メディアの扱う水と人間

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 「水」、そして「人間」。この2つのキーワードに関してメディアはどのように扱い、それを私たちにどう伝えているのだろう。このことに意識を向け始めだした頃、まさにこのキーワード2つをベースに製作されているテレビ番組を見る機会を持った。それはNHKの『アジア古都物語』という番組であった。その日の舞台は日本の京都。これは以前すでに1度放送されていたそうだが、反響が大きく12月30日に再放送されていたのだ。サブタイトルは〜千年の水脈をたたえる都〜。その京都で人々と水がどのように関わっているのかがとりあげられていた。そして個人的にこの番組の中で特に注目したのが京都での「地下水」の存在であった。まず、驚くべきことに京都周辺の地下にはなんと琵琶湖とほぼ同等の水量の地下水が存在するという事実が知らされた。そして、この地下水が豊富な水資源となり平安京の時代から常に京都を支えてきたというのだ。さらにこの番組ではその地下水の恵みは現在の京都でも見うけられるとし、京都の人々の生活と水との関係を伝えていた。確かに現在でも京都では地下水を生活において利用している人が多いらしくその一例として紹介された豆腐屋では何代も前から変わることなく庭の地下水を使って豆腐を作り続けておりその質の高さゆえ人気も何代も変わることがないということであった。この番組がきっかけとなり「地下水」自体に興味を持つようになったため、それを主なテーマとして今回の「水と人間」の調査を進めていくことにした。

 さっそく調査を始めていったのだが、今回まず最初に行ったのが新聞という媒体において「地下水」がどのように扱われているのかということの調査だった。2002年12月だけに期間をしぼって調べてみたのだが、その結果にいきなり驚かされることとなった。その理由は調べた結果の中、「地下水」というキーワードを含む記事は全てがその「汚染」に関するニュースであったからだ。今回の情報源は読売新聞なのだが2002年12月の1ヶ月間だけでも4件、「地下水汚染」を報じるニュースが見つかった。その4件というのが福井県敦賀市(12月3日付)、埼玉県上尾市(12月13日付)、東京都北区(12月24日付)、愛知県名古屋市(12月27日付)と、それぞれの事例は首都圏など1ヶ所の地域に限って起こっているのではないということ、逆に言えばこの地下水汚染というものは全国規模で起こっている問題なのだということがすぐに見て取れた。ニュースの内容はというと4件がどれもほぼ一様で、ごみ処理場や企業の工場などのある敷地内、またはその周辺の土地の地下水から環境ホルモンの可能性がある化学物質や環境基準を大きく超えた量や濃度の物質が検出されたというものであった。要は普通の地下水には含まれるはずのない、または含まれるべきでない物質がいたるところで見つかっているということなのだ。では、このニュースは実際何を意味しているのであろうか。まず単純にニュースが伝える通りに汚染が事実として存在するということ。そしてその汚染源の多くがやはり社会の他のパートと比べた時により多くの化学物質などを使用、排出している工場であることが多いということも言えるであろう。またさらに、その汚染という事実は単に地球を汚しているということだけにはとどまらない。とくに地下水汚染の場合にはその汚染が起こっている地域の周辺の人たちが生活の一部として地下水を使っている可能性も十分に考えられるのだ。そのため、今回のニュースでもほとんどの場合において、汚染の事実が判明した時点ですぐに地元の人々が地下水を使わないように行政機関が訴えている。

