2003NSIII 「自然の化学的基礎」 

「万物の根元は水である」か?

山本翔

 

 タレス曰く「万物の根元は水である」。物質と言うものはみな分子や原子からできていて、水でさえその例外ではない、と学校で習い信じている私達が彼の言葉を聞いたならば、おそらく大昔の人間の戯言と思って笑い飛ばすだろう。

実際原子説というのは覆しがたい実験の多くによって立証されているし、その理論のもとでは水は酸素原子と水素原子の結合した分子の集まりに過ぎない。水から万物が生れ、戻るのではなく、原子が万物の元となり、万物は原子に還元される。

 果たしてタレスは大昔の無知な一人の哲学者なのだろうか?ただ笑い飛ばすだけで終ってしまっていいのだろうか?私は二つの点で、彼の説は的を得ているのではないかと思う。まず彼がこの説を十分科学的な思考から導いた点だ。

 タレスがでたらめなことを言う詭弁家であったかと言うと全くそんなことはない。彼が生きたのはオリンポス神話が全盛だったギリシャの世である。自然を支配しているのは天上の神々だ、と信じられていた時代に彼は「水こそが」自然を支配していると主張したのだ。その批判的精神はなかなかのものであろう。

 観察の技術もまた確かである。彼は2500年も前の時代に日食を予言するという業績を成し遂げている。科学的な思考や観察力においては現代の私達でさえ及ばないのではないだろうか。

 同時代の他の学者はなんと言ったろう。タレス以後、三人の学者がそれぞれ万物の根元は空気、土、火だと主張した。その後エンペドクレスやアリストテレスが上記の一元論を否定して水・空気・土・火の四元素説を唱え、最終的にデモクリトスが原子説を唱えた。結果的に実証されているものは最後の原子説であるが、四元素説などは長い間信じ続けられていた。その正否はともかく、注目したいのは各学者の言い分だ。タレスの説はこの一連の発表の最初期のものである点も忘れてはならない。

 タレスは綿密な自然観察をもとに、水が万物の根元と断言したらしい。全てのものが水から生まれ、最終的には水へと還って行くように見えたのだ。対してアナクシメネスは「万物のもとは空気である;なぜならアルケーは水よりも軽くて流動的なものであるはずだから」と言っている。「はず」という言葉が引っかかりはしないだろうか。彼は観察や熟考を通して自説を作ったのだろうか。

 「アルケーは土である」と言ったクセノファネスの根拠は「アルケーは形を持ち確かな実体を持ったものでなければ万物は安定していられない」というものだ。「アルケーは火である」と唱えるヘラクレイトスは「アルケーは活気があり力があり、人生のように絶えず変化して行くものだ」とさえ言っている。エンペドクレスの四元素説に到っては「(各元素は)愛の力で結合し、憎しみの力で離れる」というものになっている。

 各学者が本当に上記のようなニュアンスで語ったかは定かではないが、タレスの説が最も客観的で自然科学的だということは明確だ。単純な推測は避けているし、人生に例えたり愛憎の力で変動するものでもない。また他の説がタレスの説への改訂や反論という範囲をでないのに対し、彼の説はコロンブスの卵的な価値を持っているといえる。

 現代の科学を以って言えることだが、生物発生の視点から価値判断をすれば上記のうち最も根元になり得るのは水であろう。

 以上のように、タレスの思考アプローチは同時代の人々と比べれば優れているし現代人と比べても全く見劣りがしない。

 

 タレス説を支える二つ目の点は「真理とはそもそも何か」または「何にとっての真理か」ということに関わってくる。自然科学的な真理を追い求めるなら、水が万物の根元であるというのはどうやら真理ではない。

そのかわりに科学者が分子や原子を根元だと考え始めたおかげで、科学技術による今の私達の生活がある。人は水を生成したり分解したり、そして今や水よりも小さい原子レベルでの作業を達成している。もし水が根元だと信じつづけていたなら、これほどの、あるいはこういった形での発展はありえなかっただろう。

 ただそこで気になるのは「何が真理なのか」ではなく、大切なのは実は「何を真理とするか」ではないかということだ。

「水は万物の根元である」が真理だとして生きてみたらどうだろう。私達は毎日を水によって生きている。鉄や珪素を食べて生きているわけではなく、いくらかの水が含まれている食物を食べて生きている。

地球的規模で見てもそうだ。土や空気のないところで生きる生物がいるということは海を見れば明らかであるし、火から恩恵を受ける生物は人間だけである。反対に水を奪えばそこに生物という存在はありえない。

生物以外の環境でも水は重要な役を果たしている。天候がその例だ。地球全体を循環する媒体は水以外の何者でもない。水という強力な物質が地球の表象を形作り、天候を左右する。

水はある意味で万物の根元なのだ。

 こうした水の持つ力の仕組みのほとんどは現代の科学技術が解き明かしたことだが、それが皮肉にも科学技術を覆して新たな真理となる可能性を秘めている。タレスはこの水の力を見抜いていたのではないだろうか。現代科学技術的価値観が崩れるとは俄かには信じがたいが、タレスの時代にはギリシャの神々こそが、中世にはキリスト教こそが真理であったことを考えれば科学もまた去ってゆくものなのかもしれない。

 

 水はただ真理になれるだけではない、真理になるだけの価値と必要とを秘めている。水を評価することは自然環境を評価することである。砂漠化、森林減少、酸性雨、水質汚染といった環境問題について考える時、そこには何らかの形で水のことを考える必要性があるからだ。

  21世紀は水の世紀という考え方もある。人口爆発による飲料水確保の必要性や農業用水の増加、拡大しつつある水質汚染など、水に関する問題は山積みである。同時に潮汐発電や核融合、燃料電池といった、水自体がエネルギー源となる動きも見られる。21世紀を人類が生き残れるかどうかの希望は、水の利用にかかっているのだ。

また利用方法と技術が向上するだけでは足りないであろう。現代の科学的見地から見れば、水はただのH2Oに終ってしまう。より感情的に、それこそ宗教的なまでに水に敬意を払い、畏れ、慈しむ意識が必要だ。

 水が万物の根元であるということは、否定しがたい真理なのではない。私達が生存を続けるために受け入れるべき価値観としての真理なのである。

参考文献

 

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