2003NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I

「川と人間生活」 名もない川は流れる高知県

 

 私が生まれ育ったのは、高知県の春野という町である。春野町は、高知市に隣接しているとは思えないほど豊かな自然にめぐまれており、私の実家の周囲にも山と竹やぶと田んぼがあるばかり。とてものんびりした、農村の小さな集落である。

私の実家の裏には、名前も判然としない小さな谷川が流れている。家から歩いて数分のところにある山から湧き出した水が川になって流れているものらしく、豪雨や台風の後などを除いては、現代の川としてはかなり綺麗なようである。人家にごく近いところで、一部コンクリートで土手を固められている場所もあるが、ほとんど人間に手を加えられることなく自由に流れているという印象を受ける。

雨の降らない季節には半ば干上がったような状態になり、水の音も気にしなければほとんど聞こえないのだが、少しまとまった量の雨が降ると、小さい川であるだけにすぐにどうどうと音を立てて流れ始める。私は夏の夜に聞く「川」の音がとても好きだ。二階にある私の部屋の窓を空けると、谷から湧き出した水がさらさらと流れる音と思い思いに鳴く虫の音が重なって、非常に涼やかなのである。どんなヒーリング・ミュージックのCDでもかなわない音に耳を傾けながら読書などしていると、自分がものすごく恵まれているような気がしてくるから不思議だ。

今やもっぱら遠くにその音を聞くだけになってしまったけれど、幼い頃「川」にはとてもおせわになった。本当に小さな川なので、ほんの小さな子供の頃から何を恐れることもなく水と戯れることができた。あの頃はどんな暑い夏でも触るとびっくりするほど冷たい水をたたえる「川」が不思議でならなかったものだ。しかし私の場合、「川」では遊んだ記憶よりも洗物をした記憶の方が鮮明に残っているように思う。あるときは母と一緒に家族の靴を洗った。祖母の手伝いで、漬物にする大根をたわしでごしごしとこすったこともあった。「川」は私たち家族にとって生活の一部だったのである。

もちろん「川」は常に寛大ではなかった。1998年の秋に発生した高知大豪雨のときには、川がどうしようもないほど膨れ上がった水量に耐えきれず、わたしたちの集落の多くの家で床上浸水に見舞われてしまった。いつもはいたってのんきそうに流れていた「川」がたった一夜にして変貌し、轟々と音を立てて車をも押し流さんばかりの勢いで荒れ狂っている様子は、例えようもなく恐ろしかった。

「川」はほとんどその姿を変えることなくいつもそこにありつづけてきた。祖母が結婚して嫁に来た当時は、「川」から水を汲み、洗濯や風呂の湯などの生活用水にしていたそうだが、見た目はその頃からほとんど変わっていないのだそうだ。しかし私の胸には一抹の不安がよぎる。

実は春野町は未だに下水道の完備がされていない。私の家の周辺も現在に至るまで汚れた水を「川」に流し続けてきているのだ。これはどう考えても環境的に良くないのだが、なまじ「川」がずっと綺麗なままなので、根拠の無い安心感を与えてしまうのだと思う。

この明らかな過信を是正するのは容易なことではないだろう。いくら「上流で流された汚水が下流に流され、やがては海を汚染することになるのだ」と口で説明をしたところで、実際に綺麗な川しか目にすることがない集落のお年よりたちには実感が沸かないに違いない。過疎化が進む高知県の農村においては、子供たちの教育と同じぐらい、お年よりたちに正確な最新の知識を伝えることが重要なのである。例えば、ウォーキングなどのイベントを企画し、川に沿って大人や子供が歩いてみる機会を作るなどして、自分たちの親しんでいる水がどこから来てどこへ行くのかを、実際に目と耳と体で実感してもらってはどうだろうか?下水を通す予算はないかもしれないが、個人も団体も一歩を踏み出すところから始めなければならないのだ。

インドのガンジスのように人々に崇拝されているわけでもなければ、清流四万十のようにすばらしく清んでいるわけでもない。けれど「川」は私を含む多くの人々にとってかけがえの無いものであり、守られるべき存在であることは疑いようも無い。台風の季節には人々をおろおろさせ、また一方では真夏の太陽の下で子供たちの相手をしてきらめき遊ぶ、〜私は「川」がいつまでもそんな存在であることを願っている。

 

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