水を何の変哲もない物質であると

考えている高校生への水に関する話

――体の中の水・自然の中の水と命の関係及びその神秘――

 

 

 確かに、水は私たちの生活において、ありふれた存在であり、蛇口をひねれば水が出てくるというのは極日常的で当然のことのように思えます。水は最も私たちに近い存在であり、私たちの命と密接に関係しているにも関わらず、私たちは、その尊さを見落としてしまいがちです。それは、水が限りなくあるものであり、使い捨てしても構わないという認識から生じてしまうことなのでしょうか。しかし、水は決して粗末にしていいものでもなく、何の変哲もない物質でもないのです。

 

私たちの体は、60~70%が水でできています。そして、動物も植物も人間も、体の中に水を抱えており、水によって生かされているのです。普段の生活からでは、そのような実感はないかもしれません。しかし、人間は体内の水分のうち、たった2%を失っただけでも渇きと痛みを感じます。そして、5%を失うと幻覚が見え、12%失うと死んでしまいます。たった5%の水が人間を危険な状態に至らせ、たった12%の水が人間を死に至らしめるのです。つまり、人間は水なしでは決して生きられないということです。それは、私たちが水によって生かされている存在であるということでもあります。

 

さらに、水が命にとって重要な役割をしているのは、それだけではありません。「水には物理的・化学的にも特に注目すべき特徴もない」と言いますが、本当にそうでしょうか。水の比熱や溶解熱、蒸発熱、表面張力が大きいということは高校でも習ったことと思います。これらは、水特有の性質です。それを単なる水の特徴として捉え、教科書上の知識として捉えてしまえば、それで終わりかもしれません。しかし、このような水の特性は、決して生活とかけ離れたものではありません。この水の特性は、私たちの体の機能と密接に関係しており、私たちはこの水の特性によって生かされているのです。例えば、水の比熱が大きいことによって、私たちは体温を一定に保つことができているのです。もし、比熱が小さかったら、どうなるでしょう。先程も述べたように、私たちの体の大部分は水でできているのですから、水の比熱が小さければ、私たちの体は簡単に熱しやすく冷めやすい不安定な状態に陥ってしまい、生命の維持はとても困難になってしまいます。また、水の蒸発熱が大きいことも、オーバーヒートを防ぐという体温調節において重要な役割をしています。そして、水の表面張力が大きいということは、分子間力が大きいということでもあります。この分子間力の強さによって、毛細管現象が起き、体の末端にまで血液を行き渡らせる役割を果たしているのです。血液の循環が心臓のポンプ機能だけによるものではないということは意外なことかもしれません。動物の血の循環だけではなく、背の高い木も水を吸い上げることができているのも、この毛細管現象の助けがあるからなのです。さらに、水の熱伝導率と融解熱が大きいことによって、凍傷・しもやけ・あかぎれになりにくくしてくれているということもあります。また、水は何でも溶かそうとする性質を持っています。この水の驚異的な溶解能力によって、水は様々な栄養を含んで運んでくれるという役割をしてくれているのです。このように考えてみると、水の特性は生命の維持に深く関係していることが実感できるかと思います。水は水であるからこそ、私たちの命を支えることができているのです。つまり、水にしかない特徴によって、私たちの命は生かされているということであり、水にしかできない技であるのです。水は、他の物質では代用することのできない、決して欠け替えのない命の水であるのです。

 

水は、水道の蛇口から出てくるもののみが水ではありません。私たちの体の中で働いてくれているのも水です。そして、自然界の雨や川、雪、霧も水です。水は色々な姿と表情を持っています。そこで、私たちの命にとって重要な役割をしている水の自然の中での神秘性についても考えてみたと思います。水は生き物のような存在であり、色々な表情を持っています。上で述べたような化学的な特性も水の表情の一つでもあります。先程、「教科書上の知識として終わらせない」という話をしましたが、水を理解する上で、大切なことは自然の中で水に触れ、水を感じるということであると思います。なぜなら、日常生活をしている上では、どうしても水道から出てくるイメージにとらわれがちになってしまい、「何の変哲もない水」というイメージが強くなってしまいがちだからです。そこで、水道水だけでなく、雨や川、さらには、霧や雪など、様々な水の表情や姿に触れ、その存在を肌と心で感じてみてほしいと思います。水の世界はとても広く、まだ分からないこともたくさんあります。自然の中の水を考えてみると、雨はとても身近な自然の水でありますが、どうしても厄介者として見られがちです。確かに、雨の日は出掛けるのにも面倒なこともあります。しかし、少し日常生活から離れてみて、雨に注目してみるのもいいかと思います。雨の中に自然の水を感じてみるということです。自然を肌で感じるということは、決して難しいことではありません。自然への知識がなかったとしても、自然を感じるということは身近でできることであると思います。雨を見つめながら、「雨はどこからきたのだろうか」と考えてみたことがあるでしょうか。空から振ってくるただの水としてではなく、その雨が降ってくるまでの長い旅を考えてみると、雨に対するイメージはかなり変わると思います。レイチェル・カーソンという、自然をこよなく愛し、その自然の表情を美しい文章で表現する作家であり海洋生物学者でもある人物がいます。彼女は、『センス・オブ・ワンダー』という本の中で、“雨の日には外に出て、雨に顔を打たせながら、海から空、そして地上へと姿を変えていく一滴(ひとしずく)の水の長い旅路を思いめぐらせることもできるでしょう”と述べています。地球上の水は循環しています。そして、地球上の水の量は、太古とほぼ同じといわれています。海から蒸発した水が雲となり、そして雨となり、それが大地に染みこみ、地下水となったり、川に合流したりして、また海へと戻っていきます。地球上には大量の水がありますが、そのほとんどは海水であり、その残りの淡水も氷や雪や地下水といった形で利用不可能な状態のものが多いため、私たちが使える水は、その地球上の水のうちのたったの0.014%です。毎日、大量の水を必要とする私たちが生きていられるのは、この水の大循環があるためともいえます。もし、この水の循環がなかったら、私たちが使用可能な水は、あっという間に底をついてしまうでしょう。さらに、水の循環は汚れた水の浄化機能や地球上の気温の灼熱化を防ぐ役割もしているのです。私たちは、水の循環機能によっても生かされているのです。そう考えると、この地球規模の壮大な水の旅はとても尊いものに思われるのではないでしょうか。そして、雨を眺め、その旅路を感じ取ることで、水の偉大さを感じ取ることができるかもしれません。カーソンが言うように、“自然に触れるという終わりなき喜びは、大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおく全ての人が手に入れられるものなのです。”そして、森の中へ出掛けていくことができなくとも、身近にある自然を感じることはできます。もしも、あなたが酸性雨の問題を気にして、雨に打たれることを躊躇するのであれば、何故、誰が雨を酸性雨にしたか考えてみてください。命の水を汚すということは、自らの命を脅かすことになるということを認識することも大切なことであるでしょう。川の汚染の問題に関しても、私たちの生活を反映しているのです。

 

 このように、水と命の関係と水の神秘を考えてみて、もし、水に興味を感じ、水の尊さを感じたなら、あなたにとって、水はもう決して何の変哲もない単なる物質ではなくなっていることでしょう。そこには、水を大切にしようという決意が生まれてくるのではないでしょうか。そして、身近な水が汚染されていることに気付いたのなら、心が痛むことでしょう。水と自然を愛すことから、自然とともに生きるということは実現されていくのではないでしょうか。

 

 

 

注・引用文献

1)レイチェル・カーソン.センス・オブ・ワンダー.上遠恵子(訳).新潮社,1996p.27

2)Ibid.,p.54

 

以上