2004 冬学期 NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I 「川と人間生活」

 

  山崎川 (愛知県)

                         匿名希望

 

 

*はじめに*

私が一歳から大学に入るまで住んでいた実家は名古屋市の南区にあります。そしてその実家から南に五分ぐらい歩くと川の堤防に突き当たります。その川が今回レポートで取り上げる山崎川です。山崎川は名古屋市を代表する二級河川であり、全長は13.6kmです。名古屋市千種区の猫が洞池を水源の一つとし、千種区、昭和区、瑞穂区、南区を通り、港区から海に流れ込んでいます。また長い距離を流れているだけあって、川の表情は地域によってさまざまです。今回レポートを書くにあたって港区から水源の千種区猫が洞池まで川に沿って遡ってみることにしました(資料の地図を参照のこと)。

 

*山崎川の様子*

<第1ポイント 港区>

 河口から1.5q程遡った辺りですが、川は緑色に濁っています。川幅は約40mで、両岸はコンクリートで護岸されています。魚がいる気配はありませんが、カモメやカモなどの水鳥が約30羽浮かんでいます。観察ポイントの対岸には研究所か工場のような建物が見え、そのふもとには山崎川につながる用水口があります(写真@)。かつてはそこから工場廃水が流されていたのかもしれないと思いました。川のそばに私以外の人影はなく、時折ジョギングをする人が堤防沿いの道を走っていくだけです。川は寂しそうな表情です。

 

<第2ポイント 南区@>

 さらに1.5q程遡りました。我が家から程近いこの辺りは山崎川が高速道路の下を通っています。川の水は緑色に濁り、コンクリートで護岸された川岸にはわずかに葦が生え、ごみが落ちています(写真A)。魚の気配はなく、水鳥の数はとても少ないです。原因は高速道路からの排気ガスかもしれませんが、なんとなく川が臭いような気がしました。(ここから1q程遡った所には水鳥がいましたが、それだけで川の表情は和らいで見えました。)

 

<第3ポイント 南区A>

 先ほどの第2ポイントと同じく南区内ですが、約2q離れたポイントです。第2ポイントまでは川幅がほとんど変わらなかったのですが、この辺りでは川幅が第1ポイントの半分程になっています。魚の気配はないのですが、大きな水鳥が二羽おり、サギのような水鳥もいます。ここもコンクリートで護岸されているのですが、両岸には葦が鬱蒼と生い茂っています。さらにこの辺りは民家に囲まれているので、堤防沿いの道は人間の生活感が漂っています。川はようやく人間の生活に近づいてきたように見えます(写真B)。またこのポイントを過ぎた辺りからしばらくの間、堤防沿いの道は自動車が通れなくなっています。それまでは自動車かジョギングのおじさんしか通っていなかった堤防沿いの道が、ここでは歩行者のみに開かれているのは驚きです。川が人間に近づいてきている証拠でしょう。

 

<第4ポイント 瑞穂区@>

 第3ポイントから1.5q程、川から離れていた間に川の様子は激変します。ここでは川幅が第1ポイントの半分以下(約15m)にまで狭くなり、水深はとても浅くなっています。また水は透き通り、川底が見えるほどになっています。さらにコンクリートで護岸されてはいるものの、砂が積もって植物が生える中洲ができたり、両岸に葦の砂浜ができたりしています(写真C)。そしてここには十二匹のコイが群れをなして泳いでいます!水鳥も数羽漂い、全体的には健康な川に近づいてきているように見えます。この辺りは商店や民家が立ち並ぶ商業地域なのですが、川は清潔に保たれ、多くの歩行者や車が川のそばを行き交っています(写真D)。ここまで来ると川は人間の生活の一部に組み込まれているようです。川は生活の中心に流れ、堂々としています。

 

<第5ポイント 瑞穂区A>

 さらに0.5km遡り、この近辺は川岸に桜の木が植えられ、お花見の名所として人気が高い桜並木になっています。この桜並木は2km続いているそうです。また桜が植えられているためか、下流ほどの護岸工事はされていないようです(写真E)。ここも水深は浅く、魚の姿は見えませんでしたが、水鳥がたくさん漂い、サギらしき鳥も二羽いました。この観察ポイント少し先から、この桜並木は「四季の道」として歩行者専用通路になっています。人々が桜を見に喜んで川に集ってくる様子が目に浮かび、微笑ましく感じられました。この辺りの山崎川は人々に愛され、親しまれる川になっています。

 

