水と人間
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 2002年12月21日付けの読売新聞には、2002年に欧州中部で発生した150年ぶりの大洪水の記事が記載されている。洪水により94人が死亡し、多数の被害者が出た。歴史的建造物が浸水するなど、被害総額は300億ユーロ(3000億円)にも上ったという。一方インドでは熱波と水不足で昨夏1000人以上が死亡した。これらの水による異常気象頻発は、「地球温暖化」が引き金になっているとの指摘がある。

 現在世界人口は60億人を超え、地球上の水に関する問題がかなり深刻化されている。時にそれらは水の確保を巡って人間が互いを殺しあう争いの原因にも発展し、我々のような、他国と共有する水源のない国に住む人間も、もはや無視できない状況になってきた。中東やインド・パキスタン国際紛争の実の原因は、水の争奪にあるともいわれている。水の配分の絡んだ国際紛争が、地球上にこんなにもあるのかと思わず自分の目を疑いたくなる程の長いリストが、2003年1月1日付けの毎日新聞に記載されていた。特にヨルダン川を巡っての水資源の交渉などは、延べ5カ国を巻き込んでいるものであり、その根の深さと深刻さを思い知る。イスラエル、パレスチナ間では政治的にも常時爆撃の争いが続いており、2002年3〜4月のイスラエル軍のパレスチナ自治区侵攻では、水道設備も被害を受け、パレスチナ国内への水の配分を望む指摘が未だ絶えない。

 同新聞では、現在死海で起きている「シンクホール」と呼ばれる現象についての情報も掲載していた。シンクホールは死海の塩分濃度の高い地下水位が急激に低下し、濃度の低い地下水が入り込むことによって今まで水底に固まっていた塩分が溶け出して地面に大きな穴があいたものである。死海には主な給水源がヨルダン川しかないため、水不足による住民の水の過剰取水、死海南部の化学工場のミネラル過剰抽出も原因と考えられている。昨年、地球環境サミットにより死海と紅海を結ぶパイプラインをはり、海水を死海に流出させ、さらに水力発電をし、海水の淡水化を図ろうとする計画が始まった。が、やはり近隣で反対する国の抗議は絶えない。大半が代替的な工事により、水中の生態系が変わってしまうのを恐れる声だ。

  「和平も決裂も水次第」という見出しで始まる同新聞記事では、ヨルダンとイスラエルの水を巡る争いについて書かれている。イスラエルに分けてもらい質の悪い水を頼りに生活を営むヨルダンの人々は、人口が増加したこともあり、水不足がさらに深刻になるだろうと予想している。現在は節水農法など、土地の保水機能を利用した水の節約がなされている。

 欧米や日本では健康志向のミネラルウォーターの消費量が急増しており、水ビジネスが過熱しているとの記事が、2003年1月1日に掲載されている。一方では、商品化される水産業、もう一方では水不足による様々な悪影響・・そんな矛盾に満ちた中、今年は国連の「国際淡水年」だそうで、3月16〜23日、京都、大阪、滋賀の3府県で「第3回世界水フォーラム」も開催される。その他の記事は全て、この世界水フォーラムに関する資料である。

水不足、国際紛争、水の汚染や洪水などの災害に対して、我々の取り組むべき行動を話し合うため、世界各地の市民、国連機関、官僚、NGO、企業、研究者ら約8000人が集まることになっている。今年のテーマは「行動を起こそう」であり、会議を中心に様々な活発な議論が交わされることであろう。現に、この世界水フォーラムの前1、2回は、国際的な取り組みのひとつとして世界規模で高く評価されている。今回の焦点は環境開発サミットで決められた「2015年までに安全な飲み水を入手できない人々の割合を半減する」などの目標実現に向けての具体的な取り組みを話し合う。

 最後に、2003年1月13日付けの毎日新聞に掲載されていた、世界水パートナーシップ議長のカールソン氏とのインタビューについて論じたい。彼女によると、今回注目される議題は「総合的な水資源管理」と「水の統合」であり、そのためには各分野の人々がお互い協力しあうことは不可欠であり、そのために今回のフォーラムは、制度的な方針などを具体的に話し合い、決めるための大きな一歩が踏み出せると述べている。水不足の解決法として、かんがいの水利用や都市での利用の効率化、水給供システムの改善などを挙げており、日本が担う役割としては、水ビジネスを通じての協力、個人個人の「水には限りがあり、大切にしなければならない」という願いを持つことだけでも、大きな貢献になると話している。

 

c. 人類は何をすべきか

 人類は何をすべきかという問いに対してただ単純に言えることは、どんな問題に関しても、「行動」を起こさなければ何も始まらないということではないかと思う。いくら世界規模の会議が開かれ、大きなパイプラインが敷置され、それによって水不足によって苦しむ人々が仮に飲料水を確保できるようになったとしても、水に困っていない者が、今のまま使いたい放題水を使っていたらそれは水問題解決とは言えないだろう。我々が水の大切さを実感し、一丸となって変化を起こしたり、また、個人の人間がその人なりの対策を自然に起こせるようになって初めて、国際的な会議などを開くことの意義が見出せると思う。

 限りある水を60億人の人々が使うということは、当たり前だが6人の人間が家の台所のシンクを共同使用するのとは訳が違い、様々な困難を伴い、時には水を巡る争いが起こってしまう可能性があることも否定できない。人間が生きていくためには水は不可欠であり、だれでも水を欲するのは本能である。それならば例えば水技術を持つ国々が熱帯国に技術援助に行くのでも、単に井戸を掘るのを手伝うことでも、同じぐらい大きな貢献になるのではないか。地下水利用もまだまだ進展の余地があるし、浄水の問題も、ただ浄水場を建てればいいのではと思っていたが、それは簡単ではないことを知った。

 このように、一見私のような凡人には単純に見える作業も、エンジニアにとっては困難を伴うこともある。ならば“凡人”には何ができるだろう。

 

d. 今いるところで我々日本に住む学生に何ができるか

 今いるところで我々日本に住む学生に何ができるか、と考えたら本当にLOCALではあるが、いくつか出てきた。まず、日々の暮らしの中で、節水は絶対に行うべきである。よく考えたら、生活全般にきれいな飲料水を使っている国は世界中どこを探しても日本だけで、日本は逆に言えば深刻な水問題を抱えたことがなく、日本に住む人は水のありがたさを理解しにくいのではないかと感じる。節水をすることで水のありがたみが分かったら、それはもうある種の大成功であると思う。 トイレ、風呂、など必ずしも飲料水を使わなくてもよい場面はいたるところにある。その場合、水道工事をして代わりに井戸水を使うのもひとつの手段である。そして水道管の利用について、油を流さない、皿はしばらく水につけて洗う、水をたらいに貯める、米のとぎ汁を植物の水やりに再利用する、シャワーはこまめに止める、風呂の水は次の日洗濯に使う、など細かいことではあるが色々考えついた。しかしこうした細かいことが、山となって発揮する力は素晴らしい貢献だし、カールソン氏の言う通り、細かいことしかできない我々であるからこそできることは無限にあると思う。

 

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