気象大異変
100年後という、遠いようで近い未来の有様を見せ付けられて恐怖の念を感じた。これを見たら、仮に可能であったとしても、まず誰もこれから100年先まで生きていたいとは思わないだろう。
舞台の中心は100年後の地球。地球温暖化がもたらす様々な環境への影響を、近年の環境状況を踏まえつつ、将来の気候の傾向を予測することができる“地球シミュレーター”を用いてグローバルに説明していった。ここで描かれる100年後の地球とは、様々な環境問題が折り重なって人間生活を脅かす地球であった。これから番組内で取り挙げられた、地球温暖化によってもたらされる災害をいくつかまとめて紹介したい。
まず、将来の気象の異常性は大きく2つに分けることができる。それは、大気のバランスが崩れることによって起こる、大量の水による被害と、乾燥化による被害の2つの対立した被害だ。例えば、現在中国において、南部の方では洪水の被害に直面しているのに対して、北部の方では逆に乾燥による砂漠化の被害が生じている。日本では(もちろん世界においても)雨の多くなるところと少なくなるところのギャップが極端になるという。このような地球温暖化によってもたらされる2つの相反する被害について、さらにいくつかの問題点に分けて、より具体的に見ていきたい。
始めに、熱帯低気圧の異常発生の問題。これによって引き起こされるのは、昨年を中心に問題となっている大型多発性のハリケーンと台風、そしてそれに伴う集中豪雨だ。番組の中で紹介された宇宙から見た将来の地球の表面にはおびただしい数の台風の目があり、ぞっとした。そして紹介された現時点における異常気象を、新聞で実際の数字と照らし合わせてみた。昨年8月、大型ハリケーン「カトリーナ」が米国南部を襲い、約1000人の死者と約1250億ドル(約14兆7000億円)の被害を出した(読売新聞2006年1月31日)。日本においても、2004年度の台風の上陸数は10個以上にのぼり過去最大数を記録した。特に、台風14号は100ミリを越える戦後最大級の雨量を記録した(読売新聞2006年1月15日)。さらに、温暖化による海面水温の上昇は台風やハリケーンなどの強さを高め、最近は勢力が強い台風の発生割合が高くなっており、勢力を保ったまま北上する台風も増えているとのことだ。地球シミュレーターは、このままの状態で進めば、これから先に「カトリーナ」以上のハリケーンが発生する可能性が極めて高い確率であると示した。さらに、ハリケーンは二次災害として高潮を起こす。実際「カトリーナ」は大きな高潮の被害をもたらした。また最近は大雨が多発する傾向にあり、現に大雨発生数の10年間の平均で、ここ10年は明らかに増加している。そして、ここにはさらに雨の降り方にも変化が見られる。日本においては、雨の回数は減るものの、集中豪雨の頻度がかなり上がるという。
次に、伝染病の問題。ここでは2003年の台湾高雄市における、ネッタイシマカによるデング熱の被害が例として挙げられた。この病気はネッタイシマカという蚊による伝染病であり、現在ワクチンはない。そしてこの原因もやはり温暖化によるものだ。この年の前年である2002年は冬の気温が20℃を超えた日が続いたため、冬には死滅していたはずのネッタイシマカが生き残ってしまったのだ。このまま温暖化が進めば、2080年にはその被害地が拡大し、日本でも沖縄や九州の南部で発生する可能性があるという。この問題によって、わずかな気温の上昇が大きな影響を及ぼすという恐ろしさを伝えられた。
次に砂漠化の問題。ここでは広大な熱帯雨林が広がる、南米アマゾンでの乾燥化が深刻な問題として取りあげられた。2005年10月に世界で有数の水の宝庫であるアマゾン川が干上がるという大事件が起こった。川の水位は約5~10メートルも下がり、それによって川の中の酸素がなくなり大量の魚の死体がころがった。このことは漁をする人間にも被害を及ぼした。さらに、このままいけば、100年後には日本の約10倍の面積分に当たる熱帯雨林がなくなるという。また、これだけ大量の森林がなくなるということは、その後約80年分のCO2を放出させ、さらに地球温暖化が進み、それによって乾燥化も進むという、悪循環を引き起こす。これは次の問題点である食糧危機の問題にも影響する。
砂漠化からの影響によって生じる食糧危機の問題の顕れとして、2005年7月にスペインにおいてデモが行われた。そのときの訴えは「水をよこせ」というものだった。その年のスペインの降水量は例年の半分以下であり、厳しい干ばつの被害となり、農家に強い打撃を与えた。この影響は予想外にひどく、農場を中心に砂漠化の現象がおこり、スペイン全体で40パーセント以上の穀物生産高の低下を記録した。気象シミュレーターによると、100年後にはスペインの降水量は今より10パーセント下がり、今回のような干ばつがたびたび起こると予測された。他にも水不足による世界の穀物生産量への悪影響が懸念されている。日本においてはりんごの名産地が北海道になり、青森はみかん山だらけになると知らされ、ショックと驚きが入り混じった気持ちになった。さらに、日本人にとっては大変ショッキングなことに、温暖化によって米の生産量が日本全体で10パーセントも減少し、それと同時に値段も20パーセントも上昇するという。この影響は、アフリカなどの発展途上国にとってはより強い打撃となるだろう。