  ここまで見てきた地下水汚染の実態を目の前に、考えなければいけないことはもちろんその対策である。地下水汚染を防ぐため、また食い止めるためには一体何ができるのであろうか。環境省によるとこの対策には大きく分けて2つの考え方があるという。1つは「応急対策」、もう1つが「恒久対策」である。応急対策とはその名の通り汚染が見つかったその瞬間から汚染による被害を最小限に抑えるための対策のようなもので、具体的には前にも挙げたように近隣住民の地下水利用の禁止や制限などがこの対策にあてはまる。そのためにも必要なのが一刻も早い政府や自治体などの情報公開である。汚染という事実を確認したならばできるだけ早くその事実を住民に伝える義務があるだろうし、住民にももちろん知る権利があるのだ。これは実際にも新聞でも汚染が報告された名古屋市などでも土壌汚染対策指導要綱運用指針の最初の項目で速やかな情報の公表の必要性を明記している。最低限であるが、絶対的に必要な対策だとも言えるであろう。そしてこれら応急対策よりもさらに重要だと言えるのが恒久対策である。こちらの対策の基本的な考え方は将来にわたり有害物質が周辺の土壌・地下水に広がらないようにするということだ。この恒久対策は大きく分けて「浄化」と「封じ込め」という2つの手段からなっているのだが、理想的な解決手段は浄化の方である。浄化とは、まず汚染源を完全に突き止め、そこで汚染物質を分離・分解したり相当箇所を掘削除去したりするというような作業のことを言う。もう一方の封じ込めとは、汚染に対して直接分解などの作業を行うのではなく、その汚染がそれ以上広がることだけは防ぐという目的で周辺の土壌を封じ込めるという方法のことを言う。少なくとも一般の環境から汚染地域、汚染部分を隔離しようという考え方だ。なぜすべての場合において浄化という手段を選ぶわけでなく、封じ込めという、いわば妥協策のような手段を選ぶことがあるのかということを考えた時にありうる理由の1つは、簡単そうに書かれている浄化という作業の難しさである。それは技術面の意味だけでの難しさではなく、資金面においても言えることなのだ。そのためここで絶対的に必要になってくるのが汚染などの事実に敏感であり、その対策に十分な資金面での援助などを行うことのできる政府や自治体なのだ。また技術面については現在多くの企業がこの汚染に目を向けその解決のため汚染物質を分解する装置開発などの技術開発を通して貢献していると言える状況だと考えられる。それぞれの企業がさらに技術面を向上させる必要性は言うまでもなく、それらの企業が互いに競争意識を持つことにより技術面の貢献であったはずのものが、競争から生まれるコストの低下により資金面の貢献へとつながる可能性も大きい。このようにそれぞれ立場、場面が違うところにいても1つの目標、汚染の防止・食い止め、に向かい努力する姿勢が重要であり、必要とされていることなのである。

 ここまでは一般的に地下水などの汚染問題について考えてきたが、では具体的にまだ学生という立場の自分たちにはこのような問題に関して何かできることはないのだろうか。環境問題について考える時最近では常にと言っていいほど繰り返して使われる表現がある。それが、ユThink globally. Act locally.ユ というフレーズだ。この言葉は本当に現在全世界の人々に求められている姿勢をうまく、端的に表現している言葉でありすばらしいものだと思うのだが、個人的にはその2つを繋ぐ役割としてもう1つ今の人間に必要なことがある気がする。それを、ユThink locally.ユ という言葉で表してみたい。言いたいことは、地球規模で何が起こっているのかということを考えるのはもちろん重要で、外国で起こっていることを他人事として考えるなどという姿勢はもう今の時代許されないという考えは確かに正しいのだが、実際にlocally に行動しようとしても地球規模で問題を考えているだけでは問題が1人1人にとって大き過ぎるように感じられてしまい、結局何をしていいのかわからないという状況が生み出されている気がして不安、ということだ。自分たちのように立場が学生などであるとさらに、1人1人の力はまだまだ大きいとは言えないのが現状で、そのことを考えれば特にglobal に考え、local に行動する、その間にlocal に考えるステップが必要だと感じる。事実今回の地下水の問題に関しても個人的にはこの調査をするまではこの問題に関する知識は皆無に等しかった。そのため例えば世界的に水質汚染が大きな問題となり様々な議論がされていることを知っていても、特別に自分から何か行動を起こしたことはなかったし、自分のこととして真剣に考える機会を持っていたかと聞かれると自信がない。しかしこの調査を通して自分の住んでいる東京都や近くの埼玉県などすごく身近な所で汚染が見つかっているという事実を知ってからは自分の中の意識も変わったような気がする。自分には何ができるのだろうと考える機会が増えたのだ。このように global に考えると同時に local な出来事にも同じくらい注意を払いそのことについて考えてみる。それが local な act への強い動機づけになるのだと気がついた。その意味でも今回の調査は自分にとって大きな意味を持つものとなったと思う。

 

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