2003NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I

「川と人間生活」 笛吹川山梨県

             松土友紀

 

 私の居住する町を流れる川に笛吹川がある。山梨県東山梨郡三富村の鶏冠山を源流とする笛吹川は山梨市を経て石和町を横切り、釜無川と合流し富士川となり、静岡県の駿河湾に流れ込んでいる。

 

 私は高校時代の3年間、笛吹川にかかる鵜飼橋を朝夕自転車で渡って通学していた。自転車に乗りながら眺める笛吹川は、登校時は銀色の朝日がまぶしく、下校時は南アルプス連峰の夕陽に染まることが多かった。また両岸の土手には、春には一面名前も知らない花の黄色一色となり、秋には逆光を受けたススキの穂で柔らかな白一色となる。今では花火大会や川中島合戦など大きな行事がこの川で行われ、小さい頃よく親に連れて行ってもらった。最近では鵜飼いも再開され、夜暗くなってから橋を渡ると、鵜飼いを行う人たちの提灯のオレンジ色の光がいくつも揺れ幻想的に感じられる。

 笛吹川を語るとき、過去の水害の話抜きに説明は出来ない。40年ほど前にこの地に温泉が湧いてから観光地として栄え、町は笛吹川を中心として発展していった。穏やかに見える笛吹川も、明治・昭和と何度となく堤防が決壊し多くの住民に被害を与えた。今でこそ上流の村一つを沈めつくられた広瀬ダムを中心とする治水技術の進歩により水害の不安はほとんど無くなったが、川のところどころで水流を制御する「聖牛」という構造物が多数見受けられる。今は石和温泉郷の多くの旅館の華やかなネオンで、水害の歴史は忘れられたかにも見える。他県から訪れる人には笛吹川は単に石和温泉の傍らを流れる川として認識されることが多いかもしれない。しかしながら、私たち河畔に住む人たちの意識の中には広瀬ダムと共に水没した村の悲話や、子供の頃から繰り返し耳にしてきた一つの民話の方が、笛吹川への想いの根幹を成している。

 

笛吹権三郎と笛吹川

 昔、三富村上釜口に小さな小屋をつくり、貧しく暮らす親子がいた。若者の名前は権三郎といい、横笛の名手だった。母親も笛が好きで、孝行者の権三郎は母親を喜ばすために毎日岩の上に立ち、笛を吹いていた。そしてその美しい笛の音はいつしか里人の心をとらえていたのだった。

 ある年、降り続いた大雨は渓流を濁流に変えて荒れ狂い、一瞬のうちに母親と小屋を奪い去ってしまう。母を失った権三郎は嘆き悲しみ、毎夜母の姿を求めて横笛を奏でながら、渓流を上に下にとさまよい歩いた。この笛の音は哀調をおび、里人の涙を誘った。しかし、探し求める母親の姿もついになく、権三郎も疲れ果て、いつしかその渓流に姿を消し、変わり果てた権三郎のなきがらを見つけた村人達は、寺に運び手厚く葬ったのだった。

 それから毎晩、どこからともなく美しい笛の音が川面をわたり、川辺に住む人々に聞こえてくるようになった。このことから、誰いうことなくこの川を笛吹川と呼び、若者権三郎の霊を弔ったということである・・・

 

 笛吹川と人との深い結びつきは今でも続いている。そのおおきな証拠となるのが平成16年に行われる市町村合併にある。私の住む町を含める近隣6町村が合併することになり、新しい市の名前が投票で「笛吹市」に決まり、多くの人達に歓迎されるところとなったのである。町の広報には、「この地域は、笛吹川の恩恵により現在の一大温泉郷、果樹産地として、県内外に広く知られています。幾筋もの流れが合併を契機に大きな流れとなり、山梨県の中心的な存在となるようにその名を高め、大きなうねりとなって大海に飛躍するように願いを込められた名称です。」と書かれている。甲斐国分寺等多くの文化遺産が残るこの地で、また桃源郷として名高いこの地で、甲斐市、桃源市などの多くの候補の中から何の違和感もなく「笛吹」が選ばれた。このことは、知らず知らずのうちに笛吹川が甲府盆地を流れるのと同時に、私たちの心の中を流れていることを物語っているように思われる。

 

 笛吹川は多くの人に愛されている。川沿いにはサイクリングロードが整備され、自転車以外にもジョギングをしたり、犬と散歩したりする人をよく見かける、憩いの場でもある。笛吹川は地域の人々の生活に密着し、なくてはならない要素となっている。私もこの貴重な自然の産物を守っていかなければならない。これからも人々の心の中心となって永く私たちを、そして山梨を潤してほしいと願っている。 

 

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