2003NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I
「川と人間生活」 大岡川(神奈川県)
和田恵美子
横浜市の円海山から流れ、日野川と合流した後に京浜急行の日ノ出町・黄金町駅周辺を通って横浜港へと流れ込む総延長28キロメートル・流域面積35.6平方キロメートルの2級河川である(4.横浜治水事務所)。上流域は自然の形のままで残されているものの、中・下流域はコンクリートで治水・管理が施されている。ほぼ全域で、レジャーボートの停留・釣りは禁止されている。昨年9月に、アザラシの「タマちゃん」がやってきた川として一時話題になったが、概して緩やかな流れの静かな川である。
上流域(金沢文庫駅・金沢市民の森周辺)では、自然公園の中を流れている。このため、低木やロープに囲まれており、人は立ち入る事ができない。深さが浅いせいか、水が透明で川底の小石まで見える。特に川幅が広く、流れが緩やかな場所では、アメンボやカエルが多く見られる。コサギや、ごくたまにカワセミの姿も見られる。川幅は、広い所では2メートル程度、狭い所では50センチメートル位である。深さは10センチ位だろう。
中流域(黄金町・日の出町駅周辺)では、商店街の中を流れているため、川に沿って柵が設置されており、それと並行して大岡プロムナードという遊歩道と街路樹(桜)とが整備されている。岸辺はコンクリートで固められ、傾斜がきつい。レジャーボートが常時10ほど違法放置されている。また、横浜港へ向かう小型船舶などが通る事もある。水は電車から遠目に見るとエメラルドグリーンだが、橋から直接見下ろすと群青色だ。時折、ビニール袋などのゴミを見かけるが、水の濁りは少ない。橋の上からでも、水中の様子を知ることができる程だ。水中では、コイを、水上ではカモメやカモの姿をよく見かける。カモは時々首を水中に突っ込んでいるため、餌となる小魚がいるようだ。また、ペットだったものと思われるカメが泳いでいる姿を目にする事もある。さらに、たまにではあるが、夜になると付近のスナックで酔っ払ったおじさんが泳いでいる姿を目にする事もある。一体何処から川に入ったのか、謎である。川幅は大体一定して約8ートルであり、深さは約1〜2メートルだ。
下流域(桜木町駅・みなとみらい21周辺)では、繁華街の中を流れている。観光船が行き交う部分もある。中流域と同じように、岸辺は垂直にコンクリートで固められ、川に沿って柵が整備されている。所々に遊歩道や街路樹があるが、直接道路に面している箇所も多い。水の色は、緑がかった濃紺で、やや濁っている。よく覗いて見ないと水の中の様子が分からない。中流域と比較すると、3倍程度、ゴミの量が多い。絶え間なく、空き缶、ビニール袋、ビニール傘などが流れている。また横浜湾と交わっているため、磯の香りが強い。生息する生き物もその影響を受け、コンクリートの岸辺に張り付いているフジツボや二枚貝の貝殻、カモメをよく目にする。また名前はわからないが、水面で跳ねる魚の姿を見られる。藻が多く生い茂っている。川幅は、狭い所でも5・6メートル、広い所では10メートル以上ある。潮の干満の影響を受け、深さは約1メートルから3メートル位と、幅がある。
実家の近くを流れる大岡川であるが、この川との関わりはそう長くはない。小学校6年生の時に横浜へ引っ越してきたため、遠足で川へ行って遊んだ記憶もなければ、小学校で行うという川の調査もしたことがない。しかしながら、一人暮らしを始めるまでの7年間を共にすごしてきた大岡川との関わりは、深いように思う。特に、大岡川プロムナードのある中流域が印象に残っている
春は、大岡川プロムナード沿いに植えられた桜並木で花見をする。真っ白な花びらが川へと降り注ぎ、群青色の流れに運ばれていくのを、よくぼんやりと眺めていた。会社をさぼったと思われる、スーツ姿の人が昼間からのんびりと川を眺めている姿もよく見かけた。
夏は、ボート部の季節だ。近くにある高校のボート部の生徒が、アメンボのようにスイスイと漕いでいく姿は涼しげで、羨ましかった。中学の頃は、「いつか私も」と思っていたが、残念ながら入学した高校にボート部はなく、果たせぬ夢となってしまった。
