「自然の化学的基礎」 課題レポート 「川と人間生活」

 

阿武隈川(福島県)

匿名希望

 

昔、3歳の頃に日本に来日して以来、小学校低学年までの間、福島県福島市の「阿武隈川」の上流の一つである「松川」の近くに住んでおり、よく散歩に行った。川のほとりにはゲートボール場や小さなグラウンドなどがあり、土手の斜面にはコスモスが咲き、その土手上の道なりには桜が咲いていた。堤防を川側に降りたところには小さな花壇があり、近所の人がチューリップ等の手入れをしたりしていた。シロツメクサも生い茂っており、川から少し離れた河原でよく花冠を編んだり、少し歩いたところにある石川原で、チョーク代わりになりそうな石を拾ったりして遊んだ。川原に散歩をしに行くと、必ず河川の水位を測る水位計の表示を確認した。その頃よく父が、「昔は、大雨が降ると、氾濫した川の水が土手を越えて流れてくることもあった。」と語っていたのを覚えている。

父によれば、昔は現在に比べて河川の水位の、季節内の変動が比較的あったそうだ。具体的には山への降雪による雪解け水に影響されて、春および秋は水位が上昇していたようであった。水質に関しては、私の記憶の限りではあまり透き通っている感じはせず、川に入ってきれいな石を探す際に、足にこびりつく茶色の泥のようなものが気持ち悪くて仕方が無かったが、父に確認すると、この川はもともと活動性火山の影響によって強い硫黄成分があったために生物がいなかったそうで、私の記憶の中に魚が出てこなかったことは、環境の汚染という時代の変化によるものではなかったようである。川の水位はあまり高くは無かったが、それでも堤防の裾まで水位があったため、堤防を降りて川に足を浸したり、川の端の方で石を探したりする場合には、必ず家族が一緒でなくてはならなかった。堤防の川の両端には大きなコンクリートのブロックがあり、ブロックの隙間から水面を覗くと、空き缶やガラスのビン、ビニール袋などの多少のゴミが見えた記憶がある。川なりにずっと歩くと、コンクリート製の土手(堤防だったか、土手だったか)に色つきの石でモザイク装飾による絵が並び、私はそれらを眺めるのが好きだった。

 

川と人間生活の関わりについては、私の地方(東北地方)では、現在でも続く「芋煮会」という慣わしがあり、秋になり紅葉の美しい時期になると、よく近所の町内会や学校、会社などの単位で鍋や材料などを持ち寄り、白い石川原のほとりでけんちん汁に似たものを調理して皆で食べたり、水切りをして遊んだりした。また、実家からは少し離れるが、その川では冬になると白鳥が飛来することで有名で餌を与えによく人が来るのは今でも変らないようだ。私の住んでいた辺りの川については、最後に私が実家に帰省した際に感じた印象は、川の周りについてはあまり景色が変わらなかったが、川の水位が少し低くなった、というものであった。川の両端には石川原が出現し、河川の幅が多少、減少したように感じたが、季節の関係によるものかもしれない。

 

現在の地方自治体の取り組みについて調べていくと、河川の水位の移り変わりは具体的に示されていなかったものの、川の現在の水位などについての情報を載せたページなどを見つけることが出来た。具体的には私の家の近くの「松川」に関して言えば、指定水位2.57mをはるかに下回る水位(0.73m)であった(ページ参照時)。

具体的なプロジェクトとしての自治体の取り組みとしては、小学校などの総合学習の一環としての川の水質調査や生態系に関する研究などの様子を自治体のページを通じて発信したり、河川の国勢調査を行ったり、流れという河川の最も基本的な機能を維持するために、流水量が不足した場合にはダムから河川への放流、などといった対策が取られている。また、河川愛護に関するプロモーションを積極的に行っており、現時点での河川の愛護団体の数やその人数、その活動内容などを公表したり、表彰を行ったりしている。また、「うつくしま“川人”はぐくみ・発見事業」と題し、水循環の理解およびそれに関する啓発活動やボランティア活動の促進のために、そのような活動を行う団体や、川について学ぶ側の団体に対しても補助金交付を行ったりもしている。阿武隈川の他にも、県内の主要な川についての流水面積やその長さ、その川に関係する(その関係河川などが流れる)市町村数などの情報などが比較可能な形で掲載されている。

公私を問わず、様々な団体や個人の川に関するページ、子どものための魚や白鳥について知識を深めるためのページ、白鳥の観光情報ページなどのリンクがあり、川に関する興味を様々な方面から引き出す努力をしていると考えられる。

 

歴史的にこの阿武隈川を見ていくと、河川の付近にすぐ都市部や住宅地(市街地)など比較的栄えていて、人々が活動する地域が隣接しているため、古くからたびたび河川の氾濫や洪水の被害に遭っていたようであった。特に福島市に関しては、駅から5分ほど歩けばすぐに川に面した所に下りることが出来る程である。これに関しては現在までに、蛇行する河川を直流にしたり、ダムにより流水量を調節したりして来た。しかしながら、このように洪水に悩まされながらも、河川の流水を利用した電力化によって工業化が他の東北の地に比べて比較的発展してきたという歴史もまた、否めない事実である。

最近ではアートなど芸術に関わる創作活動への興味の高まり、という社会文化的な流れを受けて、流木アートやストーンアート、という方面からも河川に対する興味を引き出す機会が考えられており、商業地としての衰退に悩む駅周辺において流木アートなどの展示会や勉強会の開催、またイルミネーションとアート作品のコラボレーションなどを利用し、川に対する興味のみならず市街地の発展にも共に役立てようとしていることが、ここからうかがい知れる。

更に、中心市街地と河川が近いことを逆手に取り、「水辺の楽校」という名のプロジェクトも開始されている。子供にとって安全に、それでいて正に活き活きとした「水辺」を感じられるように、緩やかな斜面や、水生の動物などが観察出来るように作られた人口の入り江など、「水辺を感じられる空間」が市街地の中心部を流れる河川域に設計され、自然環境の保全に関しても興味を引き出すという目的も含めた事業である。

 

また、河川をきっかけとした結びつきは芋煮会レベルだけではなく、「阿武隈川サミット」という、河川に関係する市町村の自治長が集まって今後の河川のあり方や「川のある暮らし」について考えるものが発足にまで及んでいる。県境・市境を越えた、「川によって結び付けられた新たなまとまり」だと考えられるのである。

このように、環境保全のために、川に興味を向ける、という一方方向でない人と川の関係が更に発展していくことを願ってやまない。「阿武隈川」における人と川の歴史から考えても、プラスの価値・マイナスの作用のベクトルの両方が、双方向にそれぞれ流れていることを私達は忘れてはならない。「川にしてあげられること」という考え方のみでは、私達は自然循環の中に生きている人間としての使命を果たすのに十分ではない。私達は自然を支配し、情けをかけるといった立場を取れるほど、自然の脅威の前において大きな存在ではないのだ。流木アートの例で見たように、自発的に「川から得、川へ返す」という双方向のベクトルを「活き活きと」自分のものとして感じることが出来なければ、「川と人間生活」の関係は、内なる輝きを秘めた持続可能な発展にはつながらないのである。