温暖化による水没の危機にある南太平洋の国・ツバル
水紛争
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1、 温暖化による水没の危機にある南太平洋の国・ツバル

 

現在地球規模で温暖化が進んでいるのはいまや誰もが知っている事だが、それが実際にいかに人々の生活に影響を与えつつあるのか、明確に知っている人はそう多くはないだろう。気温の上昇は日々の気候の変化で多くの人が感じているはずだが、それがひとつの国を水没の危機にさらしている事は知らない人も少なくないだろう。その国は南太平洋のツバルという、人口1万人強、広さは品川区程しかない小さな国だ。現在確実に進みつつある温暖化は、平均標高1.5メートルしか無いこの国を水没へと追い込みつつある。2100年までには1900年と比べて、平均気温が約1.4度から5.8度上昇すると言われており、それは0.09メートルから、0.88メートルの海面の上昇を引き起こすと言われている。そうなるとツバルの水没は免れない。そこでツバルの2002年当時の首相コロア・タラケ氏は全島民の移住計画の促進とともに、温暖化への関与が明確な大企業の提訴の計画を進めている。本来は京都議定書を批准しようとしない太平洋沿岸の先進国も提訴したいのだが、関与を明確に示すのが困難であるため、今のところは国の提訴までは出来ないと言う。

ここで我々が考えなければならないのは、なぜ先進国は議定書を批准しないのか、なぜ大企業は資本も技術もあるのに対策を取らないのかである。どちらにも共通して言える事は、極端なほど利己主義に走っている点である。自国の発展のため、自企業の利益の為に、それよりももっと大きく大切な事を忘れかけている。もっとも、大企業の中には環境へ配慮した製品を作る等、あたかも対策を講じているかのように見えるものもあるが、その多くは企業イメージの向上の為のひとつの戦略だといっても過言ではない。私たちが地球に生きる人類として忘れてはならないこと、それは私たちの生活のすべてが、この地球に基づいているということ。何事も基礎がしっかりとしていければうまくはいかないと言う。基礎が破壊されつつある中で、我々はどうやって物事をうまく運ぶことが出来るだろうか。持続可能な開発と言うが、もうその限界が見えてきているのに、どうして持続可能などと言えようか。すでに地球は本来の姿を保つことさえ出来なくなっている中で、重要視すべきは開発ではなく、復興である。人々は着々と発展の階段を上り続けて来たと思っているかもしれないが、いまやその階段は確実に下から崩壊しつつあり、バランスを失い、すべてが崩壊してしまうのは時間の問題である。一度立ち止まって周りをみれば、自分達は十分に満足できる高さまで上ってきたこと気付くはずだ。その階段はまだ先があるかもしれないが、今いる場所でも何も不自由はしない。ならばその位置を確保するために、壊れ始めた基礎を修復すべきだ。 実際、いま環境を犠牲にしてまで進められている開発のどれだけが、本当に我々にとって不可欠で、今の状態では十分とは言えないものだと言うのか。ほとんどが今まで培ってきた物を壊すことになってでも必要なものでは無いはずである。人類はいま、これまでの開発の成果を守るためにも、一度立ち止まり、地球の再生と保護に取り組むべきである。

では実際に、一個人として何ができるのだろうか。企業や国の方針を変えるものとして、たった一つの我々の声はあまりに小さく、届かないかもしれない。しかし、小さい声も集まれば大きなものを動かす力を持ち始める。我々の環境が環境を守るということに高い関心を保ちつづければ、企業も国も、関心を持たざるを得なくなる。私たちは新しいものばかり提供するメディアに惑わされすぎる事無く、本当に関心を持つべきことをしっかりと自分の中にとどめておき、それを人々の声として積極的に表現していかねばならない。

 

2、 水紛争

 

