時の流れと夙川

 

 小学校入学から高校卒業までの12年間、私は兵庫県西宮市に住んでいた。桜が市の花とされているだけあって市内にはたくさん桜の木があり、また桜の名所もいくつかある。今回、注目した夙川もその1つである。

 兵庫県西宮市の中央よりも少し西に位置した夙川。かなり上流のほうに行けばまだ自然に近い状態が残っているが、両岸は河口まできれいに整備され、公園や遊歩道になっている(写真_参照)。桜の名所として選ばれただけあって、春には両岸に植えられた2300本の桜が約4kmの見事な桜のトンネルを作り上げる。その時期にはたくさんの出店が出て、晴れた土日にはレジャーシートを広げたくさんの人がお花見を楽しむ姿を見ることが出来る。もちろん、桜の季節以外にもジョギングをする人、散歩をする人、公園で遊ぶ人などを見かけることが出来る。川から一歩外に出れば、生活感にあふれている。川に沿って、阪急電鉄の甲陽園線が走っているが、駅の周りはたくさんのお店があり、その他の場所はたいてい住宅街となっている。聞いたところによると、昔は閑静な住宅街が広がり、駅のそばに郵便局や和菓子屋などが狭い路地に窮屈にならんでいるだけで、今現在のような開けた印象はなかったようだ。遊歩道も今ほどは長く整備されていなかったと言う。

 夙川はあの有名な宮崎駿監督の映画「火垂るの墓」にも出てくる。もともと、あの話は西宮市が舞台になっている。せつことせいたが暮らしていた防空壕のそばにある池や、彼らの母親が一時入院していた病院も実際に存在する。

 夙川は当時住んでいたところからもそう遠くはなく、すぐに引っ越してきた私たち一家のお気に入りの場所になった。父は大学生時代に市内に住んではいたものの、夙川と触れ合う機会はあまりなかったようだ。休日には兄と私をジョギングに連れて行ったり、上流のほうへ行って釣りをしたりした。そして桜の季節にはお花見を楽しんだ。

 当時(小学校1_2年生)の私の目には、夙川はきれいに整備された公園の中に流れ込む川として映っていただろう。しかし、時の経過と共に新しい観点が生まれてきた。

 まず、大きな転機となったのは阪神大震災だろう。1995年1月17日、まだ小学校2年生だった。あっという間の出来事だったが鮮明に覚えている。西宮市では震度7を観測した。年も明けてまた春の桜を楽しみにしていた私は、桜の木が折れてしまったのではないかと大変心配したのを覚えている。地震直後から3ヶ月、九州の両親の実家で過ごし、新3年生として再び西宮市に帰ってきたとき、また桜の木を見ることができてとてもうれしかった。しかし、夙川にかかる17の橋は打撃を受け、そのうち3つの橋は架け替えが行われた。また、川にもかなり手が加えられ、遊歩道などがさらに長くなり、今現在の状態のようにきれいに整備された。倒れずに立っていた桜の木や松の木を見たとき、自然の強さを感じた。しかし、それが自然の強さだけではないと後に学ぶことになり、少し複雑な気持ちになった。昔、川の両岸の堤防を作るときやまた阪急電鉄甲陽園線を作るときに借り出された人々の大部分は、強制連行で連れてこられた人だったという話を聞いたからだ。それ以来、川岸を歩くたびにその人たちのことを思い、川の流れに哀愁を感じるようになった。

 小学校5年生になったとき、市内の民話を調べるという課題が与えられた。私は友だちと一緒に夙川の上流にある越木岩神社にまつわる話を調べることにした。越木岩神社には豊臣秀吉が大阪城を建てるときに使おうとした大きな岩がまつってある。その岩を動かそうとして何人もの人が犠牲になり、たたりなどといって結局は動かされなかったものだ(市内にはそのような岩がいくつか存在する)。私たちが着目した民話は越木岩神社と夙川に関係していて、越木岩神社に調べに行くついでに普段は行くことのないあまり整備されていない上流に触れ合う機会が出来た。そこはかなり静かなところだった。周りは閑静な住宅街。道なき道を通って川まで降りた私達はしばらく散策したあと、大きな石に座って川の流れを見ていた。3人とも、考えていたことは同じだった。昔はどれだけたくさんの子どもたちが川で遊んでいたのだろうか、かたっぱしから石をひっくりかえしては未知なる生き物に出会っていたのだろうか。夙川に関して整備された川、というイメージしかなかった私の中にまた新たなイメージが生まれた瞬間だった。

