2005NSIII「自然の科学的基礎」
「地球カレンダー」
 
「課題レポート・」
地球カレンダー
地球誕生の時を元旦(1月1日)の0:00am、
今現在(2000年とする)を大晦日(12月31日)の24:00とする。
こうすると、
1. 植物・恐竜の出現時(4億年前)
    →11月29日14時36分
2. 人類発生(100万年前)
   →12月31日22時56分21秒
3. 紀元元年(2000年前)
   →12月31日23時59分46秒
4. 近代化学のはじまり(Daltonの原子論発表:1800年)
   →12月31日23時59分58.6秒

という計算になる。

 ちなみに人の一生を八十年とした場合このカレンダーでは0.56秒、私は二十歳なのでまだ0.14秒しか生きていないことになる。つまり私の誕生 日は大晦日23時59分59.86秒というわけだ。

 この地球カレンダーの計算をするまでは、人類発祥が8月くらいで近代科学は11月下旬くらいだろうと勝手に想像していたが、実際計算をして数値が 出たときにはすごく驚いた。人類が始めて地球に現れてからまだ4分も経っていないのである。

 私は成人式で講演をして下さった方が、人生八十年を24時間に例えると、二十歳はちょうど午前6時、夜明け前だ、と言っていたのを思い出した。し かし地球カレンダーでは夜明け前どころか0.5秒しか人間の一生には与えられていない。これは私にとって衝撃的だった。

 同時に、わずか1秒、つまり1年の三千万分の一の間に人間は近代科学を飛躍的に発展させ、同時にわずか1秒で1年間かけて地球が築き上げてきた自 然や環境というものを壊したのだということに気がついた。

 これは重大な事実である。1年かけて毎日コツコツ貯金したお金を一瞬で使い切ってしまうのとは別である。なぜなら地球は元には戻らないのである。 だからこそ私たち人間が地球にとってどんな存在であるか、私たちの持っている力がどれだけのものかを知るためにも、この地球カレンダーのことをもっといろ んな人に知ってもらいたいと思う。本当に驚いた。


2. <計算結果を見て感じたこと>

 人類が誕生してからの期間のあまりの短さに驚かされた。地球からしてみれば人間の歴史とはこんなにはかないものなのか、と虚しくさえも思えた。し かし、こんなに短い時間の中で人類は良くも悪くも地球に多大なる影響を与えたことは確かではないだろうか。特に環境問題に関しては、地球が人類誕生まで せっせとつくり上げたものを人間があっという間に破壊してしまったのだと考えると、地球に対して申し訳なく感じる。しかし、もう環境を壊してしまったとい う事実は変えることはできない。したがって、いま人類にとって大切なのはこれからの行動のあり方なのではないだろうか。今後の行いで地球の状況は今より良 くも悪くもなれるはずだ。その状況を少しでも良くするには、国単位で物事を考えるのではなく、個人個人が日ごろの生活で環境保護を心がけていく必要があ る。この地球上にいる限り、環境破壊に関係していない人間などいないと思われる。よって、一人ひとりの心がけが重要になってくるに違いない。今回の計算結 果から、私はそんなことを感じた。


3. 結果を見て感じたこと:

 驚いたことに、人類の発生以降の出来事はすべて大晦日の夜にあたるということがわかった。また、紀元元年と近代化学のはじまりは同じ23:59分 であり、12秒しか差がない。45億年という時間の長さを実感するとともに、人間が生きているのはほんのわずかの間なのだとわかった。小さい頃、百科事典 で同じ話題に触れている記事があったが、その時はにわかに信じがたかった。しかし、今回実際に計算して確かめることで、本当のことなのだという実感がわい た。水という物質は、この45億年というはるかな時間を経て受け継がれてきた不思議なものである。それを、地球の歩みで言えばほんの数時間を生きているに すぎない人間が勝手に変えてしまっていいはずがない。地球の歩んできた長い時間をこのように実感することは、人間も自然界の生態系の一部として謙虚に生き る意識を呼び起こしてくれた。


4. 結果を見て感じたこと:

 この授業を取るまで、恥ずかしいですが水が地球の誕生以来大循環によって今にまで受け継がれていることを、本当の意味で認識していなかったと思い ます。大切にしないといけない、けれど限りあるわけではないんじゃないか…そんな風に思っていた部分が少しあったかもしれません。

 身近にありすぎて気付かないもの、両親、友達、平和、自然、水。沢山のものが水を通して尊く、また愛おしく思えてきました。その儚さについて意識 的になることで、行動に移せるようになってきました。ありがとうと言う事、思いやること、ごみを拾うこと、水を大切に使うこと。どれもこれも個々に関係性 をもつわけではないですが、これら全ては私の中で水を通して見えてきた大切な事実です。そしてこの気持ちがどんな行動を移すにも、私は大切なんじゃないか なと思います。

 自然の前に謙虚になることで、自然は沢山のことを私たちに教えてくれます。科学技術の進歩で私たちは自然に対して傲慢でありすぎた部分があったん だという事を、授業を通して感じました。そしてそこに対して反省をし始めている人々がいて、行動に移し始めている人がいて、それでもまだ傲慢であり続ける 人も居る、という混沌とした現在の状況も目の当たりにしました。

