的に報道をする必要がある。発展途上国で内戦や地震が起こったときは大々的に報道するが、普段はほとんど触れることがない。大きな報道でなくても、定期的に継続することで私達の関心を高めることができるはずである。そして、関心が少しでも高まれば、普段の生活の中で私達にできることも、例えば水を流しっぱなしにしない、お風呂の水を再利用する、など、もっと積極的にするようになるだろう。そして、1)で紹介したように少しでも人間と自然が共生に近い形で生きていけるように工夫するように、国民、地域レベルから働きかけることによって初めて国、地球レベルでの変化が可能になるのだ。
また、洗剤をなるべく使わないようにしたり、油を流したりしないようにするという簡単なことでも、一人一人が意識をもって実行すれば大きな変化をもたらすことができるはずである。それは、ただ川を守るというだけではなく、綺麗な川を保つことによって、もともと存在した自然体系を維持し、地球上に住む生物にとってより住みやすい環境へと戻していくことにつながるだろう。
例えば仮想水は食糧生産に必要な水のことであるから、それを節約するということは私達の食生活、大きく言えば生命に関わってくる問題である。世界中に水に恵まれない人々が大勢いるからといって、私達の食料を大幅に減らすということはほぼ不可能に違いないし、そんなに大きなことをすることが必ずしも大切なことではない。しかし、だからといって何もしないのではなく、私達にできる範囲の事で、例えそれがどんなに小さなことでも継続的に一人一人が積み重ねることが大切なのだ。そして、それと同時に水に限らず地球上の資源は人間が共有しているものであり、それは限りある資源だということを常に認識していくことが、生きていく上での重要な鍵となるのだ。
参考資料
<新聞記事>
「日本は水を大量輸入?(みんなのニュースランド)」朝日新聞 夕刊 2002年10月17日 (朝日新聞データベース)
「川岸は石積みで自然を守ります 見沼田んぼの排水路」朝日新聞 朝刊 2002年12月27日 (朝日新聞データベース)
「冷ませ摩天楼」朝日新聞 夕刊 2003年1月7日
「ダム新設認めぬ提言案」朝日新聞 朝刊 2003年1月9日
<インターネット>
The 3rd World Water Forum: http://www.worldsaterforum.org/jpn/