2004 冬学期 NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I 「川と人間生活」

 

白子川 (東京都)

                                       水村 彩

 

       私は幼いころからずっと練馬区に住んでおり、何回か引越しはしているものの、自宅から最寄り駅である大泉学園までいく途中では必ず白子川を渡っている。白子川は荒川水系に属する一級河川で、練馬区の井頭(いがしら)池を源流とし、練馬区を北東に流れて和光市に入ったところで新河岸川と合流、さらに板橋区西部で荒川と合流し、その後隅田川へと名前を変えて東京湾に注いでいる。一級河川ではあるが、私が毎日目にしている白子川(下の地図ではF地点)は、川と呼ぶにはあまりにも水が少なく、幅も狭く、周りをコンクリートで完全に固められており、まるで工業用に造られた用水路のように見える(写真1)。幼いころには、白子川の湧水地のひとつである稲荷山憩いの森で遊んだことがあるようだが、幼稚園にあがる前のことなので私自身の記憶には残っていない。住宅街を流れている部分のほとんどは護岸工事が施されているので水辺に降りることはできず、公園となっている湧水地以外でこの川と関わったことはあまりない。

 

1.(左)練馬区内を流れる白子川の全体図

写真1.(下)学園橋付近の白子川 

                 

 

 

 

 

 

 

 

(いずれも、http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/2199/srk/wchild1.htmより)

 

       このように、私は白子川と積極的に関わりを持ったことはないが、この川は私に強烈な印象を残している。それは私にとってのことだけでなく、私の家族や、おそらくは近所の人にとっても同じだろう。なぜなら、白子川はつい最近まで悪臭を放つどぶ川状態だったからである。両親に川の昔の姿について尋ねたところ、「いつもちょろちょろとしか水が流れていなくて、臭かった」という答えしか返ってこなかった。実際、私も小学生の頃にこの川の付近を自転車で通るときには、息を止めたり鼻をつまんだりしてなるべくにおいをかがないようにしていた覚えがある。

       それもそのはずで、白子川は昭和40年~50年代にかけて工場排水、生活排水による水質汚染が進行し、昭和50年~58年までは都内で最も汚れた河川ワースト1にランクされ、全国的にもその汚さで有名だったのである。これはちょうど私が生まれた時期と重なっているので、その頃から練馬に住み始めた私の両親や、小学校低学年の時に川の近くで遊んでいた私自身の記憶に「白子川=汚い、臭い」という印象が強く残っているのは当然のことかもしれない。

       水質を表す主な方法には、生物化学的酸素要求量(BOD: Biochemical Oxygen Demand)、溶存酸素量(DO: Dissolved Oxygen)、浮遊物質量(SS: Suspended Solids)の3つがある。その一つであるBODは微生物が有機物の汚れを分解する際に必要とする酸素量で、環境基準は10mg/l以下とされ、数字が大きいほど川が汚れていることを示している。白子川では、環境基準点となっている落合橋(都市中心部)で昭和50年にBOD68mg/lを記録し、「川の水のほとんどが生活排水」といわれるほど汚れはひどくなっていた。

       もちろん、白子川がはじめからこのような汚れた川だったわけではない。昭和30年代前半の白子川は、のどかな田園風景の間を流れる清流で、水量も豊かで人々はその水を農業用水や生活用水に使っていた。詳しい水質調査の記録は残っていないものの、ホタルがいたことや、川にいた魚の種類などから水質も良かったことが推測できる。しかし昭和30年代後半から40年代の経済成長期に、練馬は都心に勤めるサラリーマンのベッドタウンとして急速に宅地化が進み、豊かに残っていた山林や農地は次々と宅地開発され、湧水は徐々に数を減らしていった。白子川の流域にも住宅地が進出し、下水道の整備が人口の急速な増加に追いつかなかったため、生活排水は白子川に流入するようになった。そして生活排水の増加に加えて湧水の減少で水量の減った白子川は浄化能力を失って典型的な都市中小河川となり、たんなる排水路と化してしまったのである。

