2004 冬学期 NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I 「川と人間生活」

佐用川(兵庫県

ひらふく さよがわ

いまむかし

〜佐用川レポート〜

 

平福と佐用川

 

  田舎の夏。青い空と緑の山、田んぼにはアマガエル、川にはメダカ……。このような里山の風景は母親の実家が平福にある私には、身近なものであった。夏休みやお正月に遊びに行っただけでなく、自宅の引っ越しの都合で小学校時代に数ヶ月間ではあるが住んだこともある。

  平福は兵庫県の西の端、岡山と境を接する佐用町にあり、姫路と鳥取を結ぶ旧因幡街道の宿場街として栄えた場所である。鉄道が通らなかったため(今は智頭急行が停まる)、都市化は進まずむしろ今では過疎化の一途を辿っている平福であるが、かの有名な剣豪武蔵が初めて決闘をした場所としても知られていて、その跡や往年の宿場街の面影を探しに観光客が訪れることもある。 

  その観光客がしばし目を留めるのは、川沿いにならぶ宿場街時代の古い商家などからなる町並みである。この平福を流れる川は、佐用川と言う。佐用町を源とする佐用川は最終的に千種川へと合流し赤穂にて播磨灘へ流れ出る。川沿いに宿場街が形成されていたこともあり、川岸は昔から石垣やコンクリートで固められているが、川底などは自然のままにおかれているし、元々普段は水量の少ない川なので護岸工事により流れが不自然にせき止められているようなことも殆どない。

  現在でも、平福に住む人にとって大切な川であることは変わらない。上水道は早くから完備されていたが、田んぼへの引水や、簡単な洗濯、畑の収穫物の泥すすぎなどにも使われている。川沿いの家の裏には階段があり、川辺には簡単に降りられるようになっている。このレポートでは、平福における佐用川の変遷を記すことにする。

 

 

 

佐用川の昔

 

  私の母は平福で産まれ、高校で下宿生活を始めるまでの十数年間をそこで過ごした。生家は川沿いではないが、それでも平福にある他の家と同様、歩いて3分以内で川に出られる。母の記憶を元に30年ほど昔の佐用川を記述してみる。

  現在と30年前で大きく違ったのは下水の有無である。当時は下水が全く通っていなかった(完備されたのはごく最近である)。もちろんトイレは汲み取り式である。私自身も幼い頃祖父母の家のトイレが怖かった記憶がある。水洗になったときはホッとしたものだ。そしてその他の生活廃水は佐用川に流されていた。簡易浄化槽をつけている家もあったが、そのような金銭的余裕のない家の方が多く、母の実家もつけていなかった。

  それでも佐用川は綺麗だったそうだ。勾配があって流れが速いということもあったのだろうし、人口も多くないので廃水も大きな悪影響を及ぼすほどの量ではなかったのかもしれない。ハヤやドジョウ、アユ(たまに)、ニジマス、メダカなど沢山の魚が居て、子供はよく魚取りをして遊んでいた。子供が手や網で取る魚は小さく、食べてもあまり美味しくないので大抵は放してしまうのだが、叔母が捕まえて飼っていたドジョウを祖母が断り無しに夕飯にしてしまったなどということもあったそうだ。

  平福のあたりでは、佐用川は浅いので泳いで遊ぶということはあまりなかった。小学校にプールがなかった頃は農業用水を引くための堰の上で水泳の授業が行われたそうだが、それでも子供が立てる深さであった。より下流の佐用周辺では他の川と合流し深くなった川で水難事故が起こることもあった。

 

 

 

佐用川の危機

 

  清流と呼ばれる佐用川にも危機があった。一つは養鶏場からの廃液である。養鶏場は30年ほど前に上流の山に作られ10年間程稼動していた。ここから出る廃液はそのまま川に流されたので川は見るからに汚くなってしまった。住民が苦情を言った為に数年後汚水対策をしてくれるようになったが、そのうちに工場自体が閉鎖されたそうだ。

  もう一つの危機は農薬による汚染である。平福でも一時期DDTやBHCなどの有機塩素系殺虫剤が使われていた。よく効いたらしく、その毒性が問題になり製造停止になるまで撒かれていたそうだ。佐用川にはゲンジボタルが生息するが、その期間は支流の方まで上がらなければホタルが見られなくなってしまった。低毒性の農薬に切り替わってからは平福にもホタルが戻ってくるようになった。