米国の研究者ピーター・グレイク氏によると、水紛争の始まりは紀元前2500年の古代メソポタミアまでさかのぼると言う。最近では水をめぐる対立が戦争へと発展した例は無いが、水利権をめぐる潜在的な緊張は高まっていると言う事だ。そのいくつかの例として、マレーシアとシンガポールの関係、メコン川をめぐる各国の思惑等が挙げられる。シンガポールは慢性的な水不足の国であり、必要量の45%もの水をマレーシアから買っている。そのため、両者の関係の悪化は、シンガポールにとって、水の提供を止められ、国民の生活が危機に追いやられる可能性を秘めており、マレーシアとの関係はシンガポールにとって、またその国民すべてにとって大きな関心事となっている。また、メコン川をめぐるタイ、ラオス、カンボジア、ベトナムの関係も人々の生活に大きく関わってくる問題である。また、この4者の水問題に大きくかかわってくるものとして、メコン川の上流にある中国、ミャンマーの問題も忘れてはならない。この両国は4カ国のメコン川をめぐる協定に参加していないため、4ヶ国が上流の国の利己的な開発による水質汚染や水量の減少に対し抗議を唱えても、水の自由利用を唱える2国には届かない状態である。

ピーター・レイク氏によると、近代で水をめぐる争いは起こっていないと言うが、それは今後もそうであるということでは全く無いのである。紛争はいろんな原因によってこれまで数多く起こってきた。では水が原因で起こりうるのかと考えると、もちろん起こりうるのだ。もしカンボジアとシンガポールの例で、カンボジアがシンガポールに対して、水を売る事をやめたらどうか。人間が生きていくうえで水は何よりも基礎となるものであり、それが奪われて冷静でいられるはずはない。水はどうあがいても人間にとって無くてはならない存在である。それゆえそれをめぐる争いは、他のどのような原因による争いよりも深くなる可能性をおおいにひめている。

ではそれを防ぐために、私たちは何ができるのだろうか。これまで紛争を防ぐために作られた国際ルールはどれも河川の航行に関するとりきめばかりで、水利権の問題に具体的に取り決めをし、採択されたものは無い。それはこの問題が、あまりに多くの利害対立を含むため、概念的なものしか作ることは困難であるためである。しかし、どの国も自国民の生活安定の為に、安定した水の確保が不可欠だといった点は共通することである。いいかえれば、どの国も、お互いの水の必要性はわかるということだ。ならばすべての国が、一番重要視すべき生活安定のための水の確保のみをまずは考慮し、その取り決めがなされ、それをもとにして付随してくる利害関係を協議しあい、問題解決をめざすべきである。しかし、他のさまざまな問題でもそうであるが、利害関係の対立する国同士では、なかなかそう上手くは行かない。そこで国際機関や第三者の国の存在が重要になる。水の問題を、当事者間のみの問題とは考えず、人類共通の問題として、世界規模でお互いたすけあい、解決の糸口を見つけ出さなければならないのである。

世界規模の水の問題に、私たち個人はどう取り組むのか。一番大切な事は、私たち一人一人が地球に対し、大きな力を持っているということを忘れないことである。これまでに述べたような水をめぐる対立も、すべて私たち一人一人の水のために発生した問題であり、消して遠いところで起こって、誰か専門家が協議し合い、いつのまにか解決されているような問題では決して無いのである。私たち一人一人の要求や意見が、国の意思となり、その国の行動が地球規模の問題に発展していくのである。私たちは地球規模、とか国際的な問題などという言葉を聞くと、なにか自分達とは離れたことのように感じることがよくあるが、その発端は私たち一人一人であり、決して遠い問題でもなければ、ましてや無関係などということとは程遠いのである。私も実際、国際問題などの報道を見ると、いまの自分では何も出来ないと重い、悔しい思いから、見たくないという思いに駆られる事がよくあるが、実はそうではない。こういった問題を解決するために具体的に働いている人たちは、私たちの思いを代表したうえで自分のもつ知識や経験を駆使し、解決の糸口をはかっているだけで、その問題に対する重要性は、彼らと私たちに、たいして差はないのだと思う。つまり、大きな問題も小さなことから発生し、大きな問題の解決も、小さくみえる意見に基づいて解決への努力がなされている事を忘れない事が、私たち個人ができる最大の事なのである。

 

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