2003NSIII 「自然の化学的基礎」 

餃子を作るのは誰

岡本真祐子

 

 「ここに茶わんが一つあります。中には熱い湯がいっぱいはいっております。ただそれだけではなんのおもしろみもなく不思議もないようですが、よく気をつけて見ていると、だんだんにいろいろの微細なことが目につき、さまざまの疑問が起こって来るはずです。ただ一ぱいのこの湯でも、自然の現象を観察し研究することの好きな人には、なかなかおもしろい見ものです。

第一に、湯の面からは白い湯げが立っています。これはいうまでもなく、熱い水蒸気が冷えて、小さな滴になったのが無数に群がっているので…」

 

ここまで読んだところで、注文がきた。

「餃子定食のお客様」

午前中の妙な授業につられてつい頼んでしまった。仕方がない、復習しつつ食うとするか。えーとノ

 

「今日は、吉野先生が出張のため、臨時で授業をすることになりました。村上です。よろしくお願いします。何を話そうかと考えていたのですが、教科書をなぞるのも面白くないので、せっかくの機会ですし、水について考えてみたいと思います。」

水?

みんな顔を見合わせた。何言ってんだこの先生?

「まず、みなさんにアンケートを取りたいと思います。水が無味無臭、無色透明で、物理・化学的に特に注目すべき特徴もないと思っている人、手をあげてください。」

40人クラスのほとんどが手をあげた。

「なるほど。それでは次に、水はしかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だと思っている人は?」

ほぼ全員が挙手した。

「わかりました。では、餃子が嫌いな人?」

誰も手を挙げず。

「高野豆腐が好きではない人はいますか?」

誰もいない。この人、大丈夫だろうか?

「よろしい。安心して話を進められます。ではこの授業では、餃子と高野豆腐と水の関係について話したいと思います。そもそもこれらの料理を作ることができるのは、水が異常な物質だからなのです。よろしいですか?」

は?

「まず、餃子と水について考えてみましょう。餃子の作り方はみなさん知っていると思いますが、ざっと見てみましょう。まず、中身ですが、野菜のみじん切りとミンチ肉を、酒や塩などの調味料で混ぜ合わせたものですね。外の皮は、小麦粉を水で練ったものです。このように、中と外でまったく別のものを作り、それを一緒にします。しかし、まったく別、とは果たして言い切れるのでしょうか?これらには共通点があります。両方とも、水分を混ぜているというところです。

水分を混ぜた結果、どうなるかというと、粘り気が出てきますね。まとまりがなくては、皮は作れませんし、中身も非常に包みにくくなってしまいます。これは、水に、何でも溶かしてしまおうとする性質があるために起こることです。まだ焼いていない餃子を放っておくと、皮がべたべたしてきますね。空気中の水分が皮に入り込み、溶解を促進しているのです。皮にラードを混ぜたり、焼くときに油を敷いたりするのはそのためです。「水と油の関係」という言葉があるとおり、この2種類の液体は互いに溶け合いません。

ここで、また別の水の特性が働きます。表面張力です。ご存知のように、すべての液体は分子で構成されています。この分子同士の結びつきが強ければ強いほど、大きな液滴をつくることができます。この結びつきの力を分子間力といいます。つまり、分子間力が大きいということは、その液体が、表面積にもっとも無駄のない球体に凝集しているということなのです。

たちかえって、なぜ水と油は融合しないのでしょうか?それは、両者とも表面張力が大きいからなのです。水は、水銀に次いでこの表面張力が大きい液体です。油のそれもかなりのものです。侵入できるほど、結びつきの弱い相手では互いにないということです。話を餃子に戻しましょう。すなわち、餃子の皮に水と油の両方が関係すれば、必然的にケンカしますので、外部の水分は、恐ろしくて必要以上には近寄らないという寸法なのです。

次に、焼き餃子の場合だと、まず油を敷いたフライパンに並べて焼きますね。焼き色がついたら、水を加え、ふたをして再度加熱します。この調理手順は「蒸す」というものですね。これは、非常に原始的な調理法です。火の発見以来、「焼く」の次に人間が覚えた方法だともいわれます。しかしその原理は、水の性質をよく見極めています。

