2003NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I

「川と人間生活」 元荒川(埼玉県)

             歌野嘉子

 

 私は現在埼玉県南埼玉郡白岡町に在住しており、家の近くには元荒川が流れている。川幅はだいたい30メートル程に見えるが、実際に測った事も無ければ、泳いだ事もないので正確にはわからない。「澄んでいる」とは言い難い茶色がかったくすんだ色をしているが、朝日や夕日が反射している時はなかなか幻想的な姿を見せる。川面には茶色くカモらしき鳥と、白いサギらしき鳥が常に見られる。水面に突き出している盛り上がった土の上で羽を休めている姿をよく見かけるが、魚等をくわえたり、食んだりしている姿は見ないので、魚が生息している可能性は低いと思うが、何かえさになるような生物が生息しているのだと思う。流れはとてもゆったりとしており、蓮田方面に向かって進んでいる。色はきれいではないと述べたが、川沿いにある草っぱらや桜の木々が汚れているかといえば、そうでもない。たまにゴミが捨てられている様子が見受けられるが、そのゴミが目立つ程その他の部分はきれいである。しかし、それは自然のままの美しさではなく、手入れされた人工的な美しさであることが重要な点である。この川を愛し、手入れをする近隣の人々と、行政の影の努力が感じられる。きっとたまに見かけるゴミも誰かの手によって片付けられているのだろう。少し川自体からは離れるが、先ほど桜の木々について触れた。この桜は数百メートルに渡り川の片岸に植えられており、春には川とともにすばらしい景色を見せてくれる。この期間には、桜の木々に「みんなの桜です。折って持って帰らないでください。」という内容の張り紙が張られることが多い。この一枚の張り紙はみんなの自然を大切に守ろうとする人と、その一部を自分のためだけに切り取ってしまおうとする人、両方の存在を物語っている。これと同じことが先に述べた川のゴミに関しても言えると思う。これまでに述べた川の様子はすべて私の生活している岸についてであったが、当然元荒川には対岸もあり、そちらはまた全く違う様相を呈している。向こう岸には実際に足を運んだ事が無く、こちらから見る限りにおいての情報であるが、こちらの川岸を代表する桜の木々は一本も無い。さらに川岸のエリアの広範囲を養豚場が敷地として使用しているらしく、大きな豚舎が見える。時には豚の死骸らしきピンクの物体が山積している光景もみられる。こちら岸に関しては、決して衛生的であって見た目にもきれいである、とは言い難い。養豚場に関連して、川周辺では豚の鳴き声や豚舎のにおいが向こう岸から漂ってくる。どちらも心地よいものではないが、私の知っている元荒川を代表するポイントである。