 それ以来、川の流れそのものに触れることがどんどん減ってしまった。中学生、高校生にもなると夙川に行く機会そのものが減ってしまい、友だちとお花見に行ったり、普段車や電車などで通るときに見かけるだけだったり、というように、水に触れることがなくなってしまった。先日、改めて川を訪れて冷たい水に触れて、小学生の頃をなんとなく思い出していた。私が行った中流付近はかなり整備されているのだが、水はまだ透き通っていて小さな川魚(おそらくオイカワだろう)を見ることもできた。川の流れからふと目線をあげると、町並みが目に入ってくる。駅、窮屈に並ぶ銀行やお店、路上駐車、行きかう人、車。まるで切り離された世界のように思えた。

 このレポートを書くにあたって、「夙川のほとりからの便り」というホームページ(http://www.shukugawa.com/)を大いに活用させてもらった。このホームページでは特に夙川に架かる橋について述べられている。それぞれの橋について写真があり、また解説も載せられている。普段、何気なく通行していた橋。その橋に着目して川を見る、という新しい視点を見つけることが出来た。阪神大震災による影響についても事細かに記してあり、3つも立て替えられた橋があったこと、また立て替えられることのないであろう、落ちてしまった橋があったことを知った。夙川については、「夙川は、兵庫県西宮市の西寄りに位置する小さな川です。少し西に歩けば、もう芦屋市に入ります。川の両岸は樹木の豊富な公園なのです。海(香櫨園浜)から西宮市のシンボルの一つである甲山(かぶとやま)を望むことが出来、山から海へと続く「緑の帯」(真ん中に夙川がながれている)は、独特の景観を形成しています。そして、散策がてら海からほんの5キロも北に運べば、もう甲山の麓(ふもと)なのです。川の両側には殆どの所で遊歩道が整備され、また、大半のところに、左の写真(写真_参照)のような川中道路(素敵な第2の遊歩道)が設けられています。」と描かれている。甲山のふもとにある小学校に通っていた私にとって、夙川はやはり身近なものと言える。

 「夙川のほとりからの便り」のホームページを作っている方にお話を伺うことができた。過去の様子について語ってくれたのもこの方なのだが、「むかし(30年、20年前)には、河口の口のあたりはそれなりに深度がありました。その後、土砂が次々に運ばれ河口から沖にかけて水面下数10センチの厚さまで土砂が堆積してしまいました。さらにその沖では、夏に水上バイクが駆け抜けるなどと言う素敵な景観が私たちの目を楽しませてくれるのですが・・・夙川の河口に立つと、今「阪神高速湾岸線」が勇姿を誇っているようですが、これも、むかしには勿論ありませんでした。こうしてみると、「川」そのものの流れは変わっていなくても、周囲は大層「俗化」して来ている、と言うことが出来るのでしょうね。」とおっしゃった。「俗化」、という表現はまさにぴったりだと思えた。12年間で私の中でもかなり「俗化」してしまったような気がする。川、その流れ、そして水から離れてしまい、生活の中でただ目にするもの、というようになってしまった。昔から、変わることなく流れ続ける夙川。自分を含め、今よりもっとたくさんの人がその存在の大きさに気づき、触れ合えるようになればいいと思う。たくさんの人を惹きつける、そんな川であってほしい。

実家に帰る機会が出来たら、また夙川を訪れてみたいと思う。そのとき、ぜひとも川の水に触れてみたい。小学校のころのように、川の流れだけに集中してみたいと思う。あのときと同じ感触、感動が得られることを心から願う。

       

    写真1                   写真2