2003NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I
「川と人間生活」 出水(静岡県)
1:今回課題に選んだ川
私が今住んでいるのは千葉県市川市で江戸川が近くを流れている。また小学校時
代を過ごしたのは東京都江東区で住んでいたマンションのすぐ後ろを小名木川が流れ
ていた。母の実家も隅田川をはさんで東京都江東区にあった。そして私の父の実家が
静岡県富士宮市の山奥にあり、私たち家族は毎年正月、5月の連休、お盆は必ず静岡
の本家に訪れる。この訪問は私が生まれる前からずっと続いていることで静岡が私に
とっての田舎と言える。逆に私は引っ越しが多く、転々としていたためあまり思い入
れのある川が無く、今回は上にあげた川の中から静岡の川を選ぶことにした。この川
は本家が所有している山を流れている川で本当の決まった名前というものが無いとい
うことだ。本家を出て歩いて1分もかからないところを流れている。ただ、出水橋と
いう橋がかかっていることから本家の人々に昔から「出水」もしくは「出水川」と呼
ばれている。(しかし、後に述べるように静岡県の指定を受けた川なので正式な名称
はあると思われるが、親類一同誰も知らなかったし、私たちにとっては出水なので今
回は出水のままでエッセイを書こうと思う。)
2:現在の姿
現在の出水は川の両側をコンクリートでしっかりと固められた状態である。また、
高低差があるような場所では川の内部も固められている。というのも、この出水は小
さな川であるが、富士川へと流れ込む川であるため、汚染を防止するために静岡県の
指定を受けて整備されているからである。また以前大雨が降った際に川が氾濫し、周
囲の田畑に損害があったことから出水の氾濫防止としても、この整備が始まったとい
うことだ。整備に伴い先に述べた出水橋も木からコンクリートへと変わっている。川
の両端に生い茂っていた木々も切り倒されてしまっている。川に魚はいるけれども私
が幼かった時よりも減っている感じがする。川の流れも少しではあるが整備され、今
まで川だったところが埋められている部分もあった。以前は細い道しか存在しなかっ
たが、川の片端が歩けるようになっていて、以前と比べて山にも容易に入りやすくなっ
ている。
3:私と出水の関わり
私の記憶にある出水は先に述べたようなコンクリートで固められた川ではなかっ
た。幼い頃はお盆に集まった従兄弟らと川にゴムボートやうき輪を浮かべて遊んだり、
川に点在する石の上を歩いてどこまで濡れずに行けるかなどをして遊んだ。テレビで
草舟を流すシーンを見ると自分も試してみたりした。自分が都心に居住していたので
久々に会える従兄弟らとめちゃくちゃに自然の中で遊べることが非常に嬉しかったの
を記憶している。またおやつのスイカやキュウリがザルに入れられて川の端の方で冷
やしてあったりと、出水にはたくさんの遊びの思いでがある。ただ川沿いに本家の墓
地があり、あまり下流まで行き過ぎると30過ぎもの大きなお墓が見え、急いで引き
返した怖い思いでもある。虫もたくさんいて、ボートを漕いでいたら頭の後ろに大き
な蜘蛛がついていたという今思い出しても気持ちの悪い経験もした。また本家の庭に
も出水を水源とする水が湧き、池を作っていた。そこで飼われていたコイに餌をあげ
たりそこでもボートに乗って足を池に浸し、コイのヌルヌル感を味わったりしていた。
(しかしその池も整備とともに枯れてしまった。)もちろん今ではそのようなことを
して遊んだりはしないが、静かな夜には本家と川が近いため川の流れの音が聞こえ耳
をすませたり、山を散歩する時にちょっと立ち止まって川を眺めたりするくらいであ
る。
4:親類に聞くひと昔前の出水
今回は20年程前に本家で暮らしていた従姉妹と父に当時の出水の様子を聞いた。
従姉妹は小学生の時、毎日学校から帰る時に川ルート、山ルート、道ルートの3つの
ルートのうちから1つ選び帰宅していて、川ルートで帰った時にはいつもずぶ濡れに
なって母親に怒られたという思いでを話してくれた。また普段20年程前は今よりも
水量が多く、全身が川に浸かってしまう部分もあったということだ。そして父親は3
0年程前まで本家に暮らしていた。父も季節に関わらず出水で遊んでいたようで、夏
には毎日のように出水で遊んでいたそうだ。泳ぎ疲れると川の近くのヤブでチャンバ
ラごっこをして、暑くなってきたらまた川に入る、の繰り返しだったそうだ。周囲の
木々もしっかり生えていて川幅も広く、水量も多かった。ターザンの真似をして、川
の端にある木のツルにぶらさがって反対側へ飛び移ったりもできたそうだ。また、飼っ
ていた動物が死んでしまった時には出水に流していたということも聞いた。猫は数匹
流したそうだが、犬が死んでしまった時には出水に死体を置いて、その上に大きな石
を置いてお墓を作ったそうだ。私もその不自然に置いてある大きな石は見たことがあっ
たが、整備の際にどかされてしまっていた。父はかなりヤンチャな性格だったらしく、
自転車でヤブに突っ込んでそのまま川に落ちたりもしていたらしい。その場にいた他
の親類、従兄弟にとっても出水は楽しい思いでがたくさんつまっている川であるよう
だ。私がひと昔前の出水のことを聞いたことにより宴会がより盛り上がった。
5:出水についてのWeb-page
無し。
6:出水がどんな存在であってほしいか
やはり月並なことを言えば、出水が自然のままであって欲しい、欲しかったと率
直に思う。しかし、そのままであったら周囲の田畑に被害が起こってしまうという理
由で出水の整備をするのはしょうがないことであると思う。また本家の高齢化により、
歩きにくい木でできた手すりの無い橋よりも、しっかりとしてつまづく心配や、落ち
る心配の無いコンクリートの橋がより適しているのも理解できる。しかしながら、今
回の整備は必要であることだけれども、出水の都合ではなく、人間の都合が優先され
たものであることは明らかである。人間の都合と自然環境の折り合いをどうつければ
良いのか、その境界線を引くのが非常に難しいことであると感じた。氾濫を防ぐ技術
をもちながら、自然をそのままにするために整備を放棄し、川が氾濫するままにする
のも間違いであろう。難しい。今回のエッセイを書くにあたり、本家の人や家族、本
家に正月集まっていた親類から話を聞いたが、それまで皆の思いでの中にあった出水
の記憶が一挙に出て来て、皆で出水の話をしてとても楽しかった。私は出水がこれか
らも皆の良い思いでとして残るような川であって欲しいと思う。確かに整備された前
後では大分印象は違うし、できることも少なくなってしまった気はする。元の出水の
姿を知っている私たちと、最近生まれた本家の孫との出水への印象の違いは起こって
しまうだろう。しかし形は変わっても私たちにとって親しみ深い川であって欲しいと
私は思う。私が今回年輩の方々に出水の昔の思い出を聞いて、自分の思いでを思い返
すと同時に、昔の出水を知り感銘を受けたように、私も将来大きくなった本家の孫に
出水の私が幼かった頃の思いでを聞かせてあげたい、と思った。出水が良い思いでの
川であるように、そして私たちの記憶の中にある出水とできるだけ変わらないように
していきたい、と思った。