井形 彬
私は親の仕事の都合上、幼い頃から国内外、転々と移り住んでいる。その為、今住んでいる地域の近くに馴染みの有る川は無い。だが同世代の人達と比べると、自然とは多少なりとも触れてこられた方なのではないかと思っている。遊び盛りだった小学生の頃、私の家族は自然豊かなカナダのバンクーバーに住んでいた。学校が終わると毎日のように、森林に流れる川沿いを走り回る日々。時にはサーモンの一本釣りを試み、だがなかなか釣れず、あれやこれやと頭を捻って工夫を凝らし、奮闘した。さも嬉しそうに魚を釣り上げていた友人達の傍ら、結局一匹も釣れずに悔しい思いをしたのも今となっては幼少の懐かしく、貴重な思い出となっている。日本に住んでいれば、放課後の時間を友達と一緒にゲームをする為、テレビの前で永遠と過ごしていたのかもしれない、と考えると、感受性豊かなこの時期に、自然豊かな環境に囲まれていたのは非常に恵まれていたと思う。
日本の川で馴染みが有ると言えるのは、おそらく祖父母の住まいの近くを流れる一級河川、大栗川だけだろう。都内在住の為、月に数回は祖父母を訪ねている。訪ねる度に目にするこの川は、唯一子供の頃から今に至るまでその変遷を見続けてきた川だ。これは今年の元旦に初詣の際、撮影した物だ。
大栗川は多摩丘陵近辺から始まり、乞田川と合流して多摩川に流れ込む支流だ。多摩・八王子エリアを流れるこの川は、見た限りでは何の変哲も無い川だが、インターネットで調べてみると20000件以上のヒットが出る。多摩川散策の一環として掲載されている場合が多いようだが、数ある多摩川の支流の中でも、どうやらこの川沿いは交通量も少なく、ウォーキング、ジョギング、サイクリングコースとして多くの人々に愛されているようである。また、下流の方は水の透明度も高く、鯉やナマズ釣りを楽しむ釣り人を見かける事ができる。多くの釣り愛好家の個人ページでも、大栗川についての記事が書かれている。
多くの人が恩恵を受けている大栗川だが、人通りの少ない箇所では川岸のゴミが目立った。特に多かったのは、明らかにポイ捨てされたと見られるコンビニのビニール袋だ。写真に見られるよう、ゴミは全域に亘って散乱している。カワセミが生息する事でも有名なのだが、このカワセミのポイントにもゴミが多く散らかっており、写真愛好家達も残念がっている。だが、問題なのは目に見えているゴミだけでは無い。数年前に行われた水質検査では、下水管の未整備や住宅からの生活排水の流入で、大栗川はほぼ全域が汚染の傾向にあるという報告が為されている。一方では多くの人々を魅了するこの川がこんなにも多くの問題を抱え、放置されている現状は憂慮すべき事態であるのではなかろうか。
大栗川では更に、遺跡も多数出土されている。都下では珍しい縄文時代晩期の新堂遺跡や、約4000年前(縄文時代中期)のヒスイ製品、全国でも数例しか存在しない、縄文時代前期の人面装飾土器等だ。ナイルやユーフラテスのような大河同様、身近なこの川周辺でも文明が栄えていたのだと思うと感慨深い。
10000年前から現在に至るまで、人と密接に関ってきた大栗川。汚れているのは上流だけなのかを確かめる為、大栗川が流れ込む乞田川にも足を延ばして見た。人通りが比較的少ない上流の大栗川とは違い、都市部を横断する乞田川ならば気にかける人も多いのでは、と期待していたのだが、実際は全くの逆であった。川沿いの歩道には、おにぎりやサンドイッチの袋が文字通り、ありとあらゆる場所
に落ちている。上流以上にひどいのは、川沿いのみならず、川自体も相当汚されている点だ。発泡スチロールや日本酒のパック程度のゴミは想定していたが、中には理解に苦しむような大型のゴミも川には投棄されていた。写真に写っているのは、看板の「川をきれいに美しく」という台詞をあざ笑うかのように浮いている、使い古された布団と自転車だ。
人が増えると確実にゴミは増えるが、気にかける人もそうであるとは限らないようだ。だが、この悲惨な川の状況は、ゴミを平気で川に捨てる一部の無責任な人々だけのせいにはできない。布団等の粗大ゴミが川に捨てられる背景には、川沿いに住む事を余儀なくされているホームレスの人々の存在がある。また、市が公共のゴミ箱を多く設置することにより、小さなゴミを減らす事ができるだろう。そんなことよりも、ゴミを持ち帰らない人が意識を変えるべきである、というのは正論だが、人の意識や習慣はそう簡単に変わるものでは無い。川沿いを歩きつつゴミ拾いを行う市民グループも少なからずあるようだが、それでは根本的に問題は解決しない。
今回調査したのはたった一本の川だが、他にも適切に管理されずにゴミで溢れている川は多くあるはずだ。このような現状を多少なりとも解決するには、区市町村単位の取り組みが重要では無いだろうか。最近は一向に目にしなくなった公共のゴミ箱だが、10年程前のように公共のゴミ箱が多数置かれていれば、小さなゴミは無くなるとは言わないまでも、大分減るはずだ。また、社会全体としてホームレスを減らす為、失業対策や生活補助等のセーフティーネットを充実させる事も進めていく必要がある。
10年前と違い、財政的に厳しい、と言ってしまえばそうかもしれない。だが、新たなアイディアやテクノロジーが発展しているのも確かだ。例えば、アメリカでは"BigBelly Cordless Compactor"という新商品が開発され、使用され始めている。太陽熱発電で稼動するこのゴミ箱は、ゴミで一杯になるとセンサーがその事を示し、自動的に収集しやすい状態にゴミを圧縮する。ニューヨークではこれを導入する事により、ゴミ収集の経費が70%も削減できた。このような新しい画期的な発明やアイディアを積極的に導入する等、問題の根本を解決する工夫をする事によって始めて、川の状態は改善の兆しが見えてくるはずだ。また、このような目に見える努力や取り組みは、少なからず市民の意識変化にも影響するはずだ。
目に見える利益は出ないが、その恩恵に浴する者は非常に多い自然の営み、川。今、その多くが悲鳴を上げている。