2003NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I
「川と人間生活」 宇治川(京都府)
石河貴行
1) 取り上げた川
今回取り上げた川は、京都を流れる宇治川という川である。
(2) 現在の宇治川の姿
現在の宇治川(今回取り上げたのは宇治川の中でも観月橋という橋がかかっている場所が中心である)の姿は、川の両側の土手はコンクリートで舗装された道で、堤防は7〜10メートルもの高さまでコンクリートで固められている。そして、堤防から川へ下りる道はコンクリートの階段になっていて、土や草は川辺から1〜2メートルほどの間に生えているだけで、夏でもとても草木が生い茂っている景色が見られないような様子になっている。さらに堤防と川の間の比較的平らな土地は、五年ほど前まではグラウンドや空き地になっていて、ほとんど人の手が加えられていなかったが、現在は手入れの行き届いた公園や広場になっている場所が多い。
(3) 私と宇治川の関わり
宇治川は私の母の実家のすぐそばにあり、私が春休み、夏休みと、実家に帰るたびに必ず遊んでいた川だ。幼少のころを香港というビルに囲まれ、身近に川を感じることの出来ない環境で育った私にとって、宇治川が唯一自然の川とふれあえる川だったのである。その川で私は小さい頃、従兄に連れられて毎年夏休みは欠かさず釣りに行っていた。私たちが行っていた場所は、観月橋という大きな橋のすぐ下で、川幅は約20メートル、川の中央では流れが速く、深さも実際に調べたのでないのではっきりとは分からないが、中央部で3メートルはあったのではないかと思う。私はこの川では一度も泳いだことはなく、もっぱら釣りばかりしていた。川岸にはいつも屋台舟のような小舟がとまっており、その舟にのって釣竿を遠くまで投げ、ブラックバスや小さな魚などを釣っていた。また一度釣りをしているときに、川を泳いでいるヘビの姿を見たことがある。従兄に聞くとそれはマムシであったそうだ。私はこのとき、泳いでいる蛇の姿というものを始めてみたし、なによりマムシがこんなに身近にいるということに驚いた。たしかに住宅地からは少し離れ、川岸には草が茂ってはいるが、コンクリートの堤防や、ちょっとしたがけの部分がコンクリートで固められ、自然のままの姿とはいえない川に、自然の光景が残っていることに驚いた。
(4) 20〜30年前の宇治川の姿
私は従兄とその父親に宇治川の20〜30年前の様子を聞いてみた。すると、昔は今のようにブラックバスやブルーギルのような外来魚ではなく、なまずやふな、さらには“あゆもどき”という天然記念物まで宇治川を泳いでいたという。そしてそれらの魚を釣ろうとする子供や父親が夏にはたくさん川に遊びに来ていて今よりもずっと活気があふれていたそうだ。川辺にはヘビやトンボ、ハチやカエルなどの様々な動物、昆虫などの生物が生息しており、今ではコンクリートで固められ、舗装された土手や堤防も、むかしは土や草木が生い茂る自然そのままの姿であったそうだ。またそのころは今よりずっと川の水がきれいで、川で泳ぐ子供達の姿が頻繁に見られたそうだ。実際に従兄やその父親もその川で泳いでいたらしい。そして魚の数も種類も今よりもずっと多く、釣りをしていても今よりもいろいろな魚が取れるので釣りをするのがすごく楽しかったそうだ。従兄が言うには、今は釣りをしていてもブルーギルかブラックバスくらいしか釣れないので面白みがなくなってしまったのだそうだ。しかし、20〜30年ほど前の宇治川はよく洪水になっていたという。堤防が今よりも高くなかったため、台風などで大雨がふると水量が増え、堤防を越えて氾濫していたらしい。そのために今のように堤防がコンクリートで固められ、高くされる必要があったのだそうだ。
(5) Web-pageにある宇治川
ウ)宇治川の洪水と治水対策
