境川(千 葉県浦安市)

 

 

Q1. 境川(千 葉県浦安市)

 

Q2. 添付した写真資料の通り、現在川の水量が激減し、 地域の漁業関係者も漁業権を放棄したせいか、ごく一部の地域住民が東京湾岸の江戸前鮨に利用するアナゴ、アオヤギ、アサリを採取している状況である。

 

Q3. 私が浦安市民であったのは、0歳〜13歳までの幼 稚園、小学校、中学2年の途中までである。当時の浦安市は現在もそうだが、埋め立てによる新市街地と、添付した写真資料に見られる旧市街地にはっきりと区 分けされていた。私のような新市街地の住民は、地域の歴史を学ぶ過程で度々旧市街地へ社会科見学に行った。その中で一番印象に残っているのが小学生の時に クラスのメンバーでいくつかの舟に分かれて東京湾の方面へ向かって境川の歴史などを元漁師の方から聞いたことだ。その舟の上でアサリの味噌汁をご馳走に なったのだが、その時の味は今まで食べた中で一番美味しかったことをよく覚えている。アサリの殻はそのまま川に捨てることでプランクトン等の生き物に栄養 を与える役割を果たすと聞いたときは、本当に自然は無駄の無いサイクルでまわっていることを実感した。写真資料の中の貝を取る道具(現地の人はヨツと呼ん でいた)で採取したアオヤギの貝剥き体験、浦安ではべか舟と呼ばれている和舟(日本在来の形式の木造船)に乗船するなど、子供時代の体験によって昔から受 け継がれてきた生活様式を実際に垣間見て、自分の生まれ育った土地の歴史を再考することが出来た。個人的な感想だが、和舟は手漕ぎの舟のため静かだった が、櫂を漕ぐ動きに合わせて舟が左右に結構揺れた。木製の船着場に上がり川面を間近に見ると、川の中の様子もよく分かり、また、海苔すき体験は小学生の児 童にとっては普段食べるものが作られる過程を見ることが出来る非常に面白いもののひとつだと思った。

 

Q4. 30年前の浦安市は、東京メトロ東西線が開通して 数年経過した時期で、陸の孤島のような状態から脱却し、ものすごい勢いで東京湾の埋め立てが行われていた。Q2で 述べたように、現地の漁民は漁業権を放棄する代わりに新市街地の埋め立て地を等価交換で譲り受け、御殿を建てたそうだ。この埋め立て事業により最も世間に 知られている都市開発として、オリエンタルランド社による東京ディズニーランドの建設がある。実際、この開発プロジェクトに境川は全く寄与していない。殆 どの建築資材は隣接する鉄鋼団地(当時から浦安市は住宅地と準工業地をはっきりと区分けしていた)および、東京湾から大型貨物運搬船にて搬入していた。

 

Q5. 以下の2枚の写真は現在の境川とその周辺の様子。http://blog.livedoor.jp/feidkvm/archives/18122197.htmlこ の筆者は境川周辺の舗装等が少々懲りすぎているのではないか、また、どれだけ日常的に親しまれるかが大切だと指摘している。添付資料の昔の写真と 比べてみると道路もコンクリートで新たに舗装されていて、“昔ながら”の雰囲気はどことなく消

えてしまったような感じがする。やはり従来の景色を 保持するのは難しいようだ。2002年度には教育委員会が「総合学習」を取り入れ、水文化について学ぶという取り組みが行われている。暗きょになってし まった昔の小川などを復活させるには、川や清流への意識が復活し、その流れの20fa3d6f.jpg必要性が

復元されるか新たに形成されることが重要である。今 生きている人間のためだけではなく、未来世代のために復活させようとすることが肝要だ。神戸の震災の時のように飲み水として使用されるかもしれないし、様 々なことを視野に入れて環境保全の指標とすることが出来るのではないだろうか。bec59795.jpg

Q6. 私は生まれ育った場所が浦安であり、ずっと境川と 共に暮らしてきた。当時は旧市街地ならではの風景が残されていて、浦安の地域住民の生活を肌で感じることが出来たが、現在では失われつつある。川と共に暮 らしていく上で顧慮しなければいけない3つの要点を以下に述べる。1.子供時代が大切であるということ。自分の子供や孫が川で遊ぶことを考えれば空き缶や 空き瓶も捨てられないし、魚もいてほしいと思う。多様な生物がいて、豊かな環境があれば子供たちは楽しく遊ぶことが出来るので、子供時代に身につく生活感 が重要である。2.文明と文化のバランスを考える。文化とは自然との対話の中で何百年、あるいは何千年という中で出来上がってきている。文明と文化が合わ さって初めて私達の暮らしは成り立っているのだから、両方のバランスをとって考えていかなければならない。3.社会としての安全性を考慮する。現代は文明 が発展した為に電気がひとつ無くなっただけで蛇口をひねっても水が出ないし、トイレも使えない危険に対して弱い社会になってきてしまっている。そのような 時に文化として蓄積してきた多様な選択の幅を引き出して次の時代の安全を守る予防的な文化を継承していくことが大切である。

 また、地域に根付いた水文化の形成も水と関わって いく上で忘れてはならな点である。インドのバンガロールというところでは上水道やトイレが無く、農地としての土地はほとんどそのままの自然地が残されてい る。家の中にはもちろんトイレは無いので外で用を足し、昆虫や地中のバクテリアが分解していくという還元の仕組みが自然に行われている。そういう場所で暮 らす人々の実態と価値観を考えると、私達が日本で言う「水」の感覚とは違うものが感じられる。ここに住む人々は自分たちの生活環境が欧米の社会から見ると 劣悪だと言われていて、海外から支援をする為に来たNGOODAの 人たちに女性は家族の中で非常に抑圧されていて、暴力も受けているのになぜ発言しないのか、と問い正され今まで気付かなかった事に気付き、自給自足の為の 野菜作りなどを始めている。そのついでに「水の使い方やトイレの扱い方も違うのではないか」と指摘される。しかし、そこに住む人々は何千年とやってきたこ とを違うと言われるので戸惑ってしまう。これは一種の文明という観点から何かを押し付けられていることを示している。

 実際に生活の中で必要なことは、各々の地域の生態 系の中でうまく調和して何千年もやってきたエコロジカルシステムがその地域の水文化だと思う。今では助成金を出している団体も自分たちの基金はその地域の 人々の生活を変えることを強いてきてしまったのではないかという見方も出てきている。水を活かした環境を作るということは必ずしも文明に沿うことではない のかもしれない。科学技術の発達がどの程度の弊害を引き起こすか分からない現代は、過去の経験を活かし、地域の状況を少しでも反映した新たな人類生存のた めの条件を考える、という発想の転換が必要なのではないかと思う。

<まとめ>

 現在の境川は幸せとまでは言えないが、泣いてはい ないと思う。そして、見捨てられてもいないしどちらかと言うと愛されていると思う。決して自然に近い形には置かれていないが、それは昨今の異常気象等によ る水量の異常増加などで氾濫したことを想定した場合、治水の面での管理が問われる。また、山本周五郎原作「青べか物語り」に書き記されている浦安市旧市街 地の昭和30年代までの原風景の保全をどこで線引きするかが行政サイドの歴史にのっとりつつも、将来性を見据えた都市計画が要求されるし、市民の側にも境 川と市民生活の見地に立った見識が問われるように思う。 

 

参考文献:日本の水文化  三和総合研究所編、ミネ ルヴァ書房

     「川」が語る東京  東京の川研究会、山 川出版社

     川  財団法人リバーフロント整備セン ター編集、山海堂

     イミダス2006  集英社