1)今回取り上げた川
東京と神奈川の周辺に流れる多摩川である。
2)川の様子
わたしは立川周辺に住んでおり、小学校から高校まで通っていた学校が多摩川から歩いて7分くらいのところを流れていた。 私がよく遊びに行った川の周辺には植物が多く生えており、いつも、とりのさえずりが聞こえる場所である。多摩川の上流は比較的急流なのだが、学校の近くの多摩川は中流の近くにあるため、川の流れはそれほど急ではない。私の学校側には高くて細い堤防が4キロメートルほどあり、そこにはコンクリートがしかれ、近所の人が犬と散歩したり、ジョギングしたりしているところを多く見かけることができる。川の幅は約80〜100メートルあり、その川の幅の約3分の2を高さ6メートル・幅約10メートルほどのコンクリートの堰がさえぎっているところがある。その延長で、堤防から下った川辺にはコンクリートがところどころにしかれている。また、対岸は土地が高いため、あまり高い堤防はなく、すぐ近くに畑があり、川から直線で1キロメートルほどのところに低い山がいくつか連なっている。
3)わたしと多摩川のかかわり
私とこの川との出会いは6歳で小中高校がある一貫校に入学した頃にさかのぼる。それ以来、私は高校を卒業するまでの12年間、多摩川の様子をずっとみてきた。わたしが入学した小学校ではたびたび先生たちが児童を連れて川に遊びに行くことがあった。さらに、毎年春には全校児童全員で多摩川を渡って対岸の山に登るという遠足が催された。ところどころにある大きな石やコンクリートに6年生が待機して、低学年の児童の川渡りの手助けをし、川渡りをとおしてお互いを知ることがねらいだった。現在、東京周辺に住む子供にとって水に入るとしたらプールで泳ぐときくらいだと思うが、わたし自身そうだったため、川底のぬめぬめとした感触が最初は気持ち悪くてしかたがなかった。しかし、慣れていくうちにそれがなんとも気持ちよくなり、対岸に着く頃には川から出たくなくなっていたことを覚えている。それに加えて、川底にあるコケなどの植物が誰も育てていないのに自然に生えていることを知り、水の力を初めて実感したのはこの川を渡っているときである。
また、中学校に入学した後も、生物の実験などに使う植物などを川辺にとりに行くことがたびたびあった。実は小学校を卒業したらもうなかなか行けないだろうと覚悟していたため、私にとってこれはとてもうれしいことだった。授業外でも時々担任の先生がクラス全員を多摩川に連れて行ってくださり、友達と川に石を投げてできる円をじっと眺めたり、川辺に腰掛けて話していたりしていたが、川辺に座って周りの景色を眺めているだけでもストレスがだいぶ解消されることを不思議に思ったのを覚えている。思春期の生徒たちのストレスを解消させるために先生方が連れて行ってくださったのだと思うが、最近話題になっているマイナスイオンをこのとき自分もあびていたのかといまさらながら思う。
さらに、小学校から高校まで、マラソン大会のコースが多摩川べりだったため、毎年冬には川の流れを眺めて流れる水の音を聞きながら走っていた。高校に入学すると、とたんに多摩川にいく回数は減ったが、毎年冬のマラソン大会に近づくと何度も練習で多摩川を眺めることができた。
4)近所の人々のお話
最近川に行ったときに、近所の人とお話する機会があったが、残念なことに彼らの多くが多摩川の現状に嘆いていた。最近多摩川に魚が戻って来たという声があるらしいが、彼らはそれをあまり実感できていないのである。なぜなら自然の川底が少なくなっているからである。長い間あったコンクリートの大きな堰が少しずつ広げられてさらに大きくなり、多摩川のそこの地域ではあまり多くの魚を見ることができないのである。わたしが見ても、小学校の遠足で、足がじかに川底のコケに触っていたところがコンクリートになってしまっていた。思い出してみれば、小学校の遠足のときは、川を渡っているときにコンクリートの部分にたどり着くと安心し、休憩していたのだが、上級生になるにしたがってコンクリートが増えて、逆に川を渡っているというわくわくした興奮した気持ちを満喫できなくなっていた。また、近所の方のお話によると、20〜30年前とその少し前の時期は、高度経済成長の影響で川の水が汚染されていたらしい。都会を流れる川にとって常に最良の状態であることは非常に難しいことなのかもしれない。
5)Web-pageにある多摩川
多摩川を検索エンジンで検索したところ、255万件の項目が紹介された。その多くが多摩川周辺での釣りやゴルフ、競艇などに関するものであり、周辺で生活している人々が多摩川ととても関わっていることがわかった。多摩川について説明しているWeb-pageによると多摩川の源流は山梨県笠取山、河口は東京湾に位置していて左岸には羽田空港がある。川の全長は138キロメートル、流域面積は1240平方キロメートルで山梨、神奈川、東京を流れる一級河川である。ちなみに、一級河川とは河川法で維持・管理・使用の制限などに関して国の管理下にある川のことである。
江戸時代には「多摩川鮎」が名産品として幕府に上納されていた。また、明治以前の文献には多摩川流域にもトキ、コウノトリ、ツル類、ガンカモ、オオハクチョウなどが訪れていたとも記録されている。
治水面において、多摩川は長い水害の歴史を持っており、その代表例として昭和49(1974)年の狛江水害が挙げられる。また、急勾配が特徴でたくさんの堰が流下の妨げになっており、いまだに多くの課題が残されている。例えば、「利水」面では、上流域での取水と中流域での下水処理水の排水の流入などが課題となっている。また、「環境」面では、昭和55(1980)年に全国に、市民との直接対話による「多摩川河川環境管理計画」がスタートした。しかしさらに2000万人が訪れる河川敷の保全・利用のルールなどを充実させる必要があるといわれている。
また、多摩川の大きな特徴のもうひとつは、市民と行政とがともに川づくりに取り組んできた"協働"の伝統も多摩川の大きな特徴である。
6)わたしが望む多摩川の姿
わたしはこれからさき、多摩川が子供たちにとって気軽に自然に触れられる場所であってほしいと思っている。わたし自身、自然の不思議さ、面白さ、すごさなどをはじめて実感し、体感したのは多摩川だった。しかし、川に大きなコンクリートの岩がいくつかころがっている状況は誰が見ても自然なものでは決してない。また、多摩川は散歩しているひとには幸せな時間を与えてくれるが、逆に、人間によってごみを投げ捨てられたり、コンクリートをしかれたりして川は泣いている。コンクリートの量をこれ以上増やさず、できれば減らしていってほしい。環境破壊が深刻な問題になっている今、そしてさらに将来、子供たちが自然と気軽に接して自然の驚異やすばらしさを体感し、自然の大切さや繊細さを考え直す機会を与えてくれる川であってほしいと思っている。
参考文献:http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/index.htm
http://www.nhk.or.jp/sawayaka/tamagawa.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%A2%E5%B7%9D