 

佐用川の今

  母の子供の頃に比べると、現在の佐用川は少し汚なくなったようにみえるそうだ。川の水量がやや減り、水の流れが弱くなっていると言うのでこの2つは関係があるかもしれない。水量の変化の原因はわからないが、上流の山林の保水力の低下などが考えられる。

  しかし、今でも川には絶滅危惧種となってしまったメダカが当たり前のように居る。私達兄弟や従兄弟達は30年前の母や叔父叔母と同じように川で魚をとって遊ぶことが出来る(素手では捕まえられないが)。ゲンジボタルも健在だ。残念ながら私自身はあまりホタルの季節に平福を訪れることが出来ないのだが、子供の頃ホタルを捕まえて祖父母宅の中庭に放したり、昆虫図鑑を片手にその種類と光り方のパターンや模様などを確かめたりした記憶がある。

  また、川から引いた水が平福をめぐる溝に流れているが、その敷砂利を掘るとシジミがたくさん見つかる。水草が流れにそよぎ、フナが泳いでいることもある。都会に住んでいると、溝は汚いイメージがあるが、平福では綺麗な小川のようなものなのである。

  さらに驚いたことに、佐用川には今でもオオサンショウウオが生息すると言う。平福で一匹発見した人の話を母は耳にしたことがあるそうだ。数は少ないが今でも棲んでいるそうなので是非遭えたらとおもう。

 

佐用川のこれから

昔から現在に至るまで、平福では住人が自主的に川を管理している。大水後の橋の修理だけでなく普段の川の掃除もされているのでゴミが川にたまることもない。川から恵みをもらい、川を大切にしている人達によって佐用川は美しい流れを保っている。

  大都市から離れた山間の過疎化の進む地域であり、交通の便もあまり良くないのでなのでこれ以上人口増加や工場設営などで川の汚染が進むこともないと思われる。

  母が子供の頃、家は厳しい母親のしつけや嫁姑の確執などで安らげる場所ではなかったそうだが、そのような時は川に出て魚を取っていた。魚取りをしている間は無我夢中になれて、他のことを考えずにすむので良いストレス解消になったそうだ。私にとっても、佐用川の思い出は楽しい、幸せなものばかりである。細い橋から妹と落ちて橋げたでコブを作ったことも今では笑い話である。平福を観光に訪れる人達も、佐用川のある風景に心を癒されていることであろう。

  人々の実際的な生活だけでなくその心にも大きな恵みを与えてくれる佐用川と平福の自然がこのまま守られていくことを祈ってやまない。

 

 

佐用川関連のウェブページ

【千種川概況(PDF)】

http://web.pref.hyogo.jp/nishiharima/kendonew/kasen/data/pdf/1‐4gaiyo.pdf

佐用川を支流とし瀬戸内海に入河する千種川についてのページ。水系図や生態系(貴重種)、水質調査結果、改修の記録など様々な事柄についての基本データがある。

佐用川

http://www82.sakura.ne.jp/~hashimoru/hyogo/river-sayo.htm

佐用川とその流域にある平福、佐用の簡単な説明が写真入りでされている。

【オオサンショウウオの分布】

http://www2t.biglobe.ne.jp/~tomoda/bunpu.htm

日本全国及び兵庫県内のオオサンショウウオの分布地域が掲載されている。佐用川についてのコメントがあり、その生息環境の保護を訴えている。

【佐用町河川調査−淀川推計の水質を調べる会】

http://www4.ocn.ne.jp/~kanshi/yodo-r/2ki/sayo.html

佐用川の水質検査結果報告。主に支流の江川川についての検査であるが、その上流にある養鶏場畜産団地の廃水により川が汚染されていることを示している。平福を流れている、江川川が流れ込む前の佐用川は綺麗だが、平福に養鶏場があったころは江川川と同様であったのかもしれない。

【暮らしのある川の風景】

http://www.d1.dion.ne.jp/~sentaka/contents.htm

ページの作者が訪れた川についての説明と写真。佐用川沿いの平福の古い町並みの写真とコメントもあり。

 

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