<第6ポイント 瑞穂区B>

 さらに0.8q遡りました。この観察ポイントはサッカーの試合や名古屋国際女子マラソンなどで使われる瑞穂競技場のすぐ下です。両岸はコンクリートで護岸工事がなされているものの、そのコンクリートにはタイルで魚や水鳥が描かれています(写真F)。さらには水を引き込んだ親水広場も作られています。これらは人々が川を慈しみ、管理をきちんとしていることの証拠になるでしょう。この辺りの川幅は狭く(約8m)、水深もさらに浅くなっており、川の中に置かれた飛び石を利用して川の両岸を行ったり来たりできるような仕掛けが作られています(写真G)。年輩のご夫婦が川沿いの道を散歩したり、親子連れが川のすぐ近くまで降りて散歩したりしていました。子供たちだけのグループで川岸を冒険している姿や、犬の散歩で来ている女性もいました。この川はもう人々の憩いの場として定着しているようです。川は人々を育むお母さんのように見えました。ちなみにこの川は古代から人々の生活を支えてきたようです。川沿いの道には下内田貝塚跡の看板がありました。

 

<最終ポイント 千種区猫が洞池>

 水源の猫が洞池まで遡ってきました。この池は平和公園という広い公園の中に位置しています。この日は寒い日でしたが、凧を揚げる親子連れや犬の散歩をさせている人々で公園は賑わっていました。また、このレポートのためにリサーチをして初めて、山崎川が猫が洞池を水源としていることを知りました。どこかに証拠はないかと探してみたところ、石碑が置かれていました。「猫が洞池にはかつて上池と下池があり、二代目藩主徳川光友の命で(中略)農業用ため池としてつくられた。(中略)昭和の時代になって下池は失われ、現在は上池だけが残っており、山崎川の水源になっている」(写真H)。水源発見です!しかしこの池のどこから水が外に流れているのか場所を特定することはできませんでした。

 

<その後>

 猫が洞池のどこから水が流れているのか特定することはできませんでしたが、追跡調査をしたところ、山崎川は千種区内では地下を流れていることが多いようで、神出鬼没な川になっていました。猫が洞池を離れて川が地上にお目見えするのは池から車で五分ほど走った所でした。そこではいかにも人口の用水路といった外見の山崎川になっていました(写真I)。さらにその用水路沿いに車を走らせると、五分後くらいに再び地下に姿を消してしまいます。その後、瑞穂区内に現れてからは、地上を流れる川になります。

 

*私と山崎川*

 残念ながら私の実家付近の山崎川は緑色に濁っており、子供が遊ぶには適さない川です。ですからこの川と意識的に関わった思い出はありません。ただ20年もその川を見てきているので、川を見て感じたり考えたりしたことはあります。例えば緑色に濁り、底が見えない山崎川は子供にとって底なし沼のように感じられ、橋の上から川を覗くのがとても怖かった記憶があります。今でも川を覗くのは少し怖いです。また、私が小さかった頃は今より川が濁り、時折、川底から何らかの気体がブクブクと発生している光景を見ました。さぞかし有毒なガスなのだろうと思い、この光景を見るたびに生活が脅かされる気がして怖かったです。その後、護岸工事がなされて全体的にはきれいにまとまったように見えますが、水は相変わらず濁り、南区の山崎川は人間の生活から排除されてしまっています。

 

*昔の山崎川*

 私の母は私の実家のすぐそばにある祖母の家で生まれ育ちました。ですからその母と祖母に3020年前の山崎川の様子について、話を聞いてみました。しかし残念なことに山崎川はその当時からすでに濁っていたそうです。確かに21歳の私が物心ついたときにはすでに濁っていたのですから、20年前にはかなり濁っていたと思われます。さらに二人の証言によると、山崎川の水はその頃よりも現在のほうがきれいになってきたそうです。私が子供の頃に行われた護岸工事の際、底泥の除去も行われていたようで、それ以来少しきれいになったそうです。しかし母も祖母も川で遊んだ経験はないそうです。山崎川は30年もしくはそれ以上昔から、南区に住む人々の生活から阻害されていたようです。そう考えるとなんだか川がかわいそうでなりません。

 山崎川にまつわる大きな事件といえば、1959(昭和34)年に大きな被害をもたらした伊勢湾台風が挙げられます。名古屋市南区は特に大きな被害を受けた地域です。母は当時小学校三年生だったので、当時のことを覚えていて話してくれました。聞いたところによると、台風が名古屋市付近を直撃した時刻に満潮時刻が重なり、下流の港区にあった貯木場から材木が流れ出したために山崎川の堤防が決壊し、名古屋市は長期間にわたって浸水してしまったそうです。名古屋市南部(南区含む)は埋め立てで造られた土地であり、いわゆるゼロメートル地帯なので、いっこうに水が引かず、母の一家や近所の人々はみな屋根の上に上って水が引くのを待っていたそうです。水災害といえば、年末に起きたスマトラ沖大地震による津波で多くの人々の命が失われてしまったことは非常に悲しいことでした。報道によれば、遺体は個人を特定するのが非常に困難だそうですが、実家近くに住む母の叔父の証言によると、伊勢湾台風の暴風雨で流された遺体は水に浸かって性別すら判別できなかったそうです。しかし何よりも、そのような悲惨な経験を私の母の世代までもが知っているというのは私にとって驚きです。その時の話を聞くたび、自然災害は他人事ではないのだという思いを新たにします。

 

