善福寺川(東京都)

 

 善福寺川は都心に程近い杉並区を流れる全長10kmほどの川で、同じく区内にある善福寺池から出る湧き水によって支えられている。昔に比べ湧水量は減ってしまったようだが、それでも今もなお湧き出ているらしい。また、4kmほど、川に沿って善福寺川緑地と和田堀公園という二つの大きな公園が続き、都内では数少なくなってしまった緑が残っている。川沿いをジョギングする人や散歩する人も多く、地域民の憩いの場にもなっているのだ。春には両岸の桜が見事に咲き、毎年、多くの花見客が来ている。

 

 さて、この川の様子と言われてまず感じる事はその水のきれいさである。水は川底の砂利が見えるほどに透き通っていて、とてもきれいだ。散歩がてらゆっくりと流れる水のせせらぎを聞きながらその澄んだ水を眺めるのは本当に気持ちが良い。水鳥や魚も棲みついていて、特にカモが泳いだりエサを探している様子はよく見かける。和田堀公園の池ではカワセミも来る事があるのだ。また、川には藻(検索してみた所、オオカナダモらしい)があちらこちらにあり、魚の隠れ家になっている。川がこの辺りの生態系の根幹を担っているようだと感じた。

 その他、この川の重要な特徴といえば、川が公園の緑に囲まれているという事だ。川の全長すべてではないものの、自然から切り離されているのではなく自然と一体となっている川の姿がここにはある。

 とはいえ、善福寺川も両岸を舗装され、その周りには人が入れないようにフェンスがつづいている。だから、子供が川で遊んだりはできないし、土手すべてがコンクリートであるといった点で、やはり自然の川とは言えない。けれども、澄んだ水や緑に囲まれている事を考えると、自然に近い川なのではないだろうかと思う。人の手が加わっていても、上手に川と人と自然が付き合っていっているように私は感じた。

 

 この善福寺川と私の関わりだが、私が小学生の時に児童館のイベントで普段は入れない川で遊べたことが印象に残っている。その時入った場所の深さは当時の私のひざ程度で割合浅く、眺めている分には水流はあまり強そうではないのに、いざ入ってみると思った以上に流れがあり、さらに藻もよく茂っているので、なかなか上手く歩けなかった。そうやってたびたび足を取られながら、ザリガニを捕まえたり小魚を追い回したりして楽しんだのだった。

 

 また、善福寺川は私の家から小中学校までの通学路に流れていたので、帰り道に何かと眺める機会が多く、白いコサギなどを発見して喜んでいた。ある時などは黒い、大きな鳥が川すれすれを駆け抜けていくのを見て興奮した記憶がある。カワウという鳥だと聞いて、善福寺川はそんな鳥が来るほどにすごい川なんだなぁとうれしくなった。このように川は私と自然とをつなげてくれたように思う。私は川や川近くの公園を通して自然を見てきたのだと今思い返してみて思った。川は私にとって一番身近な自然だったのかもしれない。

 一方で川はある意味ではこわいものでもあった。大雨の時、善福寺川はよく氾濫しそうになるのだが、普段の穏やかな川の様子と違って、水がうねりながら勢いよく流れていき、じっと見ていると吸い込まれそうなくらいだった。色は濁った茶色になり、水かさも倍増している。氾濫警報のサイレンも鳴ったりし、川を通って家に帰る私は、大丈夫だろうかと不安になる事もあった。今でも善福寺川は大雨が降ると水位が上がり警報がなる事がある。去年、ある大雨の日の後、川に向って枝を伸ばしている桜の木に川に流れていたゴミが引っかかっていて、どれほどまで水が迫ってきたのかを語っていた。川は私が生物と触れ合ったり自然の豊かさを感じた場であったけれども、時には不安や怖さを覚える事もあったのだ。

 

 そんな善福寺川の過去については父に話を聞いた。父によると今から40年前は川の回りは田んぼであり、川幅は今の1/3しかなかったと言う。舗装もされてないので、今以上に氾濫が多かったらしい。その後、人口増加により下水が多く川に流れ込み、川は一転して汚くなってしまった。そのため、30年ほど前に下水道整備・公園整備・川の整備が進められて、汚い川から脱却し、ほぼ今と同じきれいな川になったのだ。しかし、興味深い事にまだこの時点ではカモやカワウといった鳥は見られず、魚もそれほど多くなかったようなのだ。そして、10年前、魚が水流に負けて流される事がないように川の岸に堀を作って、やっと今と同じようになった。またこの頃は川の近くに住宅地が増えて雨水を吸収できる地面が減った事で水量が上がってしまったそうだ。だから、川を深くする事でこれに対処したらしい。私は今の川しか見ていないので昔からきれいで豊かな川なのだろうと思っていたが、川をよりよくする様々なアイディアを具体化していった、川作りの過程がちゃんと存在していたのだった。今では当たり前に見られるカモでさえ数十年前はいなかったのかと思うと、そのプロセスの大変さが良く分かる。自然を再生するという事は本当に骨の折れる事だろう。過去にその仕事をやってくれた人がいたからこそたびたびの人口増加で川が汚くなっても今、皆が川と共にいられるのだと思った。今の川の状態は決して当たり前なのではないのだ。

 

 Webを検索してみて一番多かったのは善福寺川の自然の豊かさについて書かれたものだった。水鳥の写真、水源から下流まで歩いた等の体験やコハクチョウが飛来したというニュースが書かれてあり、区民に親しまれている川なのだと実感した。また、“公園へ行こう”というホームページでは“川沿いに展開する緑のゾーン”と紹介され、清流がある公園としてピックアップされていた。川は公園のシンボルでもあるのだ。

 さらに川を調べていくうちに都市高速道路外郭環状線計画という予想外のものに行き当った。これは環状8号線の渋滞を緩和するために新たに外環道・青梅街道インターチェンジ(IC)を設置するという事業だ。確かにこの計画によって渋滞は減少するだろう。しかし、地下を掘り下げる開削工事をするため、善福寺川と関係が深い地下水脈や善福寺池の湧水に悪影響が出るおそれがある。その事もあり、今、区は都に対して、杉並に残る自然環境や水環境に被害が及ぶ危険性などの意見を提出して青梅ICの方の見直しを要望している。驚いた事にこの計画自体は平成15年のころから持ち上がっていて、その時すでに区民アンケートやらがあったようなのだ。そんなにも前から話題に上っていて、かつ、身近な川の危機であるのに気づいていなかったことに私はショックを受けた。父から様々な努力によって今のきれいな川が出来た事を聞いたがそれは遠い過去の事ではなかったのだと改めて思った。今もなお人災の危機、それに対抗する区民の運動があるにもかかわらず、私は見過ごしていたのだった。単に眺めているだけでなくて川のおかれている状況をよく知ってこそ、川からもらう安らぎの恩返しが少し出来るように思った。

 

 善福寺川は安らぎの場であり、この辺りの生態系を支える大切な存在であるとリサーチを通して実感した。また、人が人口増加やICなどの災いを川に持ち込む一方で、川をきれいにしようとする行動もずっと続いている事も知った。人の手が加わっていない自然のままの川は勿論大切だと思うが、こういう人の川への積極的参加によって作られる川の姿も良いのかもしれない。これからも、負の関与ではなく人の正の関与があり、安らぎを与えてくれる川であってほしい。そしてもう一つ、いつまでも緑と共にある川でいてほしいと思う。川は緑と一体になってこそ生き生きとするのではないだろうか。人が川作りに参加し、緑が保たれる善福寺川が未来にもあって欲しいと思った。

 

参考文献

 

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