2003NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I

「川と人間生活」 長良川(岐阜県

 

生まれ故郷と川

私の地元は岐阜県である。小さい頃から父の仕事の関係で県内のあちこちに住む経験があったこと、父母の両親がともに岐阜県に住んでいることなどから、県内を色々見て回る機会が非常に多かった。そんななかでやはり思い出されるのは、どこにいっても家の側を川が必ずといっていいほど流れていたことである。そんな中でも、高校の三年間、一番身近にあった長良川について考えてみようと思う。

 

長良川のある生活

 我が家は、私の中学校卒業、弟の小学校卒業、妹の小学校入学を機に岐阜県本巣郡穂積町から岐阜市東島に引っ越した。この時に始めて長良川の側で生活することになったのだが、実は長良川との付き合いはこの時から始まったわけではないのである。長良川は木曽川、揖斐川と並んで日本有数の大河であり、当然それまでの暮らしの中でも密接に関わってきた。以下にはまず私と川の関わりについて述べたい。

 

私たちの生活の中に

 まず長良川といえば、清流、淡水魚の宝庫という言葉が思いつくように、その水の豊富さ、美しさをあげることができる。全国的にダムが干上がってしまい深刻な水不足になったときも、岐阜は長良川を始めとする豊かな水源のおかげで、一度も給水に制限がかかることはなかった。また、長良川といえばなんといっても、鮎が絶品である。長良川の鵜飼ももちろんそうだが、独特の鮎釣りの方法もまたユニークである。私自身も、小学生の頃、父と一緒にやったことがあるのだが、雄の鮎の縄張り意識を利用して、針をたらしたおとりとなる鮎と縄張りを守ろうとする雄を戦わせるのである。うまくいけば、最初の一匹のおとりだけで何匹も鮎が釣れるのである。これは非常にわくわくする経験だった。また、もうひとつ小学校の時の思い出として強く残っているのは、渡し舟に乗ったこと、そして写生大会で川原の牧草地に放牧してある牛の絵を描いて銅賞をもらったことである。渡し舟は長良川の左岸と右岸を結ぶもので、昔は交通手段のひとつとしてずいぶん発展したものであった。見た目は細長い、ちょっと汚い感じの舟なのだが、船頭さんと子供10人くらいが乗れ、水面に今にも沈んでしまいそうな様子で進んでいくのである。船頭さんが棒のようなもので押しながら進むという昔ながらのスタイルで、子供心に遊園地の乗り物に乗っているかのように感じた。しかし、高校時代、放送部に所属していた私は、この渡し舟を今度は乗るのではなく、取材するという立場に立った。そこで聞かれたのは、船頭の後継者がいないこと、ほかの交通機関の発達による乗客の激減など、非常に厳しい現実だった。渡し舟は「水の町長良川」とともに発展してきたのに、時代の波に飲まれて消えつつあるというのは、仕方のないことなのかと思う反面、やはり寂しいことだと思った。

以上のようなことが非常に大まかではあるが私と長良川の思い出ともいうべきものである。そのほかにもバーベキューをした、花火をした、水切りをしにいったなど細かいことを上げるときりがないが、こうしてみると、本当に小さい頃から様々な形でこの川と触れ合ってきたんだということを思い知らされる。そして、私が岐阜に故郷を持ち続ける限り、その関係はさらに広がりを見せるのではないかと感じる。

 

今の長良川

 ではつぎに、今現在長良川とはいったいどのようなものであるか、私が見たものを描写していきたいと思う。またあとから高校時代の四季の変化の中で見た長良川の様子と言うものも補足的にいれてみたい。

 家を出て5分ほどいくと、そこには2階建ての家よりも高い堤防があり、その上を道路が走っている。そこを乗り越え、そしてさらにもうひとつ上にある堤防をのりこえると眼前には長良川の雄大な流れが広がる。この日は前日に雨なども降っていなかったので、川は非常に穏やかに流れていた。しかし、それはあくまで荒れている時の長良川と比べてということであって、他の小さな川と比べれば、流れも急だし、飲み込まれたら冬のこの寒さの中で瞬く間に溺れて、下流に流されてしまうだろう。堤防をくだってさらに川原に近づいていくと、その足元はコンクリートできれいに補正されている。もちろん、長良川の全長は非常に長いので、数百メートル上流に行けば、芝生と花壇で補整されたサイクリングコースになっているし、下流に行けば草が覆い茂っている。逆に対岸なんかは、すぐ川べりまで降りていけるようになっているなどその様子は私の住む地域だけ見ても非常に多様である。しかし共通していえるのは、他の川と比べて、非常に堤防が高いということだと思う。以前、多摩川の様子をテレビで見たが同じ川でもずいぶんと整備のされ方が違うなという風に感じた。長良川をテレビで中継する時あきらかに堤防などの高いところから、見下ろすと言う感じがあったのに対し、多摩川は川と同じ高さで人々が暮らしていると感じた。それにはやはりその川の持つ歴史、川の性質というのが非常に大きく関わってくるのかなと感じた。この川の歴史と言うのはのちほどWeb-pageについてのところでもう少し詳しく述べたいと思う。