水は100℃で沸騰し、水蒸気が発生します。これは、他の液体と比べると異常に高い温度です。その水蒸気は上昇して食品、この場合は餃子と接触しますが、餃子の温度が低いため、その表面で凝縮して水滴となります。しかし、この水滴はまだ潜在的に熱を持っており、それは餃子に与えられます。水滴が入り口を開け、潜熱が道を作っていくことで、表面から内部へと温かさが伝わっていくのです。そして、最終的には中まで一様に加熱されます。この過程はゆっくりと行われますが、それには2つの理由があります。まず、水が温まりにくく冷めやすいという性質を持っているため。そして、水が加えられたことで、フライパンの中の温度が100℃以上に上がることがなく安定しているためです。

餃子は、フライパンに接している部分は強く加熱されますが、形的に熱の伝導があまり効率的ではありません。ですから、上のひだひだのところまでは熱が伝わりにくいのです。餃子の上部は水分が少ないので、裏返してもうまく仕上がりません。このような状態を改善するために、蒸すという操作が取り入られたのでしょう。自然をよく観察し、適切な方法を見出した祖先に、われわれは敬意を表すべきです。」

「高野豆腐についても少し話したいと思います。これは豆腐を−10〜−15℃で凍らせます。そして、−1〜−3℃でしばらく熟成させたあとに解凍・脱水します。まず豆腐自体、水の特性がなければ到底作ることができないのは言うまでもありませんが、ここでは、どのようにそれを高野豆腐にするか、というところに焦点を当てたいと思います。

豆腐は大豆を原料としています。つまりタンパク質です。これは、豆腐に含まれる多量の水中に溶解、またはゲルとして存在します。これが、低温で凍結されると、大部分の水は体積を増して氷の結晶となります。ここでひとつ、水の特性が現れます。水は凍ると体積を増す、ということですね。液体の状態と固体の状態を比べて、固体のほうが体積が大きい、などという物質は、世界広しといえども水だけです。缶ジュースを凍らせてはいけない、というのはこのためです。水が氷になると、体積は水の1.1倍になります。

ついでに言っておきますと、その他の氷の特性としては、水と比べて11分の1密度が減るというものがあります。氷が水に浮くのはこのためです。氷山が海に浮いているのも同様です。この性質がなく、氷が沈んでしまうと、水温は一定に保たれなくなり、全ての生物は存在できなくなります。

高野豆腐に戻りましょう。そして、水中の大豆タンパク質は、未凍結の水が残る氷と氷の隙間に押し込められ、高度に濃縮された状態で凍結します。このとき、おもしろいことに、氷の結晶は、ダイアモンドのような、六角形がつながった構造をとります。これは、水分子中の水素原子同士が結合し合って一体化する、水素結合によるものです。水特有の性質には、他にも、この水素結合が関わるものが多くあります。雪の結晶を見たことがある人は多いかもしれませんが、あれが基本的に六角形なのも、雪が氷の結晶であるからです。タンパク質の分子はいわばその形を縁取ります。これが解凍後、脱水した後にも枠のように残り、海綿状組織といわれるスポンジ状の食べ物が出来上がるのです。

このように、餃子と高野豆腐は見かけも製法もまったく違う食べ物ですが、水の異常性がないと作れないものである、という部分では共通しています。これは、水を使って調理をする、どんな食べ物についてもいえることです。すべての生物は、水がなければ生きていけません。人間の体の70%は水です。地球上にある、どの文化においても、食生活は非常に重要視され、大変バラエティーに富んでいます。しかし、それも、水が特殊であるゆえに実現できたことなのです。餃子や高野豆腐を作るのは、人間以上に水なのです。水はおそろしいものです。この授業を通して、それが少しでもお伝えできたら嬉しいです。そろそろ時間ですね。では終わりましょう。ありがとうございました。」

ありがとうございました。

―なんだよ、面白いじゃねえかノなんか参考文献あったな。「茶わんの湯」ねえ。ふーん。昼飯の前に図書館寄ってくかな。何食おうノ

 

参考文献:

 

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