現代の水問題

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 普段何気なく使っている水。生物が生きていくうえで欠かすことのできない水。地球を育む水。私たちの生活の周りには、当たり前のように水に恵まれていて、水の大切さに気づく機会はあまりない。その水が、21世紀を迎えた今、危機にさらされ、そして様々な重大な問題を引き起こしている。ここでは、現在地球上で起こっている主な4つの水問題を取り上げて、自分なりの対策を考えていきたい。

 今地球上で起こっている主な水問題のうちのひとつ目は、水不足の問題である。深刻な水不足は生活の重荷になるだけでなく、死をももたらす原因となるといえるだろう。例えば、エチオピアのある集落では、住人の水源となる池は集落から1時間のところにあり、少女たちは毎日水汲みという過酷労働を強いられている。そこで得られる水の量はわずかで、しかも泥交じりであるという。日本国際飢餓対策機構によれば、同国の五歳未満の死亡原因の45%が、アメーバや寄生虫による下痢という調査結果も出ている。二つ目の問題として、洪水が挙げられる。つい最近まで国際社会で水問題といえば、水不足を指すのが一般的であったが、一度に大規模な都市被害や死傷者を出すという点で、洪水はより影響が大きいといえる。水に関する自然災害で年々深刻さを増し、88〜92年の統計で初めて「干ばつ・飢饉」を上回り、98〜2000年では1億6千800万人に達する最悪の災害となっている。人口増加で川や海に近い低地での居住や、保水力を持つ森林の伐採が原因だが、モンスーンなどに見舞われるアジアで被害は深刻化し、特に高台に住めない貧困層を直撃し、家屋を失うことでさらに困窮する「貧困の連鎖」が起きている。三つ目の問題は、水をめぐる紛争である。この、国際的な水をめぐる争いは20世紀以降、急激に増えている。主なものでは、48年にインダス川の水分配でインドとパキスタンが開戦寸前までいったケース、63年にはエチオピア、ソマリア国境で紛争があり死者数百人。89年からのモーリタニア、セネガルでは住民の争いで数百人が死んだ。ただ、実際に戦闘が起きたのは20世紀を通して4件しかなく、中山幹康・東京農耕大学教授によると、トラブルは増えているものの、解決方法は紛争より強調的なものが多くなっている、とのことである。例えば、69年には、乾期に自由に取水していた上流国インドと、下流国バングラデシュの間でガンジス川の分配率を決める条約が締結。また、99年には、地下資源の恩恵で豊かな南アフリカ共和国が、最貧国ながらも水は豊富なレソトから水をかう協定を結んだ。最後に、水質汚濁の問題が挙げられる。国が管理する1級河川の中で「最も汚い川」の座をこの10年争っている大和川(奈良〜大阪)と綾瀬川(埼玉〜東京)。なぜ大和川が汚れているのかというと、流域は雨が少ないうえ傾斜がなく、汚れの分解を助ける水の勢いと水量が足りない。そんな川の周辺で宅地開発が進み、炊事や洗濯に使われた生活排水の一部が川へ流れこむ。汚濁の原因は約8割が生活排水だと言われている。宅地が密集する上流のほうが水が汚い。一度汚れた川の浄化は難しく、生活排水を改善しない限り、川はきれいにならないと言われている。水質汚濁は、川や湖、海などの生態系を壊す原因となるし、また水中生物が有害な物質を含むことになれば、それを食べる人間や他の生き物にも危険を与えることになるため、重要視すべき問題である。

