自分の実家の近くを流れる川の名前は『富田川』である。この川は、山口県周南市(旧新南陽市)に流れる川である。また、この川は徳山湾へと流れる川なのだが、夕日がちょうど川の先に沈むのが見えるため非常に風情ある景色も楽しめる川でもある。
Web-pageを検索したところ川上ダムを作っている川らしく、2級河川らしい。ダムにかんするページばかりが検索にヒットした。
現在の様子は、両脇を護岸されていて、生活廃水も垂れ流しといった状況であり水質はあまりよくはない。しかし、川に架かる音羽橋周辺にはなぜか鯉が多く生息していて、近隣住民が餌を与えている光景をたびたび目撃することがある。これまた理由は分からないが、河川敷には畑があり、どなたかが耕作なさっているようである。雨の日には、ダムからの放流もあり、かなり水位もあがる上に、濁流となる。川の中にも草が生えているが、現在は野放しになっていて、生い茂ってしまっている。また、端午の節句の時期になると鯉のぼりが川を横切って渡されたロープに何匹もつるされている光景を見る。地域住民の生活と密接に関係はしており、近隣の住民にとっては欠かせないものではあるが、あまりケアはされてはいないといった印象を受ける。
自分はこの川を高校時代毎日見て通学していた。雨の日も風の日も雪の日も、毎日毎日この川を見ていた。それだけではなく、河川敷で友達と遊んだこともあれば、堰のコンクリートの上を渡ったりしたこともある。また、彼女と話をするのにこの川の辺まで来ていた。さすがに、水が汚いので川の中に入るということはなかったが、それでも、川のすぐ側にはよく来ていた。もっとも、自分が周辺に住んでいる期間内で特に変わったことはなかったが。
自分の父親が幼かった頃は、水質が現在に比べてかなりきれいだったようである。その証拠に、父親は昔友人たちと共に泳いで遊んでいたらしい。また、以前は蛍を捕ることもできたらしいし、トンボも現在とは比較にならないほどの種類と数を見ることができたそうである。その理由を考察してみたところ、以前は川の周辺の民家が現在に比べて少なく、水田や田畑が多かったことがあげられる。また、川の両脇の道路がアスファルトではなく、土であったということもあげられるであろう。やはり、水を作るうえで、土というものは欠くことができない。土が水を吸収し、浸透させて地下に落とし、そしてその水は川へと流れてくるわけだが、アスファルトの場合はそのまま流れて行ってしまい、地下まで浸透していくことなく海まで流れ出てしまうからである。また、民家が少なかったことにより、生活廃水の量自体が現在に比べて少ないことなども以前の方が、水質がきれいだったことの理由として考えられる。また、以前は川辺の手入れがきちんなされていたらしく、現在生い茂っている雑草もきちんと刈って、その後で土手にあげて処分していたらしい。こういったことがなぜ行われていたかというと、周辺に水田へと水を流す水路があり、農家の方々がその水路に水がきちんと流れるように、雑草の処分をしていたからだそうである。現在は、こういったことが行われていないので、未だにわずかに残っている農家の方は水路に水をひくのに苦労なさっているようである。
これからもこの川には、地域住民の憩いの場としての役割を果たしてほしいと思うが、そのためにはやはり川のケアが肝心である。以前のような生活様式ではもはやないため、現在のライフスタイルのままでは、環境負荷が大きすぎる。それならば、せめて川辺の草を刈るなり、少しでも水を汚さないような洗剤を各家庭で積極的に使ってもらいたい。特に、農家の話を聞くにつけても、もう1度草刈りは、行われるようになってほしいと切に願うところである。もっとも、現在すでに川のケアをされている方々もいらっしゃるようなのだが、もっと大勢の人が意識して川を守っていくことが肝要だと思う。そして、また以前のように蛍が見られるほどに水がきれいになったあかつきには、もう1度子供たちが富田川で遊ぶ姿が見られるようになってほしいと思う。そういった経験を持つことが、子供たちにも将来的に財産になると考えるからである。川の、生活面での可能性と教育面での可能性にこれからも期待したい。