私は、幼い頃に近くを流れていた川として、多摩川について書きたいと思う。大学進学と共に引越をしたので、もう3年近く訪れていないが、このレポートを書くにあたって、何年かぶりに多摩川に足を運んでみた。バイクで河岸の風を切るのは気持ちが良い。
数年ぶりに多摩川を訪れて私は驚いた。とてもきれいなのである。もちろん、田舎の山谷あるところの川とまではいかないのだが、私が知っていた多摩川とはだいぶ違う。川の水も、飲みたいとまでは思えないものの、比較的きれいである。小さいころに思っていたよりも、だいぶ細く感じるが、それは私が大きくなったからというだけでなく、昔よりもいっそうよく整備されたりして、水のドロッとした感じや浮いていたゴミなどがなくなってさらさらとスムーズな流れになったため、目障りなところがなくなって幾分コンパクトに見せているのかもしれない。釣りをしている人も以前より増えたように感じる。また、河川敷はグランドやサイクリングコースが整備されていて、きれいな河川敷公園に変貌している。季節的に、今が冬だからというせいもあるだろうが、花火はもちろんのこと、バーベキューのような集まりの後のゴミもない。きれいである。
小さいころは電車で陸橋を通って、陸橋の上から多摩川を見るのが楽しみだった。川の流れを眺めたり、バーベキューしている人を眺めたり、釣りをしている人を眺めたり。しかし、多摩川は私の知っている川の中でもっとも、圧倒的に大きなもので、その流れは、小さいころの私にとってはあまりに力強く、ときに恐ろしくさえも感じた。親から昔の多摩川の様子を聞いていてこともあり、雨が降ったら、氾濫するものだと思っていたのである。学校の授業で、石を集めに行ったこともある。小さくてきれいな形の石を集めたり、1キロぐらいもありそうな自分の顔と同じくらいの石がとても美しい楕円形をしていて表面も滑らかだったので、これで顔を作るのだ!と持ち帰り、母や友達のお母様方に驚かれたりした。
中学生になると子供たちだけで河川敷で遊ぶようになり、石の三段投げを競い合ったりした。この頃は依然として川が大きく恐ろしく感じていたので、ひざまででさえも入ることはなく、ちょっと川の水を手ですくうくらいであった。
高校生になると、焼き芋大会や花火大会をして夜中まで河川敷に集まるようになった。度胸試しで、夜中の星明りだけの河川敷で「グリコ」(じゃんけんゲーム)などをして、みんな進めるところまで河に向かって進んで行ったりもした。悪ふざけが盛んなころだったので、夜中足元がよく見えず、深さもまったくわからない中、我1番!と進んで急流の中に入っていった。度胸試しなので、みな、膝より浸かってもやめようとしない。今考えると、河の恐ろしさも知らずに、なんとも危険なことをしていたと思う。しかし、ジャボジャボと入って行く河の水は真夏でもとても冷たくて、気持ちが良く、なんだか開放されたような清々しい感触を今でもくっきり覚えている。
私が子供の頃にはすでに川の水に入って遊べるくらいはきれいであったが、母が小さい頃には、生活排水や工場排水で汚れていて、水面にはたくさんの泡が浮いていたそうだ。悪臭も漂い、入って遊ぶことはおろか、眺めていても良いものではなかったそうだ。また、きちんと整備されていないために、台風などのたびによく氾濫したそうだ。そのせいで学校が休みになることもあったそうである。多摩川で釣った魚を食べるなんて考えもしなかったであろう。
余談ではあるが、祖父が幼かった頃にはまだ多摩川はきれいで、よく友達と泳ぎにいったそうである。
母が幼いときの汚い多摩川が、なぜ祖父が幼かった頃のようにまたきれいな多摩川に戻っていったか。Webページで見てみると、そのための多大なる努力がわかる。
先に述べたように、多摩川は、元々はきれいな川であった。もちろん、はじめからゴミが浮いた川などないのだが、とにかく、母が育った1960〜70年代は高度成長期で、多摩川は今では考えられないほど汚い川「死の川」になってしまっていた。東京都が下水を東京湾に運ぶために多摩川を利用したりしたためである。また、私たちの環境に対する意識も低かった。それが最近、環境への意識の高まりなどもあって、2000年になると、川崎市の呼びかけにより「多摩川河川敷美化運動」が行われた。参加者たちはペットボトルやタバコの吸殻の多さに圧倒されたそうだ。そしてついに、鮎や鮭、手長エビやウナギといった生き物たちが見られるまでになったのである。
多摩川は、一度はみなに見捨てられたように思う。見捨てられたというよりは、私たちがきちんと接しないと汚くなってしまうことを、なぜか、人間は気づかなかったようである。しかし、こうして今、多くの人々が多摩川を思い、ボランティアとしてゴミ拾いをしたり、河川敷をきれいに整備したりして、多摩川をきれいにしようと努力している。これからは、こうしたボランティアだけに任せるのではなく、ボランティアがわざわざ集まってゴミ拾いをしたりしなくてもすむように、ひとりひとりがきちんと自覚を持ってほしいと思う。私も高校生のときには騒ぐだけ騒いで、土の中に花火を埋めて帰ったりしたこともある。でも、やがて年を重ねるごとに、きちんとゴミを持ち帰るようになった。私はこの川で自然を学び、マナーを学び、成長してきたように思う。多摩川は、私たちの後の世代も自然やマナーを学べるような場であってほしいし、また、私たちが楽しく集える場であったり、心休まったりする場であったりしてほしい。多摩川が、私たちの生活と心に深く根ざし、ともに時を刻んでいける存在であってほしいと思う。