水と人間が作る地形―砂浜―
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 小学生の時、島根県仁摩町にある琴ヶ浜という海岸で、生まれて初めて「鳴き砂」に出会った、砂を踏むたびにする“キュッキュッ”という音はとても神秘的に感じられた。亡き砂に限らず、様々な風景や生物、娯楽、時には飛砂などの被害などを生み、沿岸地域を並みから守っている“砂浜”は自然状態においては海・川・波などの“水”の力によってつくられる。雨や川の流れによって陸が削られて川の流れにのって運ばれた土砂や波によって削られた岬などの岸壁の土砂が、波の力によって打ち上げられ堆積して砂浜海岸を形成する。琴ヶ浜海岸も江の川から運ばれてきた土砂でできているといわれている(異説あり)。砂浜海岸の環境や海岸線は潮の満ち引き、暴風時には高波浪によって沖へ砂が運ばれ、静穏な波浪で岸へ戻る、風に飛ばされる、など絶えず変化し続けている。また、人間の様々な活動も砂浜の形成と浸食に大きな影響を与えている。そこで、砂浜に関する新聞記事を通して「人間と水」について考えてみたい。

 

[今何が起こっているのか]

 砂浜に関する記事を集めてみると日本あるいは世界各地で砂浜が危機に瀕していることが分かる。まず一つ目は弓ヶ浜に関する記事だ<記事1>。島根県の弓ヶ浜半島は、近くの日野川上流で盛んであったタタラ製鉄のための「鉄穴(かんな)流し」と呼ばれた砂鉄採集技術による廃土が川を下って、海流に運ばれてつくられた。しかし、17世紀初頭にはじまった鉄穴流しも大正に入ってタタラ製鉄が衰退すると行われなくなり、土砂の供給がおとろえて、砂浜の並みによる浸食が激しくなった。波消しブロックなどによって、砂の流出を止めようとしたが、効果が限られていたので、砂が余っている砂浜北部から砂を移動して浸食を食い止めるようになった。人間と水が共同で作った砂浜を人間が守っているのである。

 

  次は、ダムが砂で埋まってしまう堆砂に関する記事である<記事2>。天竜、大井、黒部川水系にある水力発電用を中心とする約30のダムに川で削られた土砂がたまり、中には歩いて渡れるようになったものもある。ダムに土砂がたまることで、上流での水害の危険が高まり、むやみに排砂すれば漁業への影響も無視できない、また土砂を運び出したりダムを撤去しようとすれば公害や費用の問題が立ちふさがる。ダムへの土砂の堆積は砂浜にも大きな影響を与えている。日本で最も大きな土砂排出(生産)量を誇った天竜川(ややオーバーな見積もりでは3800万立方メートル/年)は遠州灘沿岸に広い砂浜をつくり、その背後の砂丘を形成した。しかし、ダム街道とも呼ばれる天竜川では、貯水ダムや防砂ダムにおける大量の堆砂とかわらの土砂採掘などで、1980年代にはわずかに16万立方メートル/年の土砂しか河口まで到達できなかったとする計算もあり、土砂の供給が減った砂浜は、どんどん浸食され、これを食い止めるために離岸堤群が建設された。

 この現象は日本全体で起きている。1960年代までほぼ毎年のように、日本のどこかで山崩れ、河川氾濫などの被害を受けていた、それを食い止めるために多くの貯水池(ダム)防砂ダムなどが建設されて、その結果河川から海に排出されて砂浜に供給される砂の総量は約2分の1まで減少してしまった。このため日本各地で砂浜が浸食され、国などはさまざまな手段によって砂浜の保存、人口砂浜の造成を行っている。しかし、これでは上流にはダム、下流には人口砂浜と双方で巨額の公共投資がおこなわれてしまっていることになる。またおととしの末には、明石市の人口砂浜で4歳の女児が生き埋めになる事故があり、人口砂浜の設計と管理に大きな波紋を投げかけた。<記事3>

 

 ほかに、水と人間そして砂浜の関係を考えるときに思い浮かぶのは重油の流出である。昨年12月には日立港防波堤で貨物船が座礁、燃料タンクの重油が漏れて海岸に漂着し、漁業関係者やボランティア達が重油を取り除く作業を行った。<記事4>また11月にはスペイン沖でタンカーが難破、ヨーロッパ各地の海岸(砂浜含む)で被害が発生した。<記事5>97年には「ナホトカ号」が日本海沖で難破。日本海側の多くの海岸に大量の重油が流れ着き、万単位のボランティアの地道な作業によって多くの砂浜が救われた。人間の産業のために使う石油を、海の力を借りて運ぶ途中でミスをしてしまい海(砂浜)を汚してしまう。しかしそれをフォローし自然を取り戻すのもまた人間なのである。重油汚染というと、湾岸戦争のときに米軍が石油コンビナートを破壊したことで起こった、ペルシャ湾の汚染のことが思い出される。米国が再びイラクを攻撃しようとしている今同じ悲劇が繰り返されないことを願うばかりである。

