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b. 今、地球上に何が起こっているか/情報が伝えている事は何か?
今、地球上の河川や海洋の汚染がますます深刻化していることは、言うまでもないことだろう。人間はつい最近まで、川や海の水から自分たちが受けている恩恵をほとんど無視してきた。自然に対する悪影響を顧みることなく、工業を発達させ、人口を増やし、自らの快適さだけを追求してきたのである。その反動が、目を覆いたくなるような結果として地球の現状にあらわれている。朝日新聞2002年12月28日の夕刊の記事によると、青く美しい海で知られる南米ブラジルの海岸でさえ、昨今の人口の増加が原因となって、汚染され始めているらしい。海への被害は、もはや工業先進国においてだけではなく、美しい自然をなんとか保ってきた国々においても拡がりつつあるのだ。
水が私たち人間にとって重要であるのは、生活用水としての役割だけに因るものではない。水には、他にも様々な力があるのだ。例えば、一般的に、人間は水音を聞くと精神的に落ち着き、安心するといわれている。それは、水音が、人間が母親の胎内で聞いていた音と似ているからだという。“心の癒し”や“清涼感”を謳い文句に、水音をCD化して販売する例もみられるほどだ。
また、精神的な効果だけではなく、人間の身体に対する直接的な影響力もある。その具体的な例として私が注目したのが、電解水のアトピー性皮膚炎への応用である。現在、多くの日本人がアトピー性皮膚炎という疾患によって悩まされていることは、メディアを通さずしても明らかである。Internet情報によると、電解水をそのアトピー性皮膚炎の治療に利用している例があるというのだ。簡単に述べると、整水器を使ってアルカリイオン水と強酸性水を生成し、前者を飲用、後者を痒み止めのスプレーとして使用する治療法である。アルカリイオン水は、アトピー性皮膚炎におけるトラブル源のひとつ、“活性酸素の余剰”を抑制する働きがあるそうだ。ただし、アトピー性皮膚炎は非常に難しい疾患であり、電解水の利用についても賛否両論があり、治療の確実性は保証されていない。その点については、今後の研究に期待したい。ともあれ、水がアトピー性皮膚炎の患者の人々に新たな可能性を投げかけていることは、事実であるといえよう。
このように、地球上の水は、汚染の危険に晒されているにもかかわらず、更なる可能性を人間に提示してくれている。そして、人間はようやくその事実に気が付き始めたところである。「気が付くのが遅すぎる」と言ってしまうのは簡単だが、これから何が出来るのかを真剣に考えていくことが、現在の人間の課題ではないだろうか。
c. 人間は/人類は何をすべきか?(Think globally)
では、私たち人類に一体何ができるのだろう。
前述のブラジル、リオの海の例をとって考えてみたいと思う。今回、ブラジルのサンパウロ市近郊で開かれた世界科学ジャーナリスト会議において、“これ以上ブラジル・リオの海を汚染しないためにも科学ジャーナリスト同士でもっと助け合おう”、と世界連盟の創設が合意されたそうである。朝日新聞の記者が記事のなかで述べているとおり、その合意は非常に大きな成果といえる。ひとつの国や地域が努力したところで、もはやどうにもならないような汚染の状況が多々あるのは、残念なことではある。しかし、実際にそのような海洋・河川汚染の事実がある限り、私たちは互いに協力することで、それらを解決していくべきだと思う。もし、地球全体が一丸となって汚染の問題に取り組んでいくことができれば、問題の解決はそれほど難しいことではないはずである。
現在、水に関する問題に真っ向から取り組んでいる国がどれくらいあるだろうか。日本も含め、大半の国では今なおそれほど大きな成果を挙げられずにいるのではないだろうか。国全体の貧困やAIDSなどの蔓延によって、水問題どころではないという国も少なくないだろう。にもかかわらず、自分の国だけで何とかしようと考えることは、もはやnonsenseである。確かに、地球全体が協力する、ということは非常に困難だ。とりわけ、世界が争い合う現在の地球においては、単なる夢物語にさえきこえる。だが、放り出すわけにはいかない。今の段階で、私たち人類が生きることのできる惑星は、この地球だけなのだから。諦めず、まずは協力し合うことの重要性を知ることが大切だ。
d. 私たちは、今いるところで何ができるか?(Act locally)
最後に、私たち一人一人が今できることを考えたいと思う。日常生活のなかでは、合成洗剤を使用しないことや、川や海にごみを捨てないことなど、多くのことが実行できるだろう。しかし、私たちが今いる場所でできることの中で、私が最も重要だと考えるのは、「知る」ということである。今、この地球上の水がどうなっているのか。私たちが住む日本の水がどうなっているのか。私たちは、自分たちが考えている以上に、水の現状を知らない。だからこそ、まず「知る」ことが大切なのだ。
水を知るための機会として、国土交通省が中心となってもうけたのが“水の日”及び“水の週間”である。知名度はまだそれほど高くはないが、昭和52年に閣議了解によって定められて以来、続いてきた。“水の日”とは、毎年8月1日であり、この日を初日とする1週間を“水の週間”と呼ぶそうだ。これらが定められた目的こそ、日本人が水について知り、考える機会をつくることである。参考までに平成14年度の“水の週間”中の行事を挙げると、“水とのふれあいフォトコンテスト”や“全日本中学生水の作文コンクール”、水資源功績者の表彰などがある。これらの行事は、規模こそ大きくはないが、水資源の貴重さに対する理解を深めるためには、役立つはずである。水がどれほど私たちの生活と深く関わっているか、或いは、水に今どんな問題がおきているか、といった根本的なことを知るために、このような機会がますます増えることを期待したい。
今後、水の汚染や不足などの問題は、一層深刻になっていくだろう。だが、闇雲に問題解決を急ぐのではなく、「知る」ことから始めればいい。それからでも遅くはないはずだ。私は、そう信じている。
参考資料
朝日新聞夕刊 2002年12月28日 “リオの海”
http://www.water.go.jp/waterweek/head.html
http://members.jcom.home.ne.jp/a-kitada/1atopi.html
http://www.soundsart.co.jp/features.water.html