宇治川流域は、 上流に行くに従って地盤が低くなる低奥型地形で、 川の勾配が大変緩いため、 水がはけにくい地形となっている。そのため、 毎年のように浸水被害を受けており、 地域住民の方々は大雨のたびに洪水を恐れなければならない状況になっている。多いときは昭和50年に2,724件の家が浸水の被害にあい、最近でも平成11年に125件が被害にあうなど、宇治川の洪水は現在でも深刻な問題なのだ。このため、流域関係諸機関(国土交通省、高知県、伊野町)によって総合的な治水対策が実施されている。国土交通省では、宇治川床上対策特別緊急事業により、河道の整備、宇治川排水機場の整備、新宇治川放水路の整備を進めていて、現在までに排水機場の増設が完了し、河道の整備もすでに出来上がっている。今後は新宇治川放水路の建設が課題となっている。「宇治川床上浸水対策特別緊急事業」で、 放水路の施設と排水機場の増設及び河道整備が完成する事により、 現在、 町が整備中の雨水排水施設 等の効率的な排水と相まって、浸水被害は軽減、 解消されると予想されている。
エ)川辺の親水広場作り
平野橋という橋の付近では、河川の環境整備が進められており、1997年の8月20日には直接水に親しめる親水広場が完成し、広く市民開放されるようになっている。これからこの広場は、その南側にすでに作られている宇治川公園とともに、市民の安らぎの場として親しまれていくであろう。これらを始めとし、数年前から宇治川では市民が気軽に川に遊びに来られるようにと、川辺に親水広場や、公園などを作る工事が行われている。
(6) 私が望む宇治川の姿
私は今回、現在の宇治川の姿と、20〜30年前の宇治川の姿を調べてみて思ったことがある。それは、川を人間が生活しやすいように整備することと、人間が川で楽しく遊ぶことは両立できないのだろうか、ということだ。昔は堤防や土手もコンクリートで固められておらず、自然のままの姿であったため川にすむ生物も多く、それを求めて遊びに来る子供も多かった。しかし自然のままであるがゆえに洪水などの自然災害も多かった。ところが今は、その自然災害を防ごうと川を整備し、人間が生活しやすいように変えた。そのおかげで洪水は起こりにくくなくなったが、人間が手を加えたことにより川にすむ生物は減り、水は汚れ、そこで遊ぶ子供達もいなくなってしまった。私はこの問題は宇治川に限ったことではないように思う。多くの川が宇治川と同じ様な問題を抱えているように思う。宇治川はこの問題に対して、(5)で例を挙げたように、川辺に公園や広場を作ることによって人々を再び川に呼び戻そうとしている。しかし私は、作られた公園、広場では人々は戻ってこないように思う。やはり人、特に子供は川に、生物とじかに触れ合える喜びと、なにが起こるかわからないワクワク感と、新しいことに出会える楽しさを求めてやってくるのだ。提供された公園、広場には人は魅力を感じないのだ。私は宇治川に、人々が自然と集まるような川でいて欲しい。なので、川辺に公園や広場を作るようなその場しのぎの方法ではなくて、まず川の水をきれいにし、魚を昔のように戻すことをはじめ、自然の風景を台無しにしているコンクリートの堤防や階段をやめて、自然に溶け込むような風景作りを心がけ、自然があふれる川作りをやるべきだと思っている。それが人々を川に呼び戻す最良の策であろう。私には今宇治川が寂しくて泣いているように感じられる。川で遊ぶ人もほとんどいなくなり、水も汚れるし、魚も生き物達もいなくなるし・・・。今、人間は川を制御しながら同時に川を自然の姿に戻す技術を手に入れたと思っている。あとはそれを実行にうつすことであろう。それが出来たとき、今までになかった、人間が川を制御することと、人間が川で楽しく遊ぶことの両立が可能になるのだ。私は、この新しい川と人間の関係というのを、一刻も早く宇治川に築いて欲しいと願っている。