2004 冬学期 NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I 「川と人間生活」

 

 玉川上水 (東京都)

                         匿名希望

 

 

 私が今住んでいる家は、母方の祖父の家にあたる。それというのも私の家族は現在皆海外に住んでいるのだが、私は学校があったため、一人日本に残り祖父の家で居候しているのだ。ここ祖父の家には小さい頃から休みのたびによく遊びにきていた。そして、その度にいつも近くにある小金井公園に連れて行ってもらった。この家から小金井公園までの道のりに、玉川上水が流れている。家から徒歩7分くらいのところに位置するその川は、幼い頃から私のお気に入りだった。小金井公園に行く際は、いつも陣屋橋を渡る。そして毎度お決まりのごとく、行きと帰りで2回、私はその橋の上から川を眺めた。背伸びをして橋の下を覗き込むと、いつも鯉がその真下で群れをなしている。どれも凄く大きい鯉だ。幼い私はその鯉を見るのが大好きで、なぜ彼らはずっと橋の近くを泳いでいるのか不思議でたまらなかったこと、いつも早い流れに逆らって泳いでいて大変そうだな、と思ったことをよく覚えている。また、小金井公園までは行かずに、玉川上水の脇にある遊歩道をよく散歩した。その遊歩道は川と桜並木に挟まれた砂利道になっていて、となりを走る道路より一段高い位置になっている。その道を歩いていると、桜の木の葉を通り抜ける風の音や玉川上水の水音、散歩する人の声や犬の鳴き声などがよく聞こえて、とても穏やかに自然と触れ合えた。今考えると、だから親もよく玉川上水や小金井公園に散歩に連れて行ってくれたのだろう。

 最近では、バイト先が小金井公園の近くなのでそのたびに玉川上水を渡る。その際はもっぱら小金井橋を利用している。小金井橋から見る川は、小さい頃とあまり変わった様子もない。相変わらず大きくて立派な鯉が各橋の下で群れていて、その川を囲む土手は様々な緑達でうっそうとしている。その両脇の土手は柵で仕切られていて、その脇にはいつもの桜並木の遊歩道がある。春になると桜が満開になって、川と桜の景色はなんとも言えない。あえて昔と変わったところを挙げるならば、少し土手の植物のうっそうとした感じが増した。あと、なんとなくだが川の流れが前ほど急じゃなくなった気がする。川底には水草が所狭しと生い茂っているのだが、その長い水草の葉が川の流れに乗る感じが昔より穏やかになったように見える。昔はもうもの凄い勢いで川底でたなびいていて、それを見て私はこんな流れに逆らっている鯉は疲れるだろうな、大変だなぁ、と思ったのだから。それはまさに野生の川とでもいった印象で、川に近づけないように急な土手と柵で仕切られているのも大いに納得できるのだ。かといって川の水量自体は大して多くない。橋の上から見る限りでは、玉川上水は結構浅い川で川底まで見える。幅もそんなに広くなくて、大体3〜4mといったところだろう。前に太宰治がこの玉川上水で入水自殺したという事を知ったとき、よくこの川で死ねたなぁと思ったものだ。(実際は、その当時の水量は多くて川も深かったらしい。)

 母に20−30年前の玉川上水の様子を聞いたところ、どうやら母の時代に危ないからという理由で柵はできたらしい。なにしろ母自身も親に「危ないから川には近づいちゃいけない」と言われていたそうだ。しかし、川自体は私の記憶にあるものとかなり違っていた。まず、水かさが多く、その水は汚く濁っていたらしい。どうやら生活排水が流れ込んでいたようだ。このような状態なので、無論、鯉どころか生き物は生息していなかったとのことだった。母曰く、その当時の玉川上水はヘドロがたまった溝川だったそうだ。また、川の両脇にある砂利道の遊歩道と桜並木はすでにあったらしいが、桜は今よりももっと綺麗に咲いていたらしい。なにせその当時は「玉川上水の小金井桜」と言って有名で、春になると大勢の見物客が桜並木沿いで花見をしていたとのことだ。しかし、今では道路が通ったため玉川上水の桜並木でお花見をする人はいない。

