2003NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I

「川と人間生活」 紫川(福岡県)

                             廣岡洋子

 

 私の産まれ育った町、福岡県北九州市の小倉には、紫川という市内で最も長い、市のシンボルともいえる川がある。その川は、山口県と福岡県を繋ぐ関門海峡から都市部を通り、私が通っていた田舎にある中学校よりもはるか遠くまで続いている。その川は、途中で2つに別れ、一方は菅生の滝へ、もう一方は河内の貯水池のある増渕ダムへと流れている。

 

 小倉に住んでいる限り、紫川を知らない人はいないだろう。この川は、日本で一番始めに建設された商店街である旦過市場や魚町銀店街と密接に関わっている。関門海峡側に近い方の紫川周辺には、宮本武蔵と佐々木小次郎にとって非常に関わりが深く、大河ドラマ「武蔵」で有名な小倉城や、昨年出来たばかりのショッピングセンター・リバ−ウォーク、様々な交通網を結ぶ小倉駅、デパートやホテルなどが連なっている。また、この川には、10本の橋が架けられており、名前やデザインが大変ユニークであるとして有名である。その中に私が小さい頃から好きだった、風の橋、火の橋、太陽の橋という3本の橋がある。なぜ私が、残り7本の橋の存在を最近知ったにも関わらず、この3本の橋を小さい頃から知っていたかというと、これらの橋はとにかく目立つのだ。風の橋には1本の柱があって、その先端にあるアーティスティックであり少し奇妙な形をした物が風によってゆっくりと動く。これは見ているだけで楽しい。火の橋の両サイドにはランプが設置されていて、夜は炎の明かりで橋全体が輝き、とてもきれいである。また、太陽の橋の道路には向日葵の絵が描かれていて、どれもこれもユニークで一度見ると忘れられないのだ。

 

 菅生の滝や増渕ダムのある福知山を源流とするこの紫川は、都心の発展に重要な役割をしているだけではなく、地元の人々にとっての安らぎの居場所でもある。毎年夏になると、菅生の滝を見に大勢の人たちがやってくる。滝の上から落ちてくる水しぶきは何ともえないほど神秘的で、この風景を見に人々は集まる。多くの魚が住めるほど川の水はとてもきれいで、周りの空気も美味しく、山登りの途中に立ち寄る人もいる。私の友人の御婆ちゃんは、菅生の滝のふもとで数十年にもわたって、毎年夏になると店を出している。私も友人に連れられて、流しそうめんを食べさせてもらったことがあった。また、菅生の滝は心霊スポットともしても有名で、名前を聞いてこの滝を知らない人はいない。

 

 増渕ダムは菅生の滝から少し離れた所にあって、サイクリングコースで回る1つの場所となっている。上から見下ろすとかなりの迫力があり、そこから見える湖と山の大自然に圧倒させられる。そのダムの周りには小さく枝分かれした川があり、そこでは、水遊びや魚釣りをしに来た家族連れで賑わっている。私も、小学校の時はよく妹と弟と一緒に父に連れられてカニや小魚を釣りに行ったことがあった。犬を連れて川遊びをしたり、ピクニックに行ったりもした。このように、紫川沿いの土地は広いのでのんびりとした時間を過ごせる場所でもあった。私は中学校2年生の時以来、そこには行ってないが、夏になると今でも多くの家族連れが集まってくるようだ。また、私は夜になるとホタルを見に行ったりもしていた。私は川遊びに行く度に、いつもバケツいっぱいに取ったカニを集めて家にもって帰るが、私の父はそれらをまた近所の川に放流していた。その川も結局は紫川の枝分かれした一部であるが、良く考えてみると、紫川は常に私達の身近に存在している。

 

 私が幼い頃からもっていた紫川の印象は、“ゴミはほとんど落ちてなく、水はきれいで、いつもカニやお魚が取れる場所”であった。実際に、今でも変わらず紫川周辺の設備は整っているし、都心付近でも魚は多く存在している。しかし、20〜30年前はそうではなかったようだ。紫川の一番中心的な存在である勝山橋付近では、川の水はかなり汚染されていたため魚が生息できる状態ではなく、また、悪臭のためあまり人々が集まってこなかったそうだ。これは、その昔、北九州が日本の化学工業の拠点となっていた頃、工業化、都市化による工場廃水や生活廃水などによって汚染が急速に進んだからなのだ。そのため、紫川は水質汚濁や悪臭のひどい、公害都市といわれた北九州市の象徴とも言える川だったそうだ。

 

 しかし、北九州青年会議所から「紫川の清流を取り戻そう」という声をきっかけに、紫川の浄化運動が市全体に広まった。そして、公害対策や下水道の整備なども行われ、次第に本来の美しい水質の川の姿を取り戻し、今の美しい紫川の環境を保護しているようだ。私が産まれた年、昭和58年から続いているアユの放流(浄化への取り組みの1つ)によって、紫川で天然アユが生息できる生態系をも取り戻すことが出来た。また、上流ではホタルが生息するまでに至っている。実際に、私が小学校の高学年の頃、町内の子ども会で「きれいな紫川を取り戻そう」という運動を行っていた。冬の間に小学校のプールを借りてコイの稚魚を育て、翌年の夏のプール開きの前に、小学生達はコイを紫川に放流していた。これは、新聞にも載ったことがあり、数年は続いた。しかし、このコイの放流の方法は人口的であり、自然の生態系を壊すことになると指摘され、今ではやっていない。自然を守り続けるということは、非常に難しいことである。

 

 このように、紫川は人々の手で汚染されたが、市民と行政が一丸となって浄化活動に乗り出し、今では市民にとってなくてはならない憩いの川となっている。私は、この紫川を中心に栄えている北九州市が大好きである。北九州市小倉の町は、紫川に架けられている10本の大橋周辺に栄えているが、川沿いの設備は整っており、また、福知山側では今でも自然に近い形に置かれている。私は、この川がいつまでも人々に愛され、私達の生活の基盤である美しい川であって欲しいと願う。これからも、小倉の町は栄えていくと思うが、それでも市民の努力によって川の自然を保護し、川の生態系を守ることで、人々の心に安らぎを与えてくれる存在であって欲しい。

 

 

下記は、福岡県北九州市の都心・小倉北区を流れる紫川に関するWeb-Pageに書かれている事柄をまとめたものである。

 

<参考文献>

http://www.murasakigawa.jp/river/index.html

http://www.city.kitakyusyu.jp/~k1306010/c/index.html

http://www.city.kitakyusyu.jp/~kokura-kita/midokoro/murasaki01.html

 

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