 この授業は私たちに水との関係を考え直させてくれました。初めて水と自分の命についての切っても切れない深い繋がりを本当の意味で理解し、それら が自分の問題となって自分の中に芽生えました。この問題意識とそれに対して何ができるか、これは授業を越えて私はずっと考えていきたいと思うし、考えてい かなければならないことだと思います。それが水に対しての誠意であるし、水と共存していくための人間としての責任であると思います。

 草の根の活動では止めることができない程の深刻な水問題がこの世界に溢れていることは百も承知ではあるけれど、その中でもこの授業をとった一人ひ とりが草の根の活動を続けていけば、それはもはや草の根の活動にはならないのではないか、と思います。その意味ではICUという大学は素晴らしい環境にあ るし、その環境を私たちが享受するだけでなく、この素晴らしい環境から私たちが社会に、世界に還元していける事は沢山あるのではないでしょうか。

 そういう視点もこの「水」という地球規模で物事を考える事が自然にできるものと向き合うことが出来たからです。こう考えると「水」を通して考えた ことが、何をするにもこれからの私の人生において大きなテーマになってくるんじゃないかと強く感じました。

 そしてそれはこの身近なものを慈しみ、尊び、愛する気持ちだと思います。本当にこの授業に出会えてよかったです。ありがとうございました。


5. 結果を見て感じたこと:

 計算の結果、人類が生まれた時ですら12月31日であった。人類が誕生したのはかなり後だろうな、とは思っていたが、これほどとは思っていなかっ た。近年の環境破壊などの影響で、地球はかなりのダメージを受けている。人間の営みで地球が破壊されてしまうという意見もある。もしそうだとするならば、 1年の最後、たった数秒で地球を破壊してしまうことになる。人間はそれほどの力を持っている。だが、破壊することができるのなら、守ることも不可能ではな いはずだ。せめて人類の生存が1日ぐらいになるように、地球を守っていきたいものである。


6. 結果を見て感じたこと:

私は計算の類が苦手なので上の答えにあまり自信がありません(見直しはしましたが…)が感じたことを大きく分けて2点書かせていただきます。

(1)手法について
まず、今現在を「大晦日」と設定するよりも、「地球の一生と考えられている年数=一年」とし、そこから誕生後45億年である「今」が何月何日なのか導き出 し、計算をするほうが良いのではないかと思います。
今から約50億年後、太陽が赤色巨星となり、地球は赤色巨星となった太陽に飲み込まれ蒸発する、という説があります(Wikipedia、他)。この説に のっとれば地球の寿命は約95億年ということになり、すると「今」は5.6月ということになります。
私達が生きている、地球の歴史から見ればほんの一瞬である「今」は、時間としては、なんの特別なことのない、地球に、宇宙にながれるただの一瞬だと思いま す。なにか特別な感じを醸し出す「大晦日」にあえてこの一瞬を設定するのはおこがましいように感じます。「大晦日」は「一年」の終わりであるため、「今」 が地球の終わりであるような錯覚を与えてしまうような気がします。
5月の後半といえば、北半球ではこれから夏になる季節。温暖化に直面している「今」にはぴったりの季節ではないでしょうか(もっとも、「夏」がくる前に人 類は滅びているのでしょうが)!…という冗談は脇に置いておくにしても、地球という惑星が、宇宙にこれからも、今まで存在してきた時間と同じか、もしくは それ以上の時を存在していくであろうことを考えると、「今」を「大晦日」にするのは適切ではないと思います。
もちろん、長い長い地球の歴史の積み重ねのなかでの人類の存在の一瞬さを知る、という点では「今」を「大晦日」と設定することはとても有効だと思います。

(2)計算から導きだした数字について
 525600分生きてきた地球のほんの116分存在してきただけの人類。その1分の存在だけで、525600分の歴史を少なからずも解明してきた人類を 素直にすごいと感じました。また、そんな能力があったにも関らず、人類が地球に対して行ってきた行為のほとんどが「破壊」であるということはとても残念で なりません。
特に200年前の産業革命以降の木々の乱伐、海や大気の汚染、動物の乱獲、そして石油資源の乱用。525600分のうちのほんの1分の間に人間の行ってき たことの地球への影響はあまりに深刻だと思います。1分で525600分をだいなしともいえる状態にしてしまった人類というものの存在は、地球にとって、 短い時間ながら、とても重大なことなのではないかと思います。
 人間は人間という存在を中心に物事を考えがちだと思います。利己主義が人間というものの本質なのかは私には分かりませんが(そもそも「人間の本質」など というものがあるのかも分かりませんが)、地球全体のことを考えることが真に自分自身の利益にもなると思います。
 温暖化はすぐに、島国、熱帯地方や寒冷地方以外にも深刻な影響をもたらすことになると予測されます。水の枯渇による「水戦争」が現実のものになる可能性 もあります。「自分の利益」は「地球全体としての利益」と別次次元には存在しえないでしょう。
 525600分の地球の歴史の中にのこる一点のシミとならないために、人類は今山積されている数々の問題を解決していかなければならないと思います。


地球が誕生してからいままでの45億年というスパンで考えると、人間が開拓してきた技術は本当に矢のような速さで地球の状況を悪化させているという ことが分かりました。これからの地球の未来を真剣に模索していく必要があると思いました。


▲ 戻る