 

 さいごに地球温暖化による海面の上昇とそれによる砂浜の後退の問題がある。太平洋に浮かぶ小さな島々に暮らす人々は、その影響をはっきりと感じている。フィジーのビチレブ島に住む地元の古老は「20年前に比べて砂浜は狭くなったと証言します。<記事6>1991年にはアメリカの大西洋岸の砂州で、過去1世紀のあいだの海面上昇で最高で1000メートルにも達する砂浜の後退がもたらされたとする報告もされている。

 

[人間は何をするべきか]

 最初の文明は大河のほとりに発生した。そして、人間の生存、文明の発展に不可欠な水を治めることは文明の発生以来、人間が取り組むべき大きなテーマでありつづけた。そして、人間はやがて水と水の作り出す環境(砂浜、川、池など)に対して大きな影響力をもち、それらをある程度コントロールするようになった。その一方で、人間の技術の未熟さから、環境を破壊してしまったり、治水に失敗して水に牙を向けられたりしている。しかし、私は人間の水と水の作る環境を操る技術を否定して、大いなる自然の前に人間の小ささを悟るべきだなどといおうとはおもはない。確かに人間一人一人の力は小さいかもしれないが、その人間が集まって作っている社会は水と水の作る環境をある程度支配している。その人間社会がなすべきことというのは、人間(社会)が水、あるいは自然に対して与える影響の大きさをはっきりと認識し、そこに失敗や行き過ぎがあれば、賢く修正していくことであると思う。たとえば砂浜に関してならば、ダムにたまってしまっている砂を再利用して砂浜を再生したり、ダム建設に偏りすぎている治水政策を見直したり、戦争などは環境以前の問題であるし、タンカーの事故も反省とそれに基づいた対策がなされなければならない。温暖化の実態を調べ、それに対する対策を立てなければならない。人間は地面がなくては暮らしていけない、特に海岸地帯は人口も多くそこから得るものも大きいことが多い。その大事な土地を守ることは人間の生存のためには不可欠である。

 

[私達は今いるところで何ができるか]

 私達が今いるところでできることもたくさんあるだろう。まずは近くの砂浜に行ってできること、ごみを捨てないなどのマナーを守るのはもちろんのこと、さまざまな団体が主催している海岸クリーンアップなどに参加してみるのもよいと思う。治水事業に関してでも、田中康夫長野県知事のようにその見直しを進める政治家に、支持したり、投票したりする、あるいは治水事業を見直す団体、運動に参加、賛同することによって、行政にも影響を与えられる<記事6>。また「ナホトカ号」のような大きな重油流出事故ではボランティアが大きな力を発揮している、機会があったら参加してみるのもよいと思う。温暖化に関してはその下人となる二酸化炭素の20%が家庭から排出されていることを考えると、その削減に努めることが必要である。エネルギー源である石油の使用量を減らすことは、タンカーの事故による重油汚染の確立を減らすことにもつながるだろう。私達は水、あるいは砂浜などの水が作り出す自然環境の命運を握っていることを意識して行動することが求められている。

 

参考文献およびホームページ

・ <琴ヶ浜について>

仁摩サンドミュージアムホームページ http://www.nima-chou.ne.jp/museum/index.html.

・ <砂質海岸の地形変化><鉄穴流しについて>

<温暖化に伴うアメリカ大西洋岸での砂州侵食状況について>

 小池一之・太田陽子編 『変化する日本の海岸―最終間氷期から現在まで』 古今書院 1996年

・ <弓ヶ浜について><天竜川と遠州灘について>

 小池一之 『自然環境との付き合い方5 海岸と付き合う』 岩波書店 1997年

・<脱ダムネットHP> http://www.lcv.ne.jp/~katotya/index.htm

・<環境庁温暖化に対する提唱行動について> http://www.env.go.jp/earth/cop3/dekiru/dekiru.html

・ <琴引き浜のHP> http://www2.nkansai.ne.jp/org/sea-man/index.html

・国土交通省 河川局 のHP <海岸浸食とその対策> http://www.mlit.go.jp/river/kaigandukuri/sugata_index.html

・ <ごみ拾いについて>

宇宙船地球号の会HP http://www.asahi-net.or.jp/^if7s-tkmt/index.html

日本釣り場環境保全連盟 http://www.npo-jef.jp/jef/

 

 

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