多摩川(東京都)

 

 私の住んでいる近くに流れている川は多摩川です。学校に行く途中の電車から見ると少し濁っていて近づいてみるとゴミも散らばっていました。下流なので流れはゆったり流れていました。この川の状態から個人の川への意識が薄いことを示しています。川の回りの風景にはすぐそばに道路があり住宅がたちならんでいます。匂いは無臭に近かったですが、かすかにごみの匂いが漂っていました。自然に近い形に置かれているよりも、単に汚染されて放置されている川と表現できます。川は底などまったくみえなくて魚などは見る限りではいなかったです。小学生のころに家族で川ぞいにそってサイクリングをしました。春だったので川から流れてくる空気の気持ちよさと川と桜の景色に感銘をうけました。しかし川は決して透き通って透明な川とは言い表せませんでした。足だけを川に入れて弟と遊んだときに川の下に沈んでいたゴミにつまずいてしまったのを覚えています。高校1年の夏休みには花火を川の近くでしました。川には入ったりはしなかったですが、川の近くまでいき手を川に入れて暑さから一瞬の心地よさを手のぬくもりに感じました。しかし川は透き通っている自然という言葉からはかけ離れている景色でした。両親に20年前の川の様子を聞いたら、今よりさらに汚れていて高度経済成長により生活排水の汚れで一部は洗剤の泡に覆われた時期もあったと言います。またまるで死の川で、魚も少なく汚染されているようだったとも言います。そして川の近くまで散歩にいくとよく中学生ぐらいの子が川にペットボトルを飛ばして遊んでいたと言います。しかし現在は少しずつ改善されていて20年前よりは川が元気を取り戻していると述べました。

 

 多摩川についてのWeb pageを検索したら、多摩川の特徴、歴史、生態系、多摩川流域の土地利用、汚染問題が載っていました。多摩川は延長138H、水源の標高1240m、水源は山梨県甲州市笠取山です。古くから洪水が絶えず「あばれ川」と呼ばれ、そのため氾濫のたびに流路が変わり、それによって村が分断された地区が数多くあり、川の両岸に同じ名の地区があります。現在のような流路に近くなったのは1590年の大洪水のためといわれます。戦国時代に徳川家康は、多摩川の下流の水で稲の生産を拡大するため、1597年、灌漑用水路の建設に着手し、それまで水利が芳しくなかった多摩川下流の低地・台地に豊富な農業用水をもたらしました。そして米の生産量が増大し、後の江戸幕府の生活を支えました。生態系は、中下流部では、かつてはオシドリやキジ、コハクチョウなども多く生息していました。 近年は、都市部の環境にも適応したカルガモやメジロ、シジュウカラ、ハクセキレイなどが増加傾向にあり、カワセミも安定して観察されています。また冬鳥ではユリカモメやオナガガモなども増加しています。土地利用については東京都市圏への発展した都市化の影響を受け大きく変化し、現在も変貌しつつあります。移りゆく土地利用を見てみると、明治時代後期の市街地面積は流域の約4.3%にしか過ぎませんが、昭和47年(1972)頃には流域の約1/4(25.2%)にも達しています。またこの市街地の増加傾向は現在でも続いています。流域の市街地化の動向を年代別に見てみると、下流部に市街地が広がり始め、京浜工業地帯の連続的な市街地の発達が見られるのが大正後期から昭和初期にかけてです。特に1955年頃は、下流部と武蔵野台地の市街地化が著しくなります。また、下流部と武蔵野台地は昭和47年頃にはほぼ完全に市街地となって、さらに多摩川を越えて、多摩ニュータウンなどの建築による多摩丘陵の市街地が拡大しています。このように、下流から徐々に中流部の台地・丘陵へと都心を中心に流域の土地利用は拡大してきました。川の汚染問題は明治以降、建築物にコンクリートが使われるようになり、多摩川はその原材料のひとつである砂利の産地として注目されるようになってからです。過剰な砂利の採掘により河床が低くなり、農業用水が取れなくなり、潮位によっては河口の水が逆流し農業用水や水道原水に流入するといった被害が続出する環境問題に発展しました。さらに沿川の急激な都市化によって生活排水の流入、また宅地開発に伴う森林破壊による水源枯渇により多摩川の水は著しく汚染され、水道原水として利用不能になってしまいました。さらに農業用水路が埋められ、衛生状態が悪化するという事態に陥りました。しかし1980年代より整備が始まった沿川での下水道が普及するに伴い水質汚染は徐々に緩和し、また宿河原堰などへの魚道設置といった工夫をし、現在は再びアユが遡上しはじめ、子アジサシなどの生活を支えるまでに回復してきています。

 

 川にはいつも美しい存在であって欲しいと思います。美しい川というのは、完璧に管理されるのではなく、一人一人が川の潜在的な癒しの効果を自覚し、これ以上汚してはならないという強い意志をもって川のために取り組むことだと思います。つまり完璧に管理されるという人工的な川の整備では一部の自治体だけが川に目を向けるので川の直接的な汚染の問題の解決にはなりません。川への一人一人の意識が一番不可欠です。それによりはじめて「美しい川」が作りあげられていきます。近年、川への浄化対策がおこなわれているといっても結局一部の人間の行動であって他の人の無関心さがあらわになっていると思います。その原因として人々と川のふれあいの減少があげられると思います。子供は家の中でゲームをして身近な自然との距離をますます広げ大人は窮屈な毎日を送っています。技術が進歩すればするほど人間は無意識的に川という自然を隔離しつつあります。要するに川の汚染はまるで現代社会の流れも象徴している気がします。都会の子供は川の遊びなどまったく知らない今、いくら教科書や先生から自然は大切だと聞かされても実感が湧かないので川の本質的な重要性が失われつつあります。現代の川の光景で目に浮かぶのはゴミが浮いてにごっている川です。この光景を当たり前と認識してしまうともうその先には進めません。川は自然の変化の大きな象徴であり、われわれは受身的に川を眺めているだけでは川がほんとうに美しくはなれません。人間と川の関係性が軽薄という自覚を持ち実践的かつ具体的に行動を起こすことが必要です。川が家の近くに流れていたら少し目を向けたり、ゴミを放り投げないという小さな目標でも個人が築き上げるだけで大きな一歩につながります。きっと川の幸せとは、水がすきとおっていて魚が安心して生息でき、人間にとっても心のふれあいの場であることだと思います。当たり前にそばを流れている川だけど、自分が疲れたとき、ふと川を見て心がやすまるような存在であって欲しいです。    

 

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