Web-pageに何が書かれているか?*

 Web-pageの多くは桜名所として山崎川を推薦しているものでした。しかし山崎川の地理・歴史についてかなり詳しく書かれているサイトがありました。元NTT西日本取締役名古屋支店長の笹倉信行氏が研究、執筆された「水の流れが紐解く名古屋の歴史」というサイトです。そのサイトによると、山崎川上流部一帯の歴史は古く、歴史的な地名や遺構が多く残っているそうで、古墳時代には須恵器製作の中心地となっていたそうです。水源の猫が洞という地名も須恵器を焼いた人々が朝鮮から移り住んだことがうかがわれる地名だということです(金子が洞→猫が洞)。

さらに時代は下って、戦国時代には織田信長の父信秀により、山崎川の支流に囲まれた場所に末盛城が築かれました。1547(天文16)年のことです。この城は今では城山八幡宮となっていますが、戦国時代に多く築かれた平山城の特徴をよくとどめており、全国的にも貴重な城址だそうです。ちなみに末盛という地名も須恵器に由来しています。

さらに時代は下り、猫が洞池は江戸時代に造られた頃から水量豊かな池だったので、灌漑用水として、また他の人工池の水源としても使われていたそうです。さらに猫が洞池以外の水源は千種区や昭和区内に点在しており、なかには手付かずの湿原から始まっている支流もあるそうです。名古屋市の中心部に手付かずの湿原なんて、まさに都会のオアシスですね。

また山崎川にはいくつもの支流が流れ込んでいるそうですが、支流のうちのいくつかは名古屋大学や南山大学の構内に水源があるそうです。この事実には驚きましたが、でも偶然ではないと思うのです。やはり水がある所には人が集まって、そこが文化の発信地になるのですね。考えてみれば山崎川沿いには競技場や賑やかな町が点在しています。

 

*どんな山崎川であってほしいか?*

 山崎川は上流と下流とでは川の様子も、またその近くに住む人々の川への関わり方もまったく異なっています。南区付近だけを見ているととても不幸な川に見えます。山崎川に沿って工場が並び、岸辺に人の気配はありません。慌てて走る車が堤防沿いの道や橋を通り過ぎるだけになっています。つまり人々の生活から川は完全に遠ざかってしまっています。しかし瑞穂区や昭和区、千種区では川が町の中心にあり、川に沿うようにして商店や競技場が立ち並んでいます。桜並木の名所として親しまれてもいます。このことは現場での観察を通して改めて気が付いたことです。

私は上流の山崎川を見て微笑ましく思いました。それは浅くて細いけれど透き通った水が流れ、人々が自然とそばに集まってくる川でした。よく「水は人間の暮らしの中心にある」と言いますが、この言葉の意味を今回始めて理解できた気がします。そしてそのような川のあり方がとても自然だと感じました。川があって、そこに人々が集まり文化を作っていくというのは古代から今まで変わらない人間の自然な営みです。そのような自然な営みが行われている上流の山崎川は人々に愛され、親しまれ、とても幸せそうに見えました。ですから私が望む山崎川の姿は上流から下流まで、子供の遊び場として、お年寄りの散歩コースとして人々の生活の中に自然に溶け込む川です。そして川のそばに行くとなぜかほっとするような存在であってほしいです。そのような川こそ人々の生活を見守り、支える川であり、「生命を育む川」と言えるのではないでしょうか。今は悲しく寂しそうな表情をしている南区、港区の山崎川ですが、これからは川の様子を気にかける人が増えて、20年後、30年後には今よりもう少しだけでも人々の生活に近づいていてほしいなぁと思います。そのためにはまず、私たち住民が川に関心を寄せることから始めなくてはなりません。今回レポートを書いて、そのことに気が付くことができました。大きな収穫です。

 

 

*参考:笹倉信行著、「名古屋再発見―水の流れが紐解く名古屋の歴史―」(以下三つは同サイト)

シリーズ第5回 山崎川 http://www.aichima.net/rekishi/column/05/index.html

名古屋再発見地図なび http://www.aichima.net/rekishi/map/index.html

山崎川フォトギャラリー http://www.aichima.net/rekishi/column/05/photo/index.html

 

資料:(▼地図は笹倉信行著「名古屋再発見地図なび」より引用 200518日閲覧)

 



 

 

写真@                                     写真A

      

反対岸には研究所のようなものと用水口が見える  高速道路と交わっており、辺りは臭い

 

写真B                                写真C

      

葦が生え、川のすぐそばに民家が並ぶ       水深は浅く、中洲ができている

写真D                     写真E

      

町は賑わっているが、川はきれい         岸に葦が生え、護岸はされていない

 

写真F                     写真G

      

タイルで魚や水鳥が描かれている         川は管理され、憩いの場になっている

 

写真H                     写真I

      写真:本山付近の山崎川1

猫が洞池の由来を伝える石碑           千種区では地下を流れる用水路である

(写真HとIは笹倉信行著「山崎川フォトギャラリー」より引用 200518日閲覧)