そして最後に環境難民の問題。これは、温暖化による海水面上昇のために水没してしまう島の住民が住むところを追われ、環境難民となってしまうという問題だ。水没してしまうと予測される場所はアラスカ州全体だけで約184箇所。21世紀末には、海水名は最大で88メートル上昇し、水没する面積は、世界全体で実に日本の約3.5倍にもなる。番組ではアラスカのシシュマレフ島が具体的に紹介された。この島は2070年にはなくなってしまうと予測され、2009年までに住民約600人が移住を要求されている。しかしながらその移住先はなかなか決定されない。それは、移住先の都市の人々との間の対立、摩擦が懸念されるためだ。島の人は、「最初は歓迎されるかもしれないが、時が経つにつれ、彼らは我々を侵食者とみなし、邪魔者扱いするようになるだろう」と、抱いている危惧の念をもらしている。このように、これから更に多く出てくると予測される環境難民は、一体どこへいったらよいのであろうか。世界各地で、彼らの運命を共有し、その困難を受け入れるための寛容な態度が必要となってくる。
以上の数々の地球における環境の乱れを統合して考えると、集中豪雨、高潮、乾燥など、すべて水が関係するものであることに気が付いた。ここから、温暖化と水は密接な関係にあると言えるであろう。今、地球をひとつの水の球と仮定して考えると、その水は沸騰直前で、ぐつぐつと氾濫を起こしつつある状況であろう。完全に沸騰しきる前に、早くその火を止めなくてはならない。
番組の最後には、提示してきた数多くの災害の根源である地球温暖化に対する解決策を提示したが、それに割いた時間は短かった。正直、最後の方は類似した災害ばかりだったため、早く解決策を知りたいという一心で見ていたのだが、その数の少なさと質の悪さに落胆した。なぜならば、番組が提示したのは解決策ではなく、現在遂行されようとする解決策の問題点の提示と、もし~できたらどうなるという、単なる予測でしかなかったからだ。具体的に言うと、もし2050年までに世界全体のCO2を50%削減することができたら、今のまま進んだ結果のCO2濃度は避けられると断言し訴えたが、How(いったいどうやって)ということには言及しなかったのだ。他に、現段階で遂行できることの例として、太陽エネルギーの使用や、省エネ製品の流通化などを挙げ、これらのことは世界中で行われなければ意味がないと主張した。しかしながら現在の世界各国の態度はそれぞれ異なり、例えば先進国と発展途上国の間にある溝が挙げられる。発展途上国側が、「CO2削減の必要があるのは先進国だけであって、自分たちは関係がない」と主張しているのだ。また他に、EU含む世界の各国が“国際的枠組み”の必要性を訴えるのに対し、世界の超大国でありCO2の使用量が最も多いアメリカが、CO2の削減は不可能であり議論上のものに留まるに過ぎないとし、未だに京都議定書の調印に拒絶の態度をとり続けている。そして彼らは“国際的枠組み以外”の方法の必要性を訴えているが、その具体案は出されていない。番組の最後に、ナレーターが「こう議論している最中も、地球の温暖化はどんどん進んでいる」と訴えたが、そのことに気がついている人が一体どれだけいるのか、最後まで世界の将来に光が見えなかった。
そこで、私なりの温暖化に対する見解を含めて解決策を考えてみた。人類は現在に至るまで、目先の利益・便利さばかりを追い求め、遠い先の将来のことはあまり考慮せずに技術的に進歩してきた。しかしながら、人間のこのような急激な発展とは裏腹に、自然の側は退化の一途をたどってきている。その象徴ともいえる表れが、地球温暖化であり、それに伴う数多くの災害だ。だが残念なことに、いわゆる‘個’の分類となる一般市民たち(特に先進国)は国家以上に現状の問題に鈍く疎い。異常気象に気付いていても、‘今年は’というフレーズに安心感を抱いているのか、「野菜も高くなっているがいつかは治まるし、まぁ何とかなるだろう」といった感じの態度であり、深刻さに欠ける。またそれに対しての政府やメディアの訴えも弱い。ここに、100年後はどうせ自分は生存していないのだから自分は関係ないとする、人間の自分勝手さが見えるだろう。しかし、100年後というのはそう遠い未来ではない。今生存している人類は自分の利益だけを考えて次の世代をおろそかにしてはいけない。自然に対しても人間に対しても思いやりの気持ちを持たなければならない。そのような、人間が本来持つべき気持ちを持つという、基本的で土台となる基礎を固めなくては、その次が仮に成功したとしてもそれは一時的にしか留まらず、すぐに崩れてしまうだろう。だから、地球温暖化の環境問題はグローバル、ローカルな解決策ということ依然に、インディヴィジュアルなところからの態度の統一化から図らなくてはならないのだ。手遅れになる前に、世界中でこのことを訴え続けなくてはならない。さもなければ、現在主張されている‘100年後’が、‘50年後’‘30年後’となってしまうことも大いにあり得る話となってしまうのだ。そう言われたとき、今環境問題に対して世界から孤立しているアメリカを含め、世界各国はどのような態度を見せるのだろうか。その答えは興味深くはあるが、そのようなことは心底から起こってほしくないと願う。