2003NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I

「川と人間生活」 海蔵川三重県                       

 

  私が育った場所は、三重県の四日市市です。四日市と言えば、公害訴訟の一つの代表例である四日市喘息について小学校の社会科で習った人は多いことでしょう。現在では、当時の大気汚染とは程遠い環境になっていますが、今でも、コンビナートにある数多くの煙突から立ち昇る煙を見るときには、少し怖い気がするのはきっと私だけではないと思います。この地域は、名古屋市近辺を中心とした中京工業地帯の一角を占めており、四日市港には、以前の勢いはなくなったものの三菱化学、東ソー、コスモ石油、昭和シェル石油、石原産業などの石油化学工業のプラント、中部電力の火力発電所が集積しているコンビナートがあります。また、昭和40年代には、繊維工業の為のオーストラリア産羊毛(ウール)の一大輸入基地でもありました。現在では、近隣で生産される自動車の輸出基地となっています。

こうした産業の成り立ちには、鈴鹿山脈が、四日市のすぐ西にあるために、その雪解け水の伏流水や市内を流れているある程度大きい川、そして、周辺地域に流れる河川の水資源等のおかげでもあるようです。実際、市内を流れるある程度の大きさの川は、いくつかあります。その中でも、特に私の実家の近くを流れている川は、「海蔵川」です。

「海蔵川」は、濃尾平野を流れる代表的な川である揖斐川、木曽川、長良川程の大きい川ではありませんが、河川法により三重県知事から二級河川の指定を受けていますので、ある程度の大きさの河川と言えるでしょう。

同じ川といっても、その姿は、河口からの距離によって大きく変わるものです。四日市は古くは、江戸末期から明治時代には既に、「伊勢湾内で最大の商業港として船舶の出入りや、旅客の往来、物資の集散が盛んでした」(四日市港管理組合)とあり、古くから河口付近では、港湾整備が進んでいたため、コンクリートでしっかりと整備された姿です。しかし、私が生まれ育った地区付近は、海蔵川の河口から約6~7km進んだ田園風景が広がる地域でした。最近は、宅地造成がさらに一段と進み、その田園風景も減りつつありますが、まだまだ、水田が多くを占める地域です。この付近の河岸、橋は、ここ20〜30年のうちに大きく変貌を遂げました。河口付近と同じように、河川の整備が進んできたわけです。例えば、護岸工事、橋の建設によって川がまるで大きい用水路の様になってしまいました。

「海蔵川」での私の思い出は、小学生の頃に父親と一緒に自転車で朝早く出かけていって、川にいる小魚を川の中の浅瀬に行き、そこから釣りをしたこと、また、友人と一緒に自転車で出かけて、はじめは泳ぐつもりもなく川辺をうろうろし、水遊びをしているうちに、服が水で大濡れになり、結局、川を泳ぎ、どのくらいまで泳いでいけるか友人と競争したことなどです。毎日、「海蔵川」を見ており、幼稚園、中学校と高校に通うときには、毎日その川を渡る橋を渡っていました。ただ、年齢がすすむにつれ、川に対する見方も次第に大きく変わっていきました。学生時代には、川というと、我々の生活用水の源という、命の源というイメージで捉えている部分が多くあったと思います。これは、以前、講義であげられていた「水=和み」のイメージと共通するものがあると思います。しかし、立場が変わり、ひとたび会社勤めなどに出ることになるとこうした川の逆の面も見えてきます。

ここで話はそれますが、日本地図を見ると当然のことではあるでしょうが、私が東京に来て、大変驚いたことは、山がほとんど見えないということ、そして、海という存在があまり身近でないということです。四日市での生活では、山、海が近くにあるという生活が当然であり、天気がよい日には、まるで、鈴鹿山脈の山々の木々が一本一本肉眼で見えるのではないかと思えるほど、はっきりと見えていました。また、自転車で少し走ると、四日市港があり、小学校の頃には、ハゼ、ボラを自転車に乗って釣り出かけて行って、よく油で揚げて、晩御飯として食べた思い出があります。このことは当然、山と海とがとても近い距離にあり、山と海との間に川が多くあるということになります。夏の台風の時期には、この山と海がとても近い距離にあることは、大雨が降るとすぐに河川が増水して、氾濫を起こしやすくなるということを意味します。過去、台風の時には、「海蔵川」も増水の為、氾濫の直前近くまで行くことも、よくありました。このことが、河岸工事といった治水事業が進められる主な理由でしょう。また、冬には、橋の上が凍結し、自動車のスリップによる交通事故がよく起こります。川の怖い一面と言えるでしょう。また、この地区は伊勢湾台風の記憶が今でも残る地域です。これらの点を併せ見ると、川の存在が人々に安らぎだけを与えるだけの存在とならないことは当然といえるのかもしれません。

 私が、幼少の頃、今から約20年前には、近所の「海蔵川」は、それほど河岸工事の進んでいない地域でした。橋は、昭和30年ごろに懸けられた木製のものでした。今でも,その木製の橋桁と橋の上から見える魚の姿を良く覚えています。また、川遊びをしているときに、鰻を捕る人の姿を見たこともあります。

 海蔵川を取り扱ったWeb-Pageは、「海蔵川をたんけんしよう」(三重県環境部)というものです。このWeb-Pageの要旨は、海蔵川の生き物を直接採取することを通じて、川とふれあい、そして、海蔵川の水質状況はどうなっているのかを小学生が学ぶというものです。残念ながら、「海蔵川」の水質状況は、水生生物からわかる結果では、少しきれいな水に住む生物と汚い水に住む生き物が同居している状態であり、見た目は透き通って綺麗ではあるが、実は汚い状態であるとのことです。

 「海蔵川」が、現在、地域の人々に愛されているか否かは、微妙な所です。むしろ、当然の存在として意識されているでしょう。この地域は、今まで、水不足というものをほとんど経験したこともなく、また、水質汚濁の状況も全国的に話題に上がるほどの汚染があるわけでもありません。そうした状況では、どうしても、水のありがたさなどを意識することは稀です。

自然に近い形で置かれているかということに関しても、むしろ、人間の管理が行いやすい形の姿を目指していると思います。護岸工事、橋の建設が進んだことからでも明らかです。

ここで、自然に近い形での川が幸せであると結論することは、環境保護の観点からは、良いことかもしれません。確かに、自然に近いかたちに置かれている川というものが、私自身の幼少時代のように川で遊び、川を身近に感じ、そして、水の恵みを感じるという点では、望ましいものではあるでしょう。しかしながら、元来、川は、変化しつづけるものでした。自然に近い形とは、その変化を人間が受け入れるということでしょう。現代でそれは可能でしょうか。河川の周辺には多くの人々が住み、河川の氾濫、流域の変化によって多くの人が被害を受けることになります。実際、私が住む地域でも大雨が降るとすぐに河川が増水して、氾濫を起こす寸前までいくこともありました。こういったことを考えると、むしろ川は、人間によって適切に管理され、人々に不安を与えない存在であってほしいと思います。

 

参考文献

   (http://www.eco.pref.mie.jp/forum/ecoclub/syokai/h15/0906/index.htm). 2004.1.1取得.

 

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