さて、川に近寄れるぎりぎりのところ(といっても、その距離は数十メートルはあるように思うが)までいき、川を観察してみると、その色は少しにごっているようにも思ったが、もともと流れの激しい川なので、水そのものの汚れではないと信じたい。しかし、あたりを見回してみると、空き缶や使い終わった花火のようなものが少しではあったが目に付いた。長良川を利用する人も多い分、モラルの低下が見られるというのも悲しいが現実なのかなと感じた。私がいったこの日は冬のしかも、年末の時期だったので人影はなかったが、普段なら夕方ちょっと散歩にでると、ジョギングをする人、散歩をする人と必ずすれ違う。次にここでは、今回は見ることができなかったが他の季節にみられる特徴なんかを挙げてみたいと思う。

 

今の長良側―番外編―

 春の長良川というのは、ぽかぽかとお日様にあたりながら散歩をするには非常に最適なコースである。特に少し下流に行くと一面菜の花畑というところがある。そこで撮った私の写真が今でもアルバムのなかにあるのだが、ほんとうに黄色一色になるのである。

これは本当にきれいである。次に夏の長良川、鵜飼のシーズンも本番を向かえ、長良川の河川敷に生える草木も青々としている。特に私が好きなのは、日本晴れのような天気のいい日に私の自宅側から見る堤防と空である。堤防は一面草の海のごとく風にたなびき、少し上を見るとそこには真っ青な空が広がっているのである。車が堤防の上を通らなければ、その緑と青のコントラストが、本当に美しく映画や写真の被写体としても使えるのではないかと思えるほどである。そして秋の長良川、この時期の長良川で一番といえばやはり堤防からみる夕日ではないだろうか。高い堤防に上がれば、視界を邪魔される建物はほとんどなく、夕日が伊吹山に沈むところをこの目でしっかりとみることができるのである。入学当初、ICUは本当に自然のいっぱいある美しい学校だと感動したが、唯一夕日が地平線に沈んでいくのが見えないというのが少しがっかり感じたことを覚えている。このように長良川は季節によってほんとうに様々な表情を見せてくれる川なのである。

 

20−30年前の川の様子

 次に20−30年前の川の様子を両親に聞いたのだが、残念ながら両親ともにはっきりとした返答を得ることができなかった。二人とも出身は県内の別のところ、長良川の側に住み始めたのもほぼ私と同じくらいということで、あまり昔の長良川の様子を覚えてはいないということだった。ただ母からのアドバイスとして木曽三川についてHPにいけば何か情報があるかもということだった。以下のWeb-pageについてのところでこれについてもあわせて述べたい。

 

Web-page

 長良川と検索エンジンに入れて調べると膨大な数の情報がでてくる。もちろん地元の人が長良川の魅力について紹介しているものが多かったが、その中でもとくに目立っていたのが長良川河口堰に関してのページだった。1995年に完成したこの河口堰は洪水や塩害に備えて作られた川のダムのようなもので、それまで自然に任せていた川の流れを水門によって調整しようというものであった。しかし、この問題は今でも根深く、賛成派と反対派の確執は続いている。賛成側の政府は、水害対策にぜひとも必要だし、淡水魚やほかの生物に配慮して魚道を作ってるから、環境にも影響はないという主張をしているが、漁業組合の方や地元住民を中心とした反対派は、川の流れをせき止めることで逆に水害の危険性が高くなるし、利水も今のままで十分だ。むしろ、水質が悪化して、タニシや川魚が取れなくなったという批判をしている。私個人の意見としては、やはり河口堰ができてからの長良川というのは、やはり以前のような自然の宝庫とはいいがたいものになってしまったように思う。さらに、今年の暮れに、長良川の河口にある千本松原という松の自生地域で松が病気にどんどんやられ、枯れていっており、その原因として河口堰が考えられるという記事を見て、非常にショックを受けた。長良川の水害の歴史、鹿児島との交流の証でもあるあの千本松原がなくなりかけているというニュースは、やはり河口堰の存在意義を疑いたくなった。とりあえず、作ってしまえという日本の行政のやり方をあらためて考えさせる問題であり、今日の日本道路公団の問題とも共通性があるのではないかと思う。

 

長良川の存在

 では、長良川が私にとってどんな存在であってほしいか。一言でいえば、私たちの生活を守り続ける存在であってほしいと思う。しかしそれは同時に、私たちが長良川の自然を守っていかなければならないということである。河口堰問題や私たちの生活体系の急激な変化によってものすごく大きな負担を長良川は感じているはずである。「日本有数の大河」というそのパワーに私たちが頼り切って、問題をほったらかしにしていけば、いつかそのつけはまわってくるように思う。現実に長良川に生息する動植物には変化が現れ、水質も悪くなっているとうデータもある。長良川がその生命力によってなんとか耐えている時に、なんとかしなくてはいけない問題である。見た目の雄大さ・美しさに隠れた川の真の姿を見つめ、なくてはならないこの長良川を自分たちの孫やひ孫そのまたずっと先の世代にまで残していかなければならない。 

 

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