 昔のほうが桜が綺麗に咲いていた理由として、玉川上水のすぐ脇を並行して走る五日市街道が考えられる。この道は交通量が多いので、たくさんの排気ガスを排出していると思われる。この排気ガスが桜になんらかの悪影響を与えている、と考えられるのは妥当であろう。また、母の記憶では溝川だった玉川上水が、私の記憶にある鯉が住んでいる川になった理由も発見した。それは、昭和61年に行われた清流復活事業計画だ。都によって実地されたこの計画は、多摩川の上流で下水などの排水を高度処理し、玉川上水に流すという計画で、その年の8月27日に清流が復活した。生活排水が流れ込む事もなくなり、現在のような生物が生息できる川へと戻ったのだ。現在境橋に清流復活事業についての掲示板がある。

 インターネットで「玉川上水」と検索して見たところ、すべてを見るのは到底不可能というくらいのWeb-pageが存在した。なにせ玉川上水は多摩川上流の羽村市から新宿区の四谷大木戸に至る総距離約43kmもある上水路なので、各地域ごとにそれぞれのWeb-pageが存在したりする。また歴史的にも価値があるものなので、その歴史や建設の過程などを紹介するページも多かった。同様に多く見られたWeb-pageは、玉川上水周辺の遊歩道散策に関連するページだ。遊歩道を実際に歩いて見られる景色を掲載したページや、玉川上水にかかる多くの橋を紹介するページ、玉川上水散策を集うページなど、多数存在した。数あるWeb-pageの中で、「玉川上水を守る会」などの地域団体のページもいくつかあった。

 このようにたくさんのWeb-pageを見ていくと、どれだけ多くの人に玉川上水が愛され、守られているのかがわかる。玉川上水の管理は基本的に都が受け持っているが、都はそのなかで玉川上水の景観の保全に着目した「玉川上水景観基本軸」や、玉川上水が歴史的価値を持つとして、可能な限り現状を損なうことなく後世に伝えられるように保全活動を行うとした「歴史環境保全地域」への認定など、様々な面で玉川上水を守り、管理している。また、玉川上水は2003年8月27日に国の「史跡」指定を受けた。このように、行政による玉川上水の管理も、どんどん強固なものになってきている。これと同時に玉川上水の保全に関しては、各地域住民による活動が大きい。行政が保全計画を提唱しているにも関わらず、現在玉川上水に隣接した建造物、建築物の計画が多々あるらしい。しかし、このような計画に反対する住民が多くいる。彼らは行政により明確な姿勢と積極的な実行力、指導力を求め、また計画を立案した相手に撤回を求め、いくつもの声明文を提出している。頼もしい限りである。このように玉川上水は地域住民が誇りに思い、その存在を皆愛している。もともと人工的に作られ、今現在は下水処理水が流れるこの川は決して自然なかたちにあるとは言えないが、人々はなるべく自然なかたちに近づけようと努力しているし、川の保全に対しても意欲的である。地域住民にとって玉川上水がこのような存在である以上、この川はこれからもずっとその姿を残していくのであろう。

 私にとっても玉川上水は幼い頃の大事な思い出の一つとして、今でも鮮明に記憶に残っている。そして、いまの川の姿が私の小さい頃とあまり変わらない事をとても嬉しく思う。玉川上水は、素直に「自然とは綺麗なものなんだ」ということを、このような都会でも言葉で教わるのではなく自ら実感できる場であってほしい。たとえ人工の川でも、幼い頃の私にとっては確かに綺麗で、危険で、不思議に溢れていて、いつまでたっても飽きない、まさに自然の川だった。そして、いまでも私はこの川に隣接する道路(五日市街道の反対側にある、車通りの少ない道)を自転車で走りぬけるのが気持ちよくて大好きだ。桜の木の葉をすり抜けて点々と散らばる日向を走っていると、いつも思わず鼻歌を歌ってしまうのだ。このような心安らぐ自然との憩いの場として、いつまでも玉川上水はそこにあってほしい。このままずっと私が小さい頃に見たままの、感じたままの、この玉川上水でいてほしい。そう強く願ってやまない。

 

元一覧表へ戻る