       しかし、このような白子川にとって不名誉な状態は、下水道の整備とともに徐々に改善されていった。この地域での下水道整備は昭和56年に始まり、平成5年度までにほぼ100%の普及率を達成している。この間、下水道の普及率増加と反比例する形で白子川の汚れ(BOD)は急速に低下し、平成4年には落合橋で8.7mg/lを記録し、初めて環境基準を達成することに成功している。昭和60年に、白子川流域の自治体は川の水質を改善するために白子川汚濁対策協議会を発足させ、積極的に活動を行ってきており、下水道の整備だけでなくこうした自治体間の連携による対策も、下水道整備と並んで水質改善に大きな役割を果たしている。例えば、湧水に直接流れ込んでいた生活排水を洪水対策のためのバイパスに接続して湧水の水質を守ったり、中流での合流地点に生物膜を利用した浄化装置を設置する、などである。

       水質改善のための努力が実を結び始めたことは、白子川に帰ってきた生物の種類によっても確認することができる。上流部ではかなりの種類の植生の回復が見られ、(写真2)下流部では新河岸川からコイの群れがさかのぼってきていることが観察されている。さらに、最近では絶滅危惧種といわれるメダカやほとけどじょうの生息も確認されており、白子川が汚染から復活しつつあることが見て取れる。実際、この課題が出されてから改めて白子川を観察してみたところ、子供の頃の記憶にあるあの強烈などぶのにおいは全くと言っていいほど感じられなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真2.白子川上流部                写真3.白子川源流(井頭公園)

(いずれもhttp://www.kaorin.net/casa/misc/shirako/より)

 

また、白子川についてインターネット上で検索すると、以下のサイトが代表例として挙がってきた。まずは「白子川」(http://www.kaorin.net/casa/misc/shirako/)と「東京西北部の中小河川-白子川-」(http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest /2199/srk/wchild1.htm)。これらはいずれも個人が運営しているHPで、内容はともに白子川の源流から新河岸川に合流する河口までの現在の様子をデジカメ写真とともに紹介している。次に、「汚染から復活する川 東京・練馬の白子川」(http://www.chie-yuu ki.tv/others/others02.html)では、汚染からよみがえった白子川上流の様子と、未だに汚水が流れ込み、生物がいない中流の様子を4分弱程度のVTRで見ることができる。さらに、毎年行われている白子川源流祭りについてのページ(http://cgi.ias.biglobe.ne. jp/river/tree_bbs2/tree_bbs.cgi?no=101http://parkandcats.hp.infoseek.co.jp/sirakog awagenryumaturi.html)では、最新の水質調査や観察された生物の報告、子供たちへの環境教室の開催などについて知ることができる。

このように行政と市民の努力によって確実にきれいになっている白子川だが、川として再生したとは言いがたい。水質はかなりの場所で良くなっているが、私の住む地域を含めた中流地域では、隣の西東京市からの汚水の流入により、いまだに生物が生活できる環境にはなっていないし、川の問題は水質だけではないからである。湧水が枯れて水量が減り、護岸工事によってコンクリートで固められた川は、多くの生き物にとって暮らしやすい環境ではない。白子川が生態系の中で本来あるべき姿に戻るためには、きれいで豊かな水だけでなく、そこに暮らす生物が不可欠である。そして狭い都市で暮らすことに疲れた私たち人もまた、白子川に生物が戻ってくることで暮らしに安らぎや潤いがほしいと願っている。板橋区、練馬区、東京都のそれぞれが白子川の環境改善計画を出しているが、そのどれにも共通しているのは、「きれいな水が豊富に流れ、人が近づき、親しめる水辺を持ち、そこに多様な生き物がいる」川をつくっていく、という考えである。そしてこれを達成するためには行政だけでなく個人の意識と心がけが重要であることは言うまでもない。

都市の中に流れながら可能な限り本来の姿をとどめ、動物や植物に生活の場を提供できる川、そのことによって私たち人間をも癒せる川。これからの白子川には、そんな風であってもらいたいと思う。

 

 

《参考文献》

「白子川を知っていますか-水辺再生に向けて-」、白子川汚濁対策協議会発行、1994