忘れたことを忘れる前に ありがとうが言える間に

 

 

「水は無味、無臭、無色透明で、物理・化学的に特に注目すべき特徴もない。しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。」

 

 

私 も以前そう思っていました。水が一体どのように大切なものなのか。具体例を出されても、ピンと来ませんよね。現在、日本では命と水が直結している事を身体 で感じる事に遭遇する事は幸運にも、まずないでしょう。しかしあなたも一度は経験したことがないでしょうか。小学校の頃、水筒に入れていた水を全部飲み干 して、喉がカラカラになって、ようやく家へ辿り着いて飲んだコップ一杯の水。運動会で砂埃に塗れながらも、氷を一杯に入れた水を飲んだ事。

 

私 たちは忘れてしまいます。本当に大切なものを。本当に私たちが忘れてはいけないことは、いつも私たちの意識の奥に沈んでしまいます。そして私たちは忘れた ことも忘れてしまうのです。私たちにとって、水の大切さとはその「忘れてしまう」ものの一つなのかもしれません。しかし、忘れてしまったのはいつからで しょうか。私たちの生活が豊かになって、私たちにとって水がとても身近な存在になってからです。何だか矛盾していますね。身近にありすぎて忘れてしまうも のは私たちの周りに溢れかえっています。あなたの両親を思い浮かべてください。一緒に住んでいる時どれだけ喧嘩をしていても、遠くはなれて暮らして初めて ありがたさに気付いたりするものなのです。朝起きて朝ごはんが用意してあること。洗濯された洋服を身に着けることができること。お弁当を持っていくことが できること。疲れた身体を癒すためにお風呂が用意されていること。私たちの生活のサイクルの中に余りにも入り込みすぎていて、それが両親の愛によって成り 立っていることをついつい忘れてしまいがちです。一人で住み、自分が疲れているとご飯も用意されない、洗濯もされない、お風呂も用意されていない、お弁当 もない、こんな状況になってから初めて気付くことが多いのです。両親が元気なら、気付いてから気持ちを入れ替えて感謝をする事が可能です。しかし水はそう はいきません。なくなってからでは遅いのです。そして水はなくなるのです。ありふれているものと思い込んでいるものの儚さ程私たちがしっかりと心に留めて おかなければいけないものなのです。

 

と はいうものの、水がなくなる、ということについて現実味をもって考える事は難しいかもしれません。それはどうして難しいのでしょうか。一つに、水の消滅は 水「だけ」の消滅を示すわけではないのです。水の消滅は生命の消滅を意味します。本当は、客観的に水がなくなる、という事を考える事は不可能なのかもしれ ません。しかし、水がなくなるとどうして地球上の生命がなくなってしまうのでしょうか。私たちの中に、私たちを構成するものの中に水が含まれている以上、 水というものを私たちから完全に切り離して見る事は難しいですが、その水が私たちの身体の中、生活にどのように関わっているのか、それを知ることで、私た ちにとって水がどういうものなのか、きっと自ら答えを見出せることと思います。それを一緒に見てみましょう。

 

ま ず、水がありふれた存在でない、ということ。余りにも簡単に手に入りすぎて、この事実を無視しがちですが、水はこの地球の誕生時から存在し、その当時の水 の総量とほぼ同量が、「循環」によって現在の私たちの生命をここに存在させてくれているんです。決して使い捨てで無限に湧き出てくるものなんかではないの です。雨となり、川や海となり、蒸発し、雲になる。そしてまた雨に…というこのサイクルが46億年、誰も教えていないのに繰り返されてきました。水道の蛇口から出てくる水、は46億 年前から地球のどこかを旅し続けているのです。そしてそのサイクルの中に私たちの生命はあります。しかし、水に抱かれている私たちは、技術の進歩で水は私 たちの手の中にある、と考えるようになりました。でも考えても見てください。水があって私たちがいるのだから、その母なる水を自分の手のひらで転がすよう な真似ができるはずもありません。科学技術を得た私たちはそんな根本的なことに気付くことができずにここまできてしまったんですね。世界中の異常気象や生 態系のバランスの異常はそれを物語っています。

 

しかしそろそろ気付かなかった、と笑ってごまかすわけにもいかなくなってきています。今ここで私たちが考えを改めていかなければ、46億年燃え続けてきた命の蝋燭を私たちが吹き消すようなことをし兼ねません。命のバトンのアンカーになってはならないのです。それを決めるのは私たちではないはずです。

過 去を詰った所で何も始まりません。私たちはその科学技術の進歩で今のような便利な生活を送っているのですから。そして大半の科学技術が私たちの生活が豊か になればいい、という純粋な思いを持った人々の努力から発展してきたことを忘れてはいけません。私たちが出来る事は、彼らのその純粋な想いを、「水との共 生」という視点を踏まえた上で引き継いでいくことです。そして「全人類」に留まらず、「全生命と水」という視点で考えていくことが同じ過ちを繰り返さない 為には必要です。