 これらの水問題に対して、私たち人間は何をすべきであるかと言うと、まず、これらの問題が他人事ではないという意識を持つべきである。水という資源は無限に存在するのではなく限られたものであるということ、私たち人間は水なしでは生きられないということを改めて知る必要がある。特に水に恵まれた場所に住む人々は、地球上で水不足という問題が起こっていることすら忘れがちであるので、気をつけなくてはならない。水不足の地域への対策としては、水を引く技術も資金もない発展途上国であるなら、先進国が技術・資金援助を行い、井戸や浄水場の設置をしたり、井戸を掘る技術を教えたりすることで、状況が改善されるのではないかと思う。海水の淡水化も水不足解消に役立つ。現在、中東やヨーロッパなどを中心に、日本企業の特殊膜やプラント建設の技術を生かして、海水を目の細かい特殊な膜でろ過し、飲み水を作る取り組みが本格化しているそうだ。水の無駄遣いをなくすことを第一に、水の豊かな国から乏しい国への水の移転、先進国から発展途上国への技術移転と資金援助、そして新しい技術の開発が水不足対策に有効であると思う。次に、洪水問題への対策として、堤防を作ることや、家屋の高さを上げる技術の移転、そして森林破壊をしないこと、時間はかかるが森林の再生を目指すこと、がある。森林を守り、育てることで、水の貯蔵庫である本来の役割を森林が果たせば、洪水は結果的に多少抑えられるのではないだろうか。そして、まだまだ新たな水問題として認知されていない洪水を、人々が認めて注目していくことが大切であると思う。そして、水をめぐる各国間の紛争に関しては、お互いが協力し合って譲り合うことが大事だ。双方が平等になるように分配率を決めるなり、取引をするなりして、複数国でひとつの川や湖等を所有するならば、きまりを制定するなどして、一緒に貴重な水を守りつつ使うべきだと思う。そして、水質汚濁の問題に対しては、これはほとんど人間が原因であるので、特に一人一人が意識するべきである。自分たちが自然の水に対して与えている悪影響を具体的に知る機会があれば、意識も高まるのではないだろうか。下水処理施設の普及も水を汚れから守るひとつの策である。それから、発展途上国は、先進国と同じ道を歩むのではなく、環境に配慮しつつ発展していくべきであるし、先進国は自国の失敗を生かして、「持続可能な開発」を促していくべきである。

 それでは、私たちは身近なところで、これらの水問題に対して何ができるのであろうか。水不足問題については、前にも述べたが、水は限りのあるもので、水道をひねれば出てくるのが当たり前なのではない、ということを常に意識して、無駄使いしないことであると思う。私自身は、阪神大震災の時、1、2ヶ月水道が使えず、とても大変な思いをしたし、水道から水が出るようになったとき、トイレが普通に使えるようになったとき、そしてお風呂に入ることができるようになったときは、すごく感動した。あの時、あれ程水の大切さを実感したはずであるのに、8年たった今では忘れている自分がいた。人間、その状況におかれない限り水不足の問題を意識し続けることは難しいとは思うが、水道やシャワーの水をこまめに止める、とか、お風呂の水を再利用するなど、水の大切さを気にして使いたい。また、家庭で雨水を利用して節水できればいいと思う。洪水問題に対して身近でできることは、まず、洪水も水の国際問題であるということを知っておくこと。それから、森林を保護するために少しずつでも木を植えたり、コンクリートよりも吸水性、保水性の高い土を増やしていきたい。人間が破壊してきたものを少しずつでも直していくべきだと思う。また、川や海を汚さないために、油などは排水溝に流さず古紙で吸い取って捨てる、洗剤等は不必要に使わない、定期的に清掃をする、など、一人一人の日常生活での少しの気の使いようできっと改善されるであろう。

 水がいかに大切なのか、それを一人一人が意識すれば、水問題がこれ以上増えるということを避けられるのではないか。水に恵まれたこの地球を、壊すのも守るのも、私たちにかかっている。21世紀は水の世紀だといわれているが、人間と水とのバランスの良い共存の世紀になってほしい。

 

<参考文献>

「世界水フォーラム」特集 2002年12月23日 読売新聞大阪朝刊

「各地で洪水」 2002年9月13日 読売新聞東京朝刊

「大和川・綾瀬川なぜ汚い」 2002年11月29日 朝日新聞大阪朝刊 

 

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