 私とこの川の関わりは9年前、白岡町に越してきた春にスタートした。もともとこの土地を選んだ理由が「愛犬の散歩コースにぴったりの川沿いの一本道がある」というものだっただけあり、私は夕方の散歩担当として毎日愛犬と共に元荒川沿いを歩いた。夕方という時間帯故、先に述べたように夕日が川面に反射してとてもきれいだった。春は桜が舞い散るなかその花びらが川面を覆い尽くす様子を見ながらあるいた。夏は養豚場のにおいがより強く鼻をついた。秋は台風で水面が上昇しているのに仰天しながら歩いた。冬は暗くなってから歩く事が多いので、川についての印象はあまり無いが、川面を撫でて吹き込む風は他の風よりいっそう冷たく感じた。愛犬との散歩は高校に進学してからは行く機会も減ってしまったが、それでもたまに散歩にでると、桜の木に我が犬が小便している短い時間には川を眺めてしまう。春には花見に川岸を散歩したり、夏の夕焼けを反射する川を写真におさめ、写真部員として写真展に出品したり、とポジティブな関わりも思い出されるが、それよりも心に強く残っているのはネガティブな関わりである。今から3年程前、川沿いに住むおばあさんが早朝にこの元荒川に身を投げて亡くなる、という事があった。当時私の家族も含め、私の周りでは投身自殺のいきさつや、そのおばあさんを取り巻く自殺要因についての関心の方が高く、そうした事についての噂が絶えなかった。しかし、私が何よりも驚き、衝撃を受けたのは、「私がほぼ毎日側を通り、その姿を見ていたあの川が人の命を消すことができる力も持ち合わせている」という事実だった。おばあさんの散歩の時間と我が愛犬の散歩の時間が重なる事が多かったため、よくそのおばあさんとは顔をあわせていたが、そうした実体験の中の人間が自らの命を断つ手段として私と同様に親しみを持っているはずの川を選択した、という事実が、穏やかだった川の何か恐ろしく新たな側面を私の前に提示した気がして、背筋がぞくっとしたのを今でも覚えている。生死に関わる事態として、さらに川がその存在を現すのは台風の時である。先ほど、「秋にはよく水かさの増していく川を眺めた」と書いたが、実際台風の時にはかなり水かさが増し、川沿いの道を歩くのも恐くなるほどである。雨が強くなってくると決まって父が川の様子を見に行き、その程度により家族に外出を禁じたりする。偵察に行く父自体が川にさらわれるのでは、と心配になる事もあったが、こういう事態の時はまさに「非常」という感じで私はびくびくしていた。高校に入り、ある程度知識もついてくると外出を禁じる父に反抗して喧嘩になることもあったが、今考えれば逆にその時の父の気迫が川の持つ恐ろしい力を物語っていたのだと思う。私と川との関わりはこのように必ずしもいつもハッピーというわけではなかったが、人間にとって癒しを与えたり、活力を与えたり、と常に人間のために存在するかのように語られ易い自然、川が人間を超えるものとして存在するのだ、という事を思い出させてくれる貴重な存在ではあった。こうした関わりから生じた畏敬にも似た気持ちは、吉野先生が授業でおっしゃっていたように、自然の一部として川などと共に生きることを考えていく際の助けになっていると思う。

 元荒川についてインターネットで検索したところ、200〜300件という私の予想を遥かに超える1690件の情報が存在した。この数自体に非常に驚き、特にその内容が「守る会」的な愛護の精神に基づくものであったり、川を趣味にしている個人のメッセージだったりすることを知って、私の思っていた以上に川を身近な存在と受け止めている人々がいることになんだか感心した。数件の情報を要約すると、以下のような内容になった。元荒川は埼玉県熊谷市佐谷田を起点とし、南東に流れ、蓮田市、岩槻市を南東に流下して越谷市中島で古利根川(中川)と合流する、延長61km、流域面積216Iという中川水系の一級河川である。元荒川の特徴は、水源に乏しいため用水が高度に反復利用されていて、還元率が高い点である。歴史的には寛永6年(1629)熊谷市久下で入間川筋へ流路が変えられ、現在の荒川が出現した。そのため、熊谷以東の旧河道は元荒川、古荒川などと呼ばれるようになった。さらに我が愛犬の散歩道から見える八幡橋付近は渡船場であり、「かっこしの家」の屋号で呼ばれる早川家が渡しの仕事を行っていたことがわかった。この「八幡の渡し」は、大正12年の八幡橋完成と共に廃止となったそうだ。

 今回の課題では、いつも身近にあった元荒川という川をその歴史や性質、また自分の体験との関わりから改めて見直す機会を持つ事ができた。この機会自体に感謝したい。なぜなら、どこか外国の大洋や密林地帯の自然破壊を論じるよりはるかに、私という一人の人間と自然の将来的な関わり方について考える事ができたからだ。時に人間の生命をも消し去ることのできる川と共に生きるということは、やはり尊重の気持ちなしには成立しないと思う。人間同士がそうであるように、相手(=川)を尊重して向かいあえば川も決して人間の悲劇の舞台にはならないだろう。この点で、前述した川沿いのゴミを捨てている側の人間に私はなりたい。そして、川にもそうした人々の生活の一部として存在していてもらいたい。

 

参考文献

http://www1.odn.ne.jp/fukadasoft2/renga/around/motoarakawa2/

http://www.town.shiraoka.saitama.jp/key/mo.html

 

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