 

つ いつい熱くなってしまいました。しかし取りあえず水と私たちの生命を切り離す事は不可能だということが伝わっていればいいなと思います。この問題が自分の 中の問題に変われば自ずと水を大切にする気持ちは生まれてくると思うからです。正確に言えば、忘れていたことを思い出してもらう、といった感じでしょう か。水が私たちにとってどのような存在であるのかは、本当に忘れ去る事はできません。私たちの身体に組み込まれた水と共生しながら生命を育んでいく、とい うプログラムは、今の科学技術で変える事はできないのです。

 

 さて、これを聞いてそんなプログラムがあるか誰が言ったんだ、と言われるかもしれません。それは身体の仕組みだけに留まらず、「心」の中にしっかりと組み込まれているんです。その「心」の部分を見てみましょう。

 

  リラクゼーションという言葉を聞いて、雑踏やネオン、人ごみを想像しますか?大半の人は恐らくその逆のもの、川のせせらぎ、星空、波の音、このようなもの を想像するのではないでしょうか。憩いの場といわれるところには噴水がよく見かけられますね。しかし何故でしょうか。そこにも私たちの身体に組み込まれた 太古からの水との記憶が関係しているのです。私たちは単細胞と大差のない受精卵の時からやがて羊水の中でエラ呼吸を始め、その後もへその緒を通じて母親か ら栄養をもらい、羊水の中で生きていき、誕生の瞬間まで水の中で生活をし、生まれた瞬間肺呼吸を始めるのです。これは海から始まった生命の誕生とその進化 の過程を示しています。水を見て落ち着く、といった事が何故か少し分かった気がしませんか?皆が言うから、ではないのです。私たちの上辺の生活は文明の発 達と共に変化を遂げても私たちの中の水との共生の記憶は確かに、まだ私たちの中に残っています。その気持ちにまず気付いてください。そうすると身近にある 全てのものの生命に気づくことができるはずです。

 

 私の思い出話を少しさせてください。私の高校時代を過ごした場所はカナダのリッチモンドという場所でした。そこはバンクーバーと橋で繋がった小さな島で、私の住んでいた場所はStevestonと いう港町でした。疲れたとき、元気がなくなったときは港の端にある大きな公園から水平線を眺めながら波の音に耳を傾けていたものです。水面に映る太陽に反 射した光や、水平線の向こうに夕日が沈んでいく風景、何ものにも替えがたい美しさと親しみを異国の地で感じていました。私は海を隔てて世界は本当に繋がっ ているんだという事をこのときにいつも実感していました。この水によって繋がっている、水に包まれているこの感覚が私に本当の国境を越えた地球人としての 自覚を与えてくれ、ホームシックを乗り越えさせてくれたものでもあるのです。

 

文 化の差こそあれ、私たちは水という母から生まれ、その腕の中で文化を作り上げ、技術を進歩させ、今に至っているのです。この水の腕の中では私たちは永遠に 赤ん坊なのかもしれません。私たちの技術の進歩も反抗期のようなものかもしれません。もしこの腕の中で抱かれなくなってしまえば私たちは生きる術を知らな い赤ん坊と同じく、生命を維持する事はできないのですから。それなりの知恵をつけ、ありがとうを言えない反抗期に差し掛かっている状態が現在の人類の状況 だとして、そろそろ私たちはいつまでも親がいると思っていてはいけません。46億年も私たちを抱き続けてくれた水に対して環境汚染や水の無駄使いを続ける という事は、恩を仇で返すようなことになってしまいます。水は私たちにそれではいけないと、自然災害や異常気象で警告を出しているのです。その警告を私た ちは謙虚に受け止める姿勢を持たなければなりません。ありがとうと言えぬまま水が姿をからしていく姿を私たちは見ながら放っておいてはいけないのです。あ りがとうと言える間に心からでも変えていくべきだと思うのです。そうすれば利益だけを目的にし、環境を無視した開発を起こそうという考えは自然と浮かばな くなるのではないでしょうか。私たちの親の命も有限であるように、それをも内包した生命の起源、水も有限なのです。

 

  さて、話もそろそろまとめに入りましょう。内容がばらばらになってしまったように感じるかもしれません。しかし、この話の中で水に限らず様々なものは有限 であり、いつかそのうち…と先延ばしにしていたら取り返しのつかないことが沢山あることに気付いたのではないでしょうか。家族、友達、空、空気、本当にさ まざまなものの大切さがこの水の大切さに通じています。いつも会っているから恥ずかしいなんて言わないで、一言、感謝の気持ちをかけてみてください。何か 行動で示してください。それを水に対してもしてください。人類が誕生してからの世界中の水に対するありがとうという気持ちのバトンが水と生命の大循環を支 えてきたことを、忘れないでください。この世界にありふれたものは、何一つないという事を、忘れないでください。

 どうも、ありがとう。