秋は、近くの商店街で酉の市が開かれる。露店が出るため、普段は静かな川沿いが華やぐ。夜になると、提灯の灯りが水面に反射する様は綺麗だ。露店によって川を流れるゴミの量も増えてしまう(使い終わった紙コップや割り箸を、川に捨ててしまう人がいる。)のだが、水あめを手にした子供達が夜の川をじっと見つめている姿はかわいらしい。
冬の川沿いは、寂しげだ。ほとんど人が通らず、静まり返っている。時折、近くの小学校のチャイムが聞こえる。高校をさぼった時、ここでのんびりしているのが、好きだった。しかしながら、冬の川の中は忙しげだった。右へ左へと動き回り、時折水中に首を突っ込むカモを最も多く見かけるのは、今の時期であるように思う。
このように思い返して見ると、大岡川は多くの街の人にとって、あまり直接水に触れたり、釣りをしたりする事のできる川ではないものの、ただそこに流れている事で街の人々の心を落ち着かせてくれる存在であるように思う。
その一方で、大岡川に対して積極的に働きかけを行っていこうとしている団体もある。例えば、「大岡川fun-club」という市民NGOは、市民(主に小学生)を対象にした大岡川の環境教育プログラムも1998年から開始している(1)。また、web-pageで大岡川を紹介している団体もいくつかある。例えば、市内の河川の治水事業を専門に扱う横浜治水事務所では、上記の大岡川の流域面積等だけでなく、大岡川開発の歴史も簡単に紹介されている(4)。横浜市下水道局のweb-pageでは、子供向けに地図や写真を使って大岡川を含め、市内の河川の様子を紹介している。小学校単位でもこうした活動は行われ、市内の小学生も水辺環境を調査した結果を紹介している(2)。
このような運動が広がっていった背景には、30・40年前の大岡川汚染の反省があったからといえるだろう。大岡川の写真を撮っていた時、偶然にお会いした方の話によると、大岡川開発は昭和30年代から行われたという。当時の横浜では、スカーフ産業が盛んであった。大岡川の流れは、主にこのスカーフ染色後の洗浄や、排水を流すために使われていたという。工事は、こうした作業を円滑に進めるため急ピッチで行われたため、その後しばしば溢水する事もあった。昭和40年代には、スカーフ工場の排水の混じった大岡川は赤や黄色や青のインクの色に染まり、常にインク臭かったという。このため魚や藻の姿も無く、当時の大岡川で子供は遊ぶどころか、敬遠していた。しかしながら、徐々にスカーフ産業が衰退していくとともに、治水事業や水辺環境の保全が行われていった事で、水量・水質も安定していったという。
こんなにも身近な川であったのに、私は恥ずかしながらこのレポートを書くまで、大岡川の水が何処から来て、何処へ流れていくのか知らなかった。大岡川プロムナードという川のごく一部にしか目を向けていなかった事に気付かされたとともに、もっと全体的に捉えてみたいと思った。また、今まで目を向けてこなかった上・下流域の水辺環境についてもっと知りたいと思う。その際には、大岡川fun-clubといったNGO団体によるプロジェクトにも参加してみたい。
これからも大岡川は、街の人の心安らぐ場所として存在していてほしいと思う。それと同時に、環境問題について興味・関心をもつきっかけの場としても、存在していってほしいと思う。
<参考文献>
1.大岡川fun-club http://www.kasen.or.jp/shimin/shimin13.html
(12月31日2003年に閲覧)
2.小学生による調査結果
http://www.honcho-es.city.yokohama.jp/2001/4nen/oookagawastart.htm
(12月31日2003年に閲覧)
3.横浜市下水道局 http://www.city.yokohama.jp/me/cplan/mizu/mizukids/
(12月31日2003年に閲覧)
4.横浜治水事務所http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/07/1945/hamasui-index.html/
(